穏やかな時間(3)
京の町は華やいでいる。
紅葉の季節は過ぎても、長い歴史の中で息づいてきた寺院は厳かに京の町々を彩り、そして静かに息づいている。
「ああ、綺麗だ」
芳乃と同じように感じたのだろう。
隣を歩いていた鉄之介が静かに呟いた。
「本当に」
綺麗だった。
澄んだ空気と町と自然。
人々が右往左往し戸惑う時代の中で、けれどこの空間は不思議と緩やかだ。
流れの中にただそこにある。
「今日は市が開かれているのですよ。行ってみませんか?」
「うん」
その提案に芳乃は大きく頷く。
鉄之介と一緒の時間を共有出来るのならば、場所などドコでもよかった。
それに、今は賑やかな場所にいる方が気がまぎれる。
静寂は、どうしても思い出したくないあの夜のことを思い出してしまうから。
「お嬢はん。見てっておくれやす」
「思い出にお一ついかがですやろか」
「おいでやすー」
櫛や手鏡。
着物や反物。
菓子が売っていたと思ったら、野菜売りがいたり……。
店を見て歩くだけでも楽しい。
「……」
辺りを物色していた芳乃は、一軒の店先にあった簪に目を留める。
艶やかな紅色の簪は、君菊が差していた一つに似ている。
自分には鮮やか過ぎると分かっていても、その美しいそれは芳乃の憧れだった。
男所帯の屯所にいるのだから、あまり洒落っ気を出すものでもないと納得しているのだが、売られているのをみると、つい目が離せなくなってしまう。
「どうしましたか?」
先ほどまで、一定の歩みを保っていた芳乃が立ち止まったのに気が付き、鉄之介が尋ねる。
「あ、ううん。なんでもないの」
「見ていたのはこれ?」
慌てて誤魔化そうとしたのだが、鉄之介は目ざとく芳乃の視線の先の簪に気が付く。
「あ、うん。綺麗な簪だなって思って」
「……おじさん。これ、下さい」
芳乃の言葉を聞くやいなや、鉄之介は即座に店主にそう言葉をかける。
「え!? どうして? 別に私は……」
「いいから。このくらいなら僕でも買えますから。今更なんですけど、入隊祝いとして受け取ってくださいよ」
「まいど!」
店主から鉄之介に手渡された簪は、そのまま芳乃の手に渡る。
「けど……」
「このくらい、僕にさせてください」
照れたように笑いながら鉄之介は言う。
「本当にいいの?」
「ええ。きっと似合うと思いますから」
「ありがとう」
芳乃は早速と簪を髪に挿す。
「変じゃないかな?」
芳乃は不安そうに鉄之介を見る。
ここ何年か、すっかり「女の子らしい」という形容詞からかけ離れてしまっていた。
久しぶりにこういう飾りっ気のあるものに触れると、妙にこそばゆい様な恥ずかしいような気がしてしまう。
「とても似合っています」
「あ、ありがとう」
照れもなくそう言いきる鉄之介の言葉に、芳乃は顔が火照るのが分かる。
他意はない、ただの社交辞令なのだと分かっていても嬉しくて仕方がない。
「じゃあ、今度は私がお礼をしなければ。何か食べたいものとかない?」
「いえ。それならば、付き合ってほしい場所があるのですが」
「うん。いいよ。でも、どこに?」
賑わいの中を歩きながら芳乃は上機嫌で尋ねる。
が、返ってきた答えに思わず足を止める。
その場所はあまりにも意外な場所だった。
「よく、聞こえなかったのだけれど。もう一度言って……」
「油小路に行きたいのです。御陵衛士の方々が亡くなったというその場所に」
忘れようとしていた現実に引き戻される。
芳乃を真っ直ぐに見据えたまま、鉄之介は答えを待っている。
周りの喧騒がやけに遠くに感じる。
先ほどまでの和やかな雰囲気はない。
変わりに何とも言えない緊張感が二人の間にある。
「行きましょう」
芳乃の答えが出る前に、鉄之介はそう言うと踵を返し歩き出していた。