約束(2)
「て、鉄ちゃん!?」
唐突に後ろから抱きすくめられた芳乃は、思っても見なかったことに驚き、拭き損ねた涙は溢れ出し頬を伝う。
「お願いです。こののまま聞いてください」
「……」
振り向こうとした芳乃に、鉄之介が囁くように言い放つ。
「お芳ちゃんとの約束。守れなくてごめん」
「え?」
「迎えに行くって約束したのに、それを破ってしまった」
「!?」
「美濃を離れた時、僕は死んだようなものだと、自分にそう言い聞かせて、お芳ちゃんのことは忘れようと思ったんだ。甘い夢を見ると現実が辛すぎて。だから、一番楽しかった思い出ごと、お芳ちゃんのことも記憶から消していた」
美濃を離れてからの、鉄之介の生活がどんなにつらいものだったか、芳乃にそれを知るすべはない。
けれど、鉄之介は芳乃が知るよりずっと苦労して来たに違いない。
辛さや痛みを知っているからこそ、優しいだけじゃない、今の強い鉄之介がいるのだ。
「てっきり、お芳ちゃんは忘れているのだと思ったけれど。沖田先生かが話してくださったんだ。あなたが、約束を頼りに僕のところに来たのだと。正直、嬉しかった。すごくすごく。けれど、僕にはもう譲れない道が出来ていて、あなたを巻き込むべきではないと思ったから知らないフリを通した」
ほんの少し、鉄之介の声は震えている。
「あなたが出て行くと決めた時、沖田先生は僕も一緒に行くべきだとおっしゃった。あなたと一緒にいること。それも一つの生き方なのだからと」
静かに静かに鉄之介は語る。
優しすぎるくらいの抱擁に、芳乃は切なくなり涙が止められない。
「けれど、鉄ちゃんはもう決めているのでしょう?」
あまりの鉄之介らしさに、泣きながらも笑みが零れる。
鉄之介は芳乃とは来ない。
不器用すぎるくらいの少年の一途さ。
一度歩み出した道を引き返すことも、違えることも出来ないのだ。
安易な幸せよりも、茨の信念を貫く。
鉄之介とはそういう人だ。
「ごめん……」
「謝ったって許さない。本当は針千本飲まなきゃいけないのよ?」
スッと鉄之介から体を離し振り向く。
「お芳ちゃん……」
シュン落ち込んだ鉄之介の顔。
「針千本は許してあげる。けど、代わりに新しい約束してね」
芳乃は精一杯の笑みを浮かべて悪戯っぽく言い放つ。
「決して命を粗末にしないといこと。どんなことがあっても、命を投げ出さず精一杯生き抜くと。そう約束して」
志半ばで散っていったたくさんの命。
それがどれほど多いことか。
命など捨てられると人は言う。
けれど、捨てた命一つがどれほど重いか。
それを知っているのは、死んだ者より遺された者たちだ。
「はい。必ず。どんな困難な道であっても、逃げ出しません。約束しましょう」
そう言って、鉄之介は小指を差し出す。
芳乃はそこに自分の小指を絡める。
「……」
「……」
指と指を絡めたまま、芳乃と鉄之介はどちらともなく唇を合わせる。
唇を重ねただけのたどたどしい口づけ。
それは星々が輝く静かな夜だった。