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ホラー短編

石畳

作者: きり

 私は石畳が嫌いだった。祖母の影響だと思う。

 私がまだ幼いとき、祖母は昔の話を良くしてくれた。実家は農家で、母や祖母に混じって庭で稲穂落としなどしている合間に色々と。日溜まりの中、祖母の話を聞くのは私にとって大事な娯楽だった。もちろん近所の子とおままごとをしたり、縄跳びもしたが、それとは全く別の世界の娯楽だった。祖母の話しは童話だったり、当時の様子を語ってくれたりと尽きる事のない泉のようだった。その中に迷信に近い話や、怪談もあった。石畳の話は今でもはっきり覚えている。


「いいかい、良くお聞き。石にはね、様々な形の命がはいっているんだよ。その土地に染み着いた思いや、日々の気候。そして人の思いも。今度良く見てご覧。中には人の顔をした物もあるから。そういった思いは大事にしないといけないよ」


 それから私は神社へ続く石畳を良く見るようになった。その中にはあからさまに呪ったような顔が、筋となって浮かんでいるように見えた。毎朝、近くの神社にお参りに行くのは家族の日課だったが、私は石畳を避けて歩くようになった。元々、この村には舗装された道はほとんど無く、土の匂いが漂う畦道あぜみちなどがいっぱいあった。

 ある時、母と一緒に神社にお参りに行った時 「靴が汚れるから、ちゃんと上を歩きなさい」と言われた。

 祖母に言われた事を伝えようとしたが、今何か言うと怒られそうだという雰囲気があったので、黙って従った。母の後ろからついていき、出来るだけこっそりと土の上を歩いた。

 そんなある日、友達のみっちゃんの家に遊びに行ったとき、夕飯をご馳走になる事になった。一緒に買い物にでていた母には、すでに了承済みだった。楽しい食事の一時ひとときも終わり、送っていこうとするおばさんを断り一人で帰れると言った。

 その時は道が見えなくても帰れると思っていた。さすがにそのままでは駄目だと、懐中電灯を渡された。さっきまでは楽しい食事の余韻が残っていたが、懐中電灯を探している間、じっと外を見ている私の心には闇が忍び寄っていた。

 玄関の周りだけ包むような裸電球の明かりの外は、すでに別世界だった。もうすぐ梅雨も終わる季節で、最近日が落ちるのが遅くなってきたが、それでも目の前に広がる森の空の上には、うっすらとした蒼さが残っているだけだった。

 あったよ、とおばさんが懐中電灯を持ってきた頃には、すでに一緒に来てと頼むつもりだった。だが、おじさんや、みっちゃんまで見送りに立たれると意地をはった手前、言いにくい雰囲気があった。


「やっぱり一緒に行こうか」


 とおばさんが言い出したのは表情に出ていたのかもしれない。我慢は限界に達していた。 ありがと、と小声で返事をした時、安堵感が口から一緒に漏れた。

 二人で出かけようとした時に、ふと雨がぱらつきだした。いそいそと傘を持ち、私はみっちゃんの傘を借り、濡れ始めた土道を歩き始めた。その頃にはすっかり日が沈んでいた。

 みっちゃんの家を出てどの位がたったろう。その頃には今まで話続けていたおばさんも、だんだん無口になっていた。

 しとしと降り続ける白い筋が、懐中電灯の明かりを横切っていく。左右はシダや木に覆われ、抜け出せない森でさまよっているようだった。普段、昼頃に男の子達とかぶと虫の幼虫を探したりしている場所なのに。もうちょっと歩けば、道が森を沿うようにして左に曲がり、左手には神社が見えるはずだった。そうすると家もうすぐだ。


