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真名を捧ぐ  作者: kim
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捨てられた名

  捨てられた名



 神の住まう街へ懐かしき姉弟が来た。

 私の愛すべき弟と憎むべき姉。

 神も悪魔もこぞって貴方たちのことを歓迎することだろう。

 私を身代わりにした父と母もお待ちだ。



「そうだろ?

 デヴィリス・ヴィクセンとラクスアーサ・ヴィクセン。」

「え?」


 空耳?


 馬車と人がひっきりなしに交差する大通り。

 涼やかに舞う風の精霊たちは、ヒトの熱気によって夏空へと追いやられていた。


 ポクポクポクガラガラガラ

 リーンゴーン

 カツカツカツペタペタペタ

 ピィーザワザワザワ


 いくつもの靴音。

 車輪が小石をはじき、驚き飛びたった烏たちの羽音。

 交通整理をする警邏のホイッスルと怒号。

 ショップのタイムセールの半ば嗄れた呼び声。

 交差点角にあるオープンカフェのざわつき。


 あらゆる喧騒の中、やおら聞こえてきた耳を疑うような言葉に僕らは思わず足を止めた。

「真名…」

 シェスが呟いた。

 と同時に、僕は慌てて背後を振り返った。

 姉の眼はただただ驚愕に見開かれ、うつろに雑踏を見つめていた。


 行き交うヒトヒトヒト…


 雑踏の中に聞こえた少ししゃがれた声。

 四〇代男性。

 そんな想像ができた。

 しかし、全く聞き覚えのない声だった。

 ただただ、その囁きは僕らに対し強い悪意を持っていた。


 何度か頭を振るも、あまりに一瞬のことに声の主を見出すことはできなかった。

「馬車を通しますので立ち止まらないでください。」

 と交通整理をする警邏の注意を受け、僕は慌てて姉の手を引いた。

 交差点の先へと早足で抜けると、一瞬ぽっかりと交差点に空洞が生まれる。


 涼やかな秋風が吹き抜けていった。


 やっぱり空耳だったのだろうか。

 一瞬自分を疑うが、隣で硬い表情を浮かべる横顔を捕らえてその考えを否定する。

 二人揃って、しかもあんな長い台詞を空耳だとみなすわけにはいかない。

「見つかったかな?」

 確かにこの街に入ったときから、自意識過剰なくらいにヒトの目が気になっていた。

 喧騒の中に僕らの名前を探してしまう程。

「教会だよね?」

 僕はあらためて周囲を見渡した。


 色とりどりの人の波の中に、僕らと同じリリーホワイトの神官着で身を包んだヒトがちらほらと歩いていた。フードがついただぼっとしたポンチョみたいなの。

 右胸には光明神のシンボルが金糸で刺繍してあった。

 すそは足首くらいの長さがある。

 野暮ったいとまでは言わないが、決してお洒落ではない。

 すそから見えるタイツも、ドタ靴みたいなハーフブーツも、みんなお決まりだ。

 首から提げた紋章で階級がわかった。司祭もしくは助祭だ。

 ちなみに元司祭の僕らは紋章を持っていない。

 今となっては一般信者扱いである。


 神官らは皆、陰鬱な面持ちで俯いて歩く。

 信者たちに話しかけられればアルカイックな微笑で「光あれ」と信者の頭に掌を翳した。

 しかし、僕らには一瞥もくれずに、前を過ぎていく。

 無意識に西の空を見上げていた。

 蒼穹を穿つように聳え立つ灰黒色の尖塔が窺えた。光明神殿の鐘楼だ。


 リンゴーン…


 済んだ鐘の音が街中に響き渡る。

 それはあの塔から鳴り響いていた。

『希望の鐘』

 この街では、そう呼ばれている。


 希望?

