新撰組屯所(2)
「何の騒ぎだと聞いている」
土方は声を強める。
大声を出したわけではないというのに、先ほどの男の声よりも数段凄みが聞いている。
「は、はい。そこにいる娘が、隊士の一人に会いたいとしつこいものでつい……」
その言葉で、二人の視線が始めて芳乃に向く。
「あの! 私、市村鉄之介さんにどうしても会いたいのです。会わせてはいただけないのですか?」
どうやらこの二人は、組の幹部であるらしい。
芳乃は両手を胸の前で握り締め祈るように懇願する。
「ふーん。市村にねぇ」
土方は小さく鼻を鳴らしておもしろそうにニヤリと笑う。
「ふむ。市村君と言うと?」
近藤と呼ばれた男が土方に尋ねる。
「この間の隊士募集で入隊した一人だよ。にしても、あの真面目だけが取り柄のような市村にねぇ」
近藤の問いにサラリと答えて、土方はジロジロと芳乃を見る。
そのからかうような視線にムッとして、芳乃は負け時と土方を見返す。
その視線を受けて取り、土方は「おっ」と声を上げる。
「私は、宮崎芳乃と申します。鉄之介さんとは同郷の間柄でございます。私は暫くして江戸に移り住みまして、今日、江戸からやっと京に辿り着いたのです」
好奇の視線を打ち負かすように、芳乃ははっきりとした口調で言い放つ。
「ほぅ。江戸から京まで……。親兄弟と一緒にか?」
「いいえ。私一人です。父母はすでに亡くなり兄弟はおりませんから」
問いに、芳乃ははっきりと答える。
「これは驚いた」
近藤は目を見開く。
なにせ江戸から京までといえば、相当な距離がある上にこのご時世。治安もいいとはいえない。女の一人旅など無謀に近いことだ。それをまだ幼さが残るこの少女がやってのけたというのだから、驚くのも無理がないことだった。
「ふむ。わざわざここまで来たのには相当な理由があるのだろう。会せてあげようじゃないか」
同意を求めるかのように近藤は土方を見る。
「局長がそう言うなら俺は反対しねぇよ」
あっさりと土方も同意する。
「そういうわけだ。その物騒なものをしまって下がりなさい」
「は、はい」
近藤の一言で固まったままだった男は慌てて刀を鞘に納める。
「し、失礼します!」
近藤、土方に一礼をして男は足早にその場を去る。
が、去り際にジロリと睨まれたのを、芳乃は見逃していなかった。
今、芳乃の前には近藤と土方が歩いている。
芳乃はその後を数歩後に付いていく。
途中出会う者達は、二人の姿を見ると礼して道を譲っていく。
(まさか、いきなりこんな偉い人と出会うことになるなんて)
付いていきながら芳乃は嘆息する。
二人の肩書きを聞いて驚いた。
厳つい男の名は近藤勇。
新撰組局長。
言わずと知れた、新撰組の頂点に立つ男。
そして、もう一人の背の高い男は土方歳三。
新撰組副長。
つまり、新撰組の中心人物の二人に出会ってしまったのだ。
(なんだか、話と全然違うわ)
『人斬り集団』だとか『壬生狼』だとか言われ、恐れられている新撰組。
その頂点にいる男はさぞや恐ろしい者なのだろうと、少々恐れを抱いていた芳乃だったが、前を歩く近藤という男はイメージと違っていた。
確かに厳つい顔をしてはいるが、決して人間離れした殺人鬼などと言うものではない。
それどころか、どこかゆったりとした雰囲気があり、一言二言言葉を交わしただけではあるが、好感を持てる。
が、変わって持てないのは、同じく芳乃の前を歩くもう一人の男。
新撰組副長。土方歳三だ。
自分を見るその目は、からかうような含みがある。
真面目も真面目。大真面目な芳乃にとっては、ひどく腹が立つことだった。
腹が立つと、芳乃は妙に冷静になるところがある。
カーッと頭に血が上って、一定の域に達すると水でもかけられたように、頭がすぅと冷えて相手への攻撃態勢に入るのだ。
それが例え、男だろうと年上だろうと、身分の高い者だろうと関係ない。
怒りの琴線に触れられると、自分でも驚くくらいに、冷静に物事に対処しだすのだ。
今回の応対の男にしても、土方にしてもそうだ。
気持ちが張っている分、怒りが上がるのも早かった。
(失敗しちゃったな)
こともあろうに、副長に生意気な態度を取ってしまったのだ。
怒った様子はないがあの場合、問答無用で切り殺されたって文句は言えない。
なにせ、新撰組は幕府から、『切り捨て御免』の許可を受けている。
突然押しかけて来て、無礼を働いたのは芳乃の方。
理由は十分にある。そう考えて今更ながら恐怖に震える。
「よい建物であろう。大名屋敷にも引けをとらぬ」
何の気もないように、近藤は唐突に芳乃に言葉をかける。
「そ、そうですね」
頭の中で反省会を開いていた芳乃は、近藤の言葉に我に返り慌てて相槌をする。
言われて、芳乃は改めて屋敷を見回す。
外から見てもそうだが確かに立派な佇まいだ。
まだ建てられて間もないらしい。
木の香りをはっきりと感じられる。
ピカピカに磨かれた廊下。
一寸の狂いもないよう建てられた柱。
途中には、大広間や練習場らしき場所もあった。
確かに、下手な大名屋敷よりもずっと立派ではないかと思う。
「あの、前は西本願寺が住まいだったのですよね」
それは京に来る道々情報収集したものだ。
元々新撰組は、西本願寺に間借りしていたのだが、訓練に格好をつけて、相当無茶苦茶な騒ぎをしていたとか。
堪ったものではないのは寺の者たちだ。
ただでさえ荒くれ者の多い新撰組に、ビクビクしながら生活しているのだ。
気の休まる時がない。
そんなわけで、資金は西本願寺が負担をして、この不動堂村の堂々たる屋敷が出来たのである。
新撰組に気を使いに使って、西本願寺の者も気の毒だ。
と、そういう話だ。
新撰組をよく思わない京人の悪意も加わっているのだろうが、どこまでが本当なのか。
「よく知っているな。そうだ。だが、あそこは手狭でな。訓練するにも、不便で行けなかった」
芳乃の問いに、近藤は小さく首を振る。
「坊さんも煩かったしな」
そこに、土方がボソリと付け加える。
「はぁ。そうなんですか……」
二人のその答えに、噂もあながち嘘ではなさそうだと思う芳乃だった。