「さぁ、あとちょっとだね」


 不意に大きく響く声に驚きながらも、おばさんは明るく話し始めた。


「おばさんも、こんなに暗いと一人で帰るのが怖くなっちゃうよ。それを一人で帰ろうとしたんだから偉いねぇ」


 そんな事を言っているうちに、家の明かりが見えてきた。玄関の引き戸は開いており、雨を避けるようにひさしの下に母が割烹着を身につけたまま待っていた。

 砂利を踏む音で気づいたのだろう、私が駆け出す前に母が手を降っていた。


「わざわざ、ありがとうございます」


 足元に抱きついた私をそのままに、母はお礼を言うとおばさんと世間話を始めた。私は一刻も早く居間に戻り、母にここまでの冒険を話したかったが話はなかなか終らない。


「ほら、ちゃんともう一度お礼を言いなさい」


 母にうながされ、お礼をいうとおばさんは帰って行った。


「……一人で平気かねぇ」


 母が見送っている時に、ぼそりと言った。とうとう私は我慢出来なくなって、母を引っ張り家に連れ込んだ。そのまま今日の事を、逐一報告すると満足して眠りこんだ。

 夜中の事だった。玄関の辺りから話声が聞こえてきている。いや、それよりも雨戸を激しく叩く雨音で目が覚めたんだと思う。

 目を覚ますと襖の隙間から廊下の明かりがうっすらと洩れだしている。薄明かりの中、横に寝ている妹がまだ夢の中にいる事を確認し、蒲団からそっと抜け出した。

 襖に近付きなるべく音を立てないように隙間を広げていく。少しづつ太くなっていく光の柱から声が聞こえてきた。


「頼みますよ、雨がこれだけ降り続けている中、まだ妻が帰ってこないんですよ! えぇ、念のため反対側にいる河田さん家まで聞きに行ってきました。お宅も知っての通り、あそこの家の前に道が続いてますから前を通ったら気づくはずなんです。が、通ってないそうなんですよ。森にいるにしてもとっくに懐中電灯の電池は切れてるはずだし、第一、行く理由がないじゃないですか」

「しかし私が見送った時は、そちらに戻ろうとしてましたよ。あの神社の先の切れ目まで見送っていましたし」


 そう答える声は母のもので、若干の焦りを持っている事がわかった。その時におばさんを私も一緒に見送ったのだ。その時の情景を思い出し、少し寒さを感じたように体が震えてしまった。

 あの森……なにかを飲み込むような感じが満ちており、さらに手前にある神社がその静寂を強調しているように感じる。

 そんな物思いから醒めたのは、大人達の話し合いの続きからだった。それは父の声で 、


「わかりました、私たちも探しに出ましょう。一緒に家から、そちらまで探してみますから」


 そう答えると、両親が目の前の廊下を通り、雨合羽や懐中電灯を持って外に出ていく支度をしているのが分かった。私は驚いて思わず襖を開けてしまった。合羽を着ている最中の母に見つかってしまった。


「あぁ起こしちゃったのかぃ、ごめんね。私たちちょっと出かけてくるから、眠れないならお婆ちゃんと一緒にいてね。いい子にしてるんだよ」


 そう言うと、父とみっちゃんのお父さんと三人で雨の中を出ていく。何か予感がしたのだろうか。怖くなってお婆ちゃんの部屋に行ってみる。祖母も起きていたようで、私を見かけると手招きして部屋に呼び入れた。


「あぁ、大変な事になったねぇ。おかあさん達は平気だけど、あそこのお嫁さんはねぇ。大丈夫かねぇ、心配だよ」


 私は何が心配で、何が大丈夫なのかわからなかったが頷いていた。


「お婆ちゃんと一緒に寝るかい?」


 そう言われたが、私はおばちゃんが森の中で迷子になっている所を想像し、とても悲しい気持ちになっていた。怖いけど、神社の所までなら平気。ちょっと探しに行ってみようと思っていた。


「平気だよ」


 そう答えると、私は身を翻し部屋に戻って寝たふりをする事にした。戻って襖を閉めるとお気に入りの赤い雨合羽を取り出し、懐中電灯も探し出した。脳裏には、おばちゃんが私を見つけて駆け寄ってくる光景があり、今度は私が助ける番だ、という想いがあった。ちょっと格好いいじゃないか、という思い上がりがあったと思う。そう思うと勇気がわいてきて、玄関からそっと抜け出した。

 途端に後悔が襲ってくる。外は思いのほか風が強く、玄関の明かりしか見えない。周囲は完全な闇になっていて、明かり一つ見えない状態だった。そのまま私は恐怖に固まってしばらく玄関の柱に捕まっていた。