 ここは僕らの絶望の始まった場所なのに皮肉なもんだ。


「シェス? 大丈夫?」

 僕が隣に問いかけると姉ははっと我に帰った。

 僕とは似ていない目じりの下がった温厚そうな目が、今だけはつりあがって見えた。

 なにやら怖い目つきで通りを睨んでいる。

「骨…」

 一瞬それも空耳かと疑った。

 聞き流しそうになりながら、慌てて訊きなおした。

「骨?」

「あの交差点に骨が立ってた。

 デルには見えなかった?」


 交差点に再びヒトがあふれ出した。

 でも、ヒトビトの反応はない。

 骸骨が立ってたのなら、さすがに騒ぎになるだろう。

「骨が僕らに囁いた…の?」

「それは違うわ。

 違うけど…」

 悪い考えを振り払うように、フルフルと頭を振った。


 そして、

「きっと気のせいよね。」

 自分に言い聞かせるように明るく振舞う。

 僕は幽霊の言葉でないことに安堵したが、結局正体不明の声に不安が尽きなかった。

「あ、ごめん。

 えっと、追うの?」

「たぶん、まだ遠くには行ってないと思うし。

 ってか、僕らのことを誘ってるんだと思うし。

 ウチらの真名を知ってるヤツをほったらかしてたら、絶対面倒だし。」

 僕はシェスの手を引きながらメインストリートを外れ、商業区から工業区へ続く小道に足を向けた。


 商業区ではしっかり磨かれた透明な窓ガラスが、きらきらと真昼の太陽を照り返していた。

 即納オーダーを謳う仕立て屋。

 ファッション誌から抜け出たようなワンピースを着たマネキン。

 所狭しと隣国の書籍が並んだ本屋。

 用途不明のキッチン用品を店中央に飾った雑貨屋。

 帽子の専門店。

 宝石鑑定の看板。

 癒されませんかとビラを配る姉ちゃん。


 歩を進めるに従い、次第に喧騒が遠くなっていく。

 きらびやかなショーウィンドウが減っていくにつれ、灰褐色に汚れた石壁の割合が増えていった。

 時折裏通りの名店を謳ったセレクトショップやレストランがあり、無格好な石壁の中のこざっぱりしたレンガ壁がやけに不自然に映えていた。

「こんなとこにルイナ料理の店あったんだ。」

 南西部の湖畔料理だ。

 王国南西部の都市を中心にブームになっているらしい。

 大して興味ないので、一瞥しただけで通り過ぎた。


 ふと、背後が動かないのを感じて振り返る。

「どうしたのシェス?」

 ガラス越しに店内を睨んでいた。

「骨が見てる。」

「え? 普通だけど。」

 大して客がいない。

 もちろん骨もいない。


 イラつくシェスが店の壁を蹴った。

 店主らしきヒトが怯えた視線を外に向けたので、僕は窓越しに謝罪しつつシェスの手を引きその場を去った。

「何をそんなにイライラしてんの?」

 シェスの返事はなかった。

 僕は怒った顔を横目に小さく嘆息した。


 道幅がだんだんと狭くなって急に景色が変わった。

 明らかに貧困層の居住区だ。

 生壁色と黄土色がまだらになった、隙間を粘土で埋めただけの石壁。

 玄関の扉は歪んだ鉄枠のついた木製。

 申し訳程度に四角くかたどられた窓は、灯り取りの役目しかないらしくガラスすらはまっていない。


 見上げると、詰め寄るように迫る両脇の石壁からわずかに空が覗いていた。

 さっきまで青かった空が不穏に曇りだしていた。


「何でコッチ?」

 歩き始めて三十分弱。今更ながら訊かれた。

「神のお導き。」

 僕は冗談ともつかぬ返事を返す。

 じとっとした目線のみで僕を責める姉に一つ付け加えた。

「光明神殿が裏で絡んでんのが、コッチ方面だから。」

 あと、アレが手招きしてるから。

 と口に出さずに追加する。


 工業区と商業区を繋ぐ居住区の最奥まで行くと、ひときわ高い石壁に突き当たる。

 頑丈そうな格子の門には槍を携えた番兵が立っていた。

 工業区からの脱走を防ぐためだ。

 表向きは周辺の防犯のためということになっているが。


