犬神
今まで付き従ってきた、我が主よ。
今まで貴方様をお慕いしてきたのは、我が主、貴方様が私を御救い下さったから。
いつ路地裏でのたれ死んでもおかしくはない、ただの野良犬であった私を御救い下さったのは、貴方様の娘様、姫君様でありました。
姫君様は飢え、死の淵にいた私に餌を与えて、御慈悲を下さった。
私を飢えから御救い下さった。
その時、私は姫君様に大層深い恩を感じたのです。
そして、その恩を返そうと思いました。
ゆえに、姫君様を野党の手より救ったのです。
姫君様への、恩を返す為に。
その後、貴方様は姫君様を救った私に感謝の意を表し、私を飼い犬としてくださいました。
その時の感謝の思いは、今となっても忘れはしません。
貴方様は私に、飼い犬としての居場所をくださいました。
そして、私は姫君様だけでなく、貴方様からもまた、深い恩を感じたのです。
私は、その御恩を返すべく、貴方様にお仕えしてきました。
貴方様の家を守るべく、怪しげな輩を追い払い、姫君様に陰湿に近寄る輩を退治してまいりました。
貴方様からの感謝のお言葉を嬉しく思い、また、精進しようと思えました。
姫君様からの感謝のお言葉に心が温まる思いでした。
貴方様と姫君様の為ならば、この身を捨てる所存でした。
そして、今。
貴方様は私を飢えさせています。
我が身体は土に埋もれ、自由に動くこと叶いませぬ。
これは、貴方様が私に施したこと。
ゆえに、私はここから脱出しようとは思いませぬ。
貴方様が、今、身動きできぬ私の前に、この手の届かぬ場に、そうして餌を置いていることも、何か、考えがあってのことでしょう。
土に埋められ、固められたこの手は、餌に届くこと叶いませぬ。
土より出ているのは、この首のみ。
この首をいくら伸ばそうと、あの餌には届きませぬ。
しかし、この飢えはどうにもならないのです。
この飢えと渇きを解消する為には、無理だと分かっていても、裏路地に居る駄犬のように、餌へと首を伸ばさねばならないのです。
そして、首をのばせば、いかなる結末が待ち受けていようとも、今の私には、生き物としての本能に、抗うことが出来ぬのです。
餌へと伸ばした、我が首の上、貴方様が構えたその刃が振り下ろされたことを、私は知っています。
そして、我が首が貴方様の刃により、この肉体より離れたことを、私は知っています。
そして、今、こうしている私が、私を裏切った貴方様への憎しみによりこの場に残る、怨念であることを、自覚しています。
私は、こうして死した後も、貴方様に使われるのでしょう。
今の私は、貴方様の気にくわぬ者の定めを、崩壊させる為だけに使役される、ただの怨念なのです。
嗚呼、姫君様。
私は、犬の分際で、貴方を好いていたのです。
貴方の為に生きることの出来ぬ、唯の一介の犬に過ぎぬ私が、貴方の傍に居たことは、過ぎたことだったのでしょうか。
いつか、この怨念尽きし時。
私は人に生まれ変わり、貴方の傍にいることを、願います。