 そんな視界の隅に、ちらっと光るものがあった。私は震えながらその光ったあたりに目を凝らした。もう一度ちらっと光り、また明かりが消えた。

 おかあさんだろうか? いや、それだったらもう、もっと先に行っているだろう。きっとおばさんだ! 神社の先だし、道は覚えている。きっと行けるに違いない。

 そして私は少しずつと玄関の柱から手を離し、明かりが見えた方向へゆっくりと歩き出した。雨が横殴りに襲いかかり、あっというまに中の寝間着までびしょぬれになった。懐中電灯の明かりは、すぐ目の前の水溜り位しか照らせない。顔を上げようにも雨粒がすぐに目にはいり、まっすぐ前を向いていられない。それでも一歩、また一歩と進んでいく。

 ふと、顔を上げた。何か無意識に心のどこかに触れるものがあったのだろうか。ともかく周りを見ると神社を過ぎ、明かりのあった林のあたりにきていた。


 いた。


 そう、いた、としか言いようが無い。


 私が見たのは、おばさんの後姿だった。

 今も私の雨合羽を吹き飛ばしそうな勢いで、風が吹いてる。

 雨音はさまざまなものにぶつかり、小豆を炒っているかのかのような音を立てる。それに合わせて木立が互いに罵る音も。


 それが目の前の姿を見ただけで、すべての音が消えた。

 おばさんは立っていた。

 別れたときの格好そのままに、傘をさし、左手にはみっちゃんの赤い、小さい傘を腕に下げている。

 ちょっと余裕のあるベージュのスカートは膝下まで隠していて、そこから動こうとしない。


 そう、風など吹いていないかのように。


 よくみると傘をまっすぐに差して、微動だにしていない。

 こんな強風では傘はすぐに飛んでいってしまうはず。

 その後姿が、すこし動いた。

 正確には、少しずつこちらを向いている。

 なにか透明な回転盤に乗っているかのように、体の節々は動いていないのに。


 半身分まわった。

 髪の毛で隠されていた顔の半分が見えた。

 目元はまだ隠れていたが、その口元がつりあがっているのが見える。


 わらっているんだ


 そう認識した途端、全身の毛が逆立ったのを覚えている。その感覚に金縛り状態になっていた私の体は呪縛から解かれ、振り向きながら一目散に逃げ出した。

 振り向いてはいけない。そう念じながら家へ向かって戻っていく。懐中電灯はどこかへ落としたらしく手元にないが、いまはそれどころではなかった。足元にある砂利の感触が道を歩いている事を教えてくれた。

 ふと何かにひっかかり、足がもつれた。勢い、そのまま顔から落ちるようにて砂利道に転がってしまった。

 何かにつまづいたのはわかったのだが、何もこんな時に、と心の中でそう呟き、しかし振り向こうとする好奇心を抑えた。這いつくばりながら立ち上がろうとした時、自分の太ももが視線の中に見えた。そしてその横に立つ足も。