 軽く頭を下げて、僕らは格子の門をくぐった。

 特に制止されないのは神官着を着てるからだ。

 この方向はあてずっぽうではない。


 工業区の発展には光明神への寄付金が流れている。

 一攫千金という甘言に吸い寄せられたヒト。

 その夢に欺かれたヒト。

 他業種であぶれた労働者。

 堕落したもしくは出世ルートから弾き出された神官。


 教会から言わせると、あまりたちの育ちのいいヒトが集まる場所ではない。

 そこに金を落とす光明神殿の役職持ちは、だからこそこの地域では安全だ。

 金はやる。

 ただし、純白の神官着を着ているヒトには手を出すな。

 そんな感じ。

 下手に教会に目をつけられたくないから、何かしら起こったとしてもいちいち告発するヒトもいない。むしろ手伝いたがる。

 だからこそこの場所でコトを構えた方が安全なのだ。

 でなければ、僕も神官着でこの街を彷徨うことはない。


 僕はこの純真無垢な白が大嫌いだ。


 ひっそりと息を潜めるように、厳しく単調な作業をこなすだけの工業区の住人たち。

 金属音と管理職の怒鳴る声だけが聞こえてくる。

 その合間を縫うように、僕はシェスを連れて歩き続けた。

 細い路地を時々折れて、大通りからはずいぶん離れた気がした。


 どこに足を向けても似たような空気と景色が続いていた。

 そんな中、ここにいますオーラを全開に出している場所があった。

 卑屈な雰囲気の中に高飛車なヒトがいると簡単に察することができるような、そんな違和感が漂う。

「神のお導き。」

 僕の呟きに、シェスが首をかしげた。


 果たして、その先には真っ白な神官着に身を包んだ男が立っていた。

「ホントにいた。」

 姉の感嘆の声。                                                                             

 光明神ラ・ザ・フォー信者の純白の神官着が風に揺らめいた。

 ところどころに見え隠れする装飾品から判断するに、司祭ランクの神官だった。

 光明神は、多神教が主体の王国で最も信者の多い神だ。

 かくゆう僕らも同じ格好をしているし。


 元司祭クラスの役職持ちなのだが、目の前に偉そうに立つ神官に見覚えはない。

「見たコトない顔ね。新入り?」

 シェスの馬鹿にしたような口調に神官が一瞬気色ばんだ。

 しかし、すぐに嘲るように鼻で笑い飛ばした。

「大司教と同姓だからといってまだ偉ぶってるのか?

 我が主に見捨てられた姉弟が!」

 明らかに準備されていただろう挑発に苦笑する。

 もう正直、聞き飽きた。


 とりあえずわかったことは、街中で聞いた声と同じだったこと。


 僕らはこの司祭を知らない。

 しかし、彼は僕らの真名まで知っている。

 僕らの方が有名人ではあることは事実だが、真名まで知られているのはなぜだ?


「そうだね。僕らは大司教ヴィクセンの子供たちではない。

 ただの罪人。」

 罪人を、ただの。と表現するのもどうかと思うが。

 でも、神の教えではヒトは皆罪人とのことだから、ただの、でいいのだろう。

 それはさておき


「で、何の御用?」

「貴様らの存在を消しにきた。」

 殺しにきたとは言わないのか?

「大司教の命で?」

「大司教が殺生を命じることはない。

 それに貴様らの存在なんか、鼻にもかけてないわ。」

 ふ~ん。と挑発をいなしておいて、僕は再度思考を巡らせた。


 誰の命令なのか。

 どんな理由なのか。

 何故僕らの真名を知っているのか。

 真名を使い何をしたいのか。


 大司教が云々は、半分ホント半分嘘だろう。

 それらしいことを匂わせておいて、何かしら嫌疑がかかったら白を切る。

 お偉いさんの常套手段だ。


「でもさ、私たちの真名を知ってんのよね?

 それって、大司教である私たちの親しか知らないはずでしょ? 

 だったら…」

「神のお導きだ。」

 シェスの言葉を強い口調で遮った。

「そういうのいらないから。」

 返す刀でぶった切った。

 僕もさっきそんなこと言ってしまったので、同時に切られた気分だ。


 本来この世界のどの種族においても、生きているうちで真名で呼ばれることは皆無に等しい。

 それは真名の名づけ方に因る。

 天から降りてきた名を、父親が信仰する神に奉げる。

 そして、その真名をもとに、父親が我が子に現世名をつける。

 というのが、この世界の名づけに関するルールだからである。

 種族によって奉納先に多少の違いはある。

 しかし、万国共通のルールとして、直系の家族以外が真名を知ることはないはずなのだ。


 また、特に魔法を使うものにとっては、真名を他人に知られることは即、死を招く可能性がある。

 というのも、呪いをかけるのに有効だからだ。

 真名さえわかっていれば、遥か遠方でも、たとえ本人と面識がなくても、呪いをかけることができる。

 さらに、現世以外から召喚した精霊や悪魔は真名によって使役させることができ、反対に術者の真名を知ることで開放される。


「御神の代弁者たる大司教の言葉は、すなわち、御神の言葉だ。

 御神に見捨てられた異端者はそんなことすら忘れたのか。

 嘆かわしいな。」

 めげずに神官は台詞をつなげた。


 表現力も語彙力もないな、この神官は。

 これでよく信者に説教できるものだ。

 まるで子供の言い訳を聞いているみたいだよ。


 僕は小さく嘆息する。

「結局は父か。」

 結論。ウチらの存在がとことん邪魔らしい。

 よりによって、こんな司祭レベルの神官に真名を教えるくらいには。

 僕らより明らかに低レベル、謂わば捨て駒レベルの神官が高らかに笑うのを聞きながら、再度溜息をついた。

「腹立つ。

 ペラペラとウチらの真名をばらしやがって…」


 僕らの怒りや苛立ちにほくそ笑みながら、さらに神官の話は続く。

「デヴィルとラクシャサ。

 神官の家系に生まれながらにして、どっちも悪魔を意味する名前をつけられた姉弟。

 その真名を光明神ラ・ザ・フォーのヴァルキリに伝えた。

 それが何を意味するか解るか?」

 神官の言葉に僕は舌打ちをする。


 と同時にシェスが跳んだ。

 一足飛びに相手との距離を詰め、鎖で繋がれた二本の棍棒、フレイルと呼ばれる打撃武器、を右袈裟に振り下ろした。

「くぅっ!」

 きーん、と甲高い金属音が響き、シェスの呻く声が続いた。

 神官の高笑いが途切れることはなかった。

 見えない障壁がヤツを覆っていたらしい。


 おそらく〈物的攻撃への障壁〉。

 指定速度以上の物的衝撃に対して障壁が作動する。

 対暗殺者魔法だ。

 指定速度以下であれば、例えば握手を求めたり、は可能である。


「………!」

 僕の唱えたはずの魔法は呪言と力を消し去られた。

 〈魔法に関する言葉のみを消音する〉魔法だ。

 言霊の魔力を感知すると同時に空気の振動を一時的に止める。

 仕組みはそんな感じ。


 準備のいいことだ。

 いや、単純に罠に誘われ、あっさりと引っかかっただけだ。


 よほどテンパってたんだな、と他人事のように自嘲する。

 背後から目の眩むような光が近づいてくるのがわかった。

「ヤバイな。」


 真名と罪。


 もしくは神のつけた名前と神を裏切った後ろめたさ。

 とはいうものの、あの神官の言う光明神の、という枕詞は大して意味を持たない。

 神界魔法である〈天使の召喚〉は、言うならば、天罰というヤツだ。

 あくまで、真名を持つものを対象とし、対象者の罪の意識を基準に発動する。

 だからこそ、僕らは逃げられない。


 破戒。                                            

「そう、お前らは天使に狩られるために存在してるんだよ。」

 神官は崇高な笑みを湛えながら言った。

 神に代わって、僕らの罪を問い詰めるがごとくに。

「懺悔しろ。

 悔い改めろ。」

 自分に酔いしれている神官はさておき、確かに危機的状況なことは確かだ。


 逃げるか?