 おばさんの靴と足だった。

 動けなかった。おばさんの靴にはワンポイントになっている赤い小さなリボンがついている。ビニールで出来たような靴には泥ひとつついていない。

 冷気さえともなう感覚が、足元から忍び寄ってきた。


「ねぇ、あそぼ?」


 声がふってきた。

 それはおばさんの声に間違いない。


「ねぇ、あそぼ?」


 再度、そう言われたが私は答えることが出来なかった。


「じゃ、おにごっこの続きをやりましょう」


 その声は、明るく「明日のお料理はハンバーグにしましょう」と言っているのと変らなかった。

 同じ感じで放たれた次の台詞も聞いてしまった。


「つかまったら、今度はあなたが鬼ね」


 聞いた瞬間、なんとなく明るかった視界が一気にもとの闇に戻り、音も耳に聞こえるようになった。

 いや、音は激しく叩く雨音、唸りを上げる木立、吹き荒れる風の音以外なにも聞こえなくなった。

 膝のすりむいたであろう傷が痛み出し、足元は震えた。


「もーいーかーい?」


 おばさんの声が聞こえた。

 どこか遠くにいるようだった。

 ついさっきまで真横にいたのに。


「返事がないなぁー。もーいーのかなぁー?」


 獣の唸り声も聞こえた。

 野犬でも近くにいるのだろうか。

 私は必死に立ち上がり、真っ暗な闇の中を声とは反対の方向に走り出した。


「どーこかなぁー」


 その声だけは、どんなに周りがうるさくてもはっきりと聞こえる。

 おばさんの澄んだ特長的な声が、妙にくぐもっている。

 さくっさくっ、今度はわずかな足音が聞こえる。

 自分の足音なんてまったく聞こえないのに。

 その足音に押されるように、転がるようにして私は走った。

 足音はいつのまにか、ぺたっぺたっっと濡れたものを引きづるような感じに変っていた。

 無間の闇をさ迷っているかのような時、不意に視界のすみに明かりが見えた。

 家をでるときに見かけた明かりに似ていた。


「あそこには、きっとおばさんがいるんだ! 後ろの奴はおばさんに化けた幽霊だ!」


 明かりを見た事によって、心に浮かんだ期待はそのまま願望になり、自分さえも騙していたのかもしれない。

 そのあかりに向かって駆けて行く。

 後ろからの足音は、段々と間隔が短くなってくる。


「みぃつけた」


 嬉しそうなその声は野太くなっており、無理やり言葉を喉の奥から捻り出しているようだった。

 その時に、また何かに躓いてしまった。

 転ぶ瞬間にちらっと後ろに見えたのは、闇より濃い、巨大な影だった。木立の半ばまで伸びた身長、熊よりも厚い肩幅、全身を包むような剛毛、そして頭には特徴的な出っ張り。そして、顔と思われる辺りに見えるのは、血の色を放つ双眸だった。


「さぁ……捕まえた」


 影が手をこちらに伸ばしてきても、動けなかった。さらに影はゆっくりと着実に近づいてきた瞬間、何かが光った。光は影を包み込むようにして輝きを増していく。私の視線は影の足元へと注がれていた。

 それは神社へと続く石畳だった。さっきそれに引っかかって転んだのだ。その石畳の一枚に影は乗っており、次第に周囲の石も光を増していく。その光は神社へと伸びていき、影は引きづられるかのように道を辿っていく。歩いた後の石は光を失い、そのまま影は、神社の拝殿の中へと引きづりこまれていった。姿が中へ完全に消えた瞬間、ドスンッと音がして辺りを沈黙は支配した。  どのくらい時間がたったのだろうか。雨はすっかり止み、辺りには虫の音が聞こえている。私は倒れこんだ姿勢のまま、呆然と神社を見つめていた。

 しばらくして血相を変えた父と母が私を探しにきてくれた。その時の事を言葉にして伝えようとしたが、怖い顔をして途中で静止されてしまった。ただ祖母だけは別だった。彼女はこう語ってくれた。

「あぁ、それは神様が守ってくだすったんだよぉ。ほら、前にも話をしたろう? 石畳には人々の思いが詰まっていると。昔あそこの林は、そりゃ立派な森だったんだよ。そしてね、森の奥には闇が住んでいてね、毎年何人か消えちまうんだよぉ。それで村の人達が安全を願って、あすこの神社を作ったんだぁ。そして最後に偉いお坊さんを呼んでなぁ、祈祷してもらったのさぁ。そしたら、ここに神様が住み着いてくだすったが、慣れない土地で力がない。だから祈りを捧げて寂しさを紛らわしてあげてくださいってなぁ。それからだよ、うちがずっとお祈りを欠かさずに行ってきたのは。だから、きっとお前の事も守って下さったんだろうねぇ」

 そう語ると祖母は私の頭を撫で、布団に寝かしつけてくれた。

 結局、みっちゃん家のおばさんは見つからず、神隠しにあったんだという話になった。

 私は知っている。おばさんはまだあそこにいて、きっと鬼ごっこの相手を探しているんだ、と。大人になった今でも、たまに思い出す。

 いまでは、もう、石畳をみて怖がることはない。

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[気になる点] おばさんと主人公のおばあちゃんの表記でたまに混乱してしまいました。 [一言] みっちゃんのおばさんが、ちょっと可哀想な感じがしてしまいました。 石畳がこのように使われるというのは、昔話…
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