 いや、一度発動されたが最期〈天使の召喚〉は延々と追い詰めてくる。


 僕は一瞬の油断を悔いた。

 僕らの罪云々よりも、神官が魔法を発動させる前に手を打てたはず。

「今更御神の救いを求めても無駄だ。

 死して己らの罪を償え。」

 何に対しても動じることのない、あの姉ですらこうべを垂れて、胸の十字架を握り締めていた。



 僕と姉のシェスは光明神殿から逃げ出した。

 それはもう6年も前のことだ。

 姉が一八歳、僕が一六才のときのことだった。


 光明神の大司教の子として生まれた。

 敬虔な光明神神官として神学を学び、毎日礼拝を行う。

 そんな毎日。

 僕は、自分で言うのもなんだが、敬虔で真面目だったと思う。

 常に神を心から敬い、何かしらの言動で神に見捨てられるのを本当に畏れていた。


 にも拘らず、僕は毎晩母に鞭打たれていた。

「悪魔の子」

 と。


 その理由は僕の出生、つまりは僕を鞭打つ母にあったことを後に知ることになる。

 しかし、その頃は僕の信心が足りないからだ、と痛みに耐え続けていた。

 母親の愛情なんて、一度たりとも感じたことはない。


 ある晩、初めて姉が僕の元に訪れた。

 そのとき、僕は母親の罰に力尽き、異端者らが拷問を受ける冷たい地下の部屋に蹲っていた。

「デルヴィ、おいで。」


 傷の痛みに朦朧とする僕の前に天使が現れた。

 そう感じたことは、おかしなことだろうか。


 初めてヒトの胸で泣いた。

 傷の痛みと心の悲鳴と姉に見られた恥ずかしさに泣いた。

 生まれて初めて得た優しさが、何よりありのままの自分を受け入れてもらったことが、僕の歪んだ恋慕を生んだのだ。


 姉は黙って僕を受け入れた。

 そして、それからというもの、母が鬼の形相で去った後、毎日のように僕をそっと抱きしめた。

「体の傷は今の私には治せない。

 でも、心の傷なら少しは治してあげられるわ。

 だから…」

 と都度囁いた。

 姉は僕の怒りと悲しみを「大丈夫だよ」と受け入れ続けた。


 わかってる。

 受け入れられているときの僕は、きっと母と同じ顔をしていたに違いない。

 神への裏切りと解っていながら、僕等は刹那のぬくもりを喜んでいた。


 永遠に続くと思われた地獄は突然終わりを告げ、二人ぼっちで草原に捨てられた。

 だから、だからこそ僕は、永遠にシェスを守り続けなければならない。



 シェスの祈りは神への懺悔なのだろうか。

 僕と歩いてきた道への後悔なのだろうか。


 神を見捨て、神に見捨てられても、なお神に祈るしかない弱いヒトが二人。

 今、罰せられようとしていた。

「悔い改めろ。」

 それでも思考を巡らす。この状況を打開する為に。

 シェスを守らなければならないのだ。


 シェスが僕の方を見て微笑んだ。

 すでに覚っているかのような穏やかな表情で。

 それを視てしまった僕は思考を止めた。観念した。


 眩い光は、幾重に重なる翼を持った天使を模り、僕らに近づいてくる。

 まるで太陽に飲み込まれていくようだ。

 さらに光は浸食し、今まさに数十センチ隣にいるシェスが、光の中へ消え行こうとした。




 パシュっ





 と軽い音を立てて、突然光が闇に斬り割かれた。


 静寂。


 硬く瞑られていたシェスの目がうっすらと開き、不思議そうに僕を見る。

 僕は小さく首を横に振った。

「…?…!」

 男が声にならない悲鳴を上げる。


 ヤツが召喚した上級天使が、乱入してきた何者かの持つ抜き身の剣に吸い込まれていった。

「だ、誰だ! 貴様は!」

 まるで余裕のない三流な台詞を叫ぶ。

「黙って。今食事中。」

 乱入者は静かに、しかしそれ以上有無を言わさぬよう圧しながら答えた。


 声の方を振り向くと、暗黒をまとった剣身が光を中に取り込もうと、言葉通り喰らおうとしているのが見えた。

「ふ、ふざけるな!」

 何か神界魔法を使おうとしたのだろう、聖印を高々と宙に掲げた。

「はい、そこまでぇ。」

 それをまた、違う声が制する。

 今度は女性の声。


 何が起こっているのかわからないまま向けた視線の先には、緋色の瞳をした少女が首筋に指先を突きつけていた。

 鋭利に尖った爪が、神官の首筋から一筋血を流していた。

 ぺろりとその首筋に舌を這わせ、まるで甘いジュースでも飲んでいるかのように舐めずりまわす。

 笑んだように薄く開いた口から尖った犬歯が見えた。

「き、貴様ら吸血鬼か。」

 その気配から察したらしく、今度は怯えた声を出す。

「ら、ではないけど。

 んでも、まぁ、あんたらの組織の敵だから似たようなもの。」

 声が小さいのは普段かららしい。


 はたと我に帰り、

「あ、ありがとうございます。助かりました。」

 僕はおずおずと謝辞を述べた。


 天使を喰らった剣の切先が僕のほうを向いた。

 慌てて後ずさる僕らに、男は首を傾げながら訊ねてきた。

「ヴィクセン家の二人の悪魔って、キミらの事だよね?」

 突然の質問に戸惑う。

 と同時にあまりに失礼な物言いにカチンときた。


 どうせさっきの話も立ち聞きしてたくせに。

 といつもの僕なら、厭味のひとつも言ったのだろう。

 だが、目の前の男、少年にも女性にも見える、そんな男の妙な威圧感に、何かを言い返せるくらいの気力はなかった。

 対峙する二人とも体が取り立てて大きなわけではない。

 野獣のような凶暴性も見られない。

 醸し出すオーラみたいなのも感じられなかった。


 でも、動けない。


 そんな僕を傍目に、隣で小さく短く息をはき捨てる音がした。

「それが何か?

  そもそもあなた誰?」

 あからさまに嫌悪感を出しながらシェスが質問で返した。


 相手が冥界、魔界の住人なら強気で。

 気圧されたら、一瞬にして喰われる。


 小さい頃に教わったまま、シェスは乱入者二人を見据えていた。

「あんな低級な天使と神官にブルってたくせにあたしらには強気かい…」

 皮肉る女性の紅薔薇のように赤い唇が苦々しげに歪んだ。

 薄く開いた肉厚な唇。

 切れ長の大きな目が値踏みするように僕らを見つめていた。

 前髪パッツンの灰色ショートボムが夕暮れの風に微かに揺れていていた。

 健康的美少女、といいたいところだが、緋色の瞳と雪白色の八重歯、病的に青白い肌が健康的という表現を否定する。

 鋭く尖った爪で苛ただしげに太ももを小刻みに叩いていた。


 それを手で制した男から、

「私はミサ。

 彼女はメール。」

 ぼそぼそと自己紹介らしき言葉が聞こえた。

 飾りっけのない月白の色をしたローブが足首まで覆っていた。

 さっきまで被っていたフードをとると、金糸の滝が流れ落ちて両肩や胸元に広がった。

 見つめる瞳も金。

 鼻梁は高く、薄い唇はほのかに赤い。

 わずかに蠢く唇から発せられる細い声が性別をさらに混乱させる。


「知ってるかもしれないけど、神様の敵。

 神殺しのミサ。」

 都市伝説でしか聞かれない二つ名だ。

 でなければ、先の大戦における伝説の勇者の名前。


「で、その神殺しサンが。

 ヴィクセン家の悪魔に何の御用?」

 さっきまで死への恐怖におののいていたとは思えぬ口調でシェスが言った。

 戸惑うようにシェスを見つめるミサに、隣のメールというヴァンパイアはクスクス笑っている。

「私が伝説の英雄の名前を騙っていると思ってない?」

 ミサが僕らに訊いた。

 僕は大きく否定する。


 隣のヴァンパイアの女が、召喚された天使を低級といっていた。

 一瞬はったりかとも考えた。

 が、理由がない。

 それに、僕らのいる世界に具現化できる天使は、魔族冥族の世界に具現化できる天使に比べて、格段に力の差があると言われている。

 僕らの世界に現れる天使は並の魔族冥族を一瞬で駆逐する。


 そんなヴァンパイアを付き人にしているうえに、

「剣の名前は〔神喰らい〕。武器職人ル・ガードに生み出された魔剣。

 天に二つとない魔剣をもってるんだから、その名を信じるしかないと思います。」

 僕は正直に答えた。

「よく知ってるね。」

「一応、契約者の名前と特徴くらいは、覚えてます。」

 シェスが小首をかしげる。

「契約者?」

 先にシェスに説明する必要がありそうだ。

 というより説明し忘れてた。

「英雄墓地に眠る死体の契約者。

 僕とこのヒトが同意すれば、英雄墓地の一部の死体はアンデット化できるんだ。」

「ふーん。

 ってことは、リヤさんとやらもデルが復活させられるの?」

 無頓着に訊くシェスの口を慌てて塞ぐも、時遅し。

 ミサの顔色が変わった。

「何よ! いつだったかスコールが言ってた話じゃない。」

 と僕の手を振り払って、シェスがミサに詰め寄った。

「スコール? スコール・ライネージのこと?

 知り合いなの?」

 とミサは少し驚いた表情を見せた。


 声もだが、表情も乏しい。

 たぶん驚いた表情なんだと思うけど。

 読みづらいヒトだ。

 正直に答えるべきか、否か。

 なんて考えていたが、


 ピクっ。


 視界の端に何かが引っかかって、僕は口を噤んだ。

 そっちには、眉間にしわを寄せて仁王立ちする女ヴァンパイアと小さく震える神官。

 その神官が怯えたようにシェスを見ていた。

 メールもその視線を追って、自然と僕と目が合った。少しだけ首を傾げた。

 ちょっとだけ沈黙が場を覆った。


「そんなヤツ知らん!」

 とタイミング的にはものすごく遅いがシェスがぷいっと横を向く。

 ミサの問いにあからさまな嘘をついた。

 シェスの口撃は続いた。

「助けてくれたことは感謝するわ。

 でも、神殺しだのって名乗ってる段階でアウトでしょ!」

 物怖じしない態度に、ミサは気おされ、仰け反った。


 一触即発の雰囲気に水を差したのは、女吸血鬼だった。

「神殺しと神から生まれた悪魔の子たち。

 似たり寄ったりじゃない。

 それよりさ、コレどうするの?」

 そう言って自分の真下を指差した。


 もちろんコレとはさっき僕らを襲った神官。

 あまりの展開に、体の振るえが止まらないらしい。失禁までしてる。

 ミサは一瞥すると、さも関心なさそうに答えた。

「どうでもいいよ。天使は喰えたし。

 メールが喰らっちゃたら?」

「失礼ね。ヒトを悪食の化け物みたいに言わないでよ。

 神がどうこう言ってるヒューマン族は不味いから嫌いなの。」

 見下した視線を足元に向けたまま心底嫌そうにメールは言った。

 神官は恐怖に涙しながら、卑屈に笑っていた。


「だったら記憶だけ奪ってここから放り出して。

 一般人に聞かれていい話ではないから。」

 一瞥もくれずに言い捨てられ、メールはチッと舌打ちした。

 そして、

「ニンゲンってメンドくさ。」

 と一言毒を吐き、怯える神官の延髄の両脇辺りに指を当てる。

「少しチクっとしますよぉ。」

 看護師の真似事をしながら、チクっのレベルではないくらい人差し指を脳のほうへと突き刺していく。


「ヒッ!」

 あまりのことにシェスが息を呑む。

 メールの作業は一瞬で終わった。

 抜いた指先や神官の後頭部からは血液の一滴も見えなかった。

「あ、れ?」

 さっきまで怯えてたのが嘘のように、神官はぼんやり周囲を確認していた。

 自分が何故ここにいるのか、いや、ここが何処かすら判らないようだった。

 きっと憑き物が落ちた、とはこんな感じに違いない。

「あれれ?

 買い物に行く途中だったはずだけど、ここどこだろ?」

 ふと僕らの姿を認め、おずおずと尋ねてきた。

「す、すみませんが、道に迷ってしまったみたいで、文房具屋はどちらでしょうか?」

「この先の大通りを右に行けばありますよ。」

 誰だよ、とツッコミたくなるような淑女な声色でメールが答えた。

 神官は何度も頭を下げながら大通りのほうへと消えた。


 神に見捨てられた姉弟。

 神を殺そうとしている男。

 神と相反する異世界の女。

 

 神の都カラトンでの出遭い。

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