惨夜(2)
「ひ、土方さんっ。これは一体……」
「……仮隊士風情に話すことじゃねぇ。見なかったことにして寝てろ」
そう吐き捨てると芳乃の間をすり抜けていく。
「え? ちょっと待ってください……」
芳乃の言葉など聞かず、スタスタと去っていく土方。
「およしなさい。君が口を挟むべきことではありませんよ」
「沖田先生!?」
後を追いかけようとしたところを、腕をつかまれ引き止められる。
振り向くと、ここのところ床に伏せっきりだった沖田の姿がそこにあった。
相変わらず顔色がよくない。
月明かりに照らし出された沖田はひどく具合が悪そうだ。
「いけません。部屋に戻ってください」
心もとない足元を見て、芳乃は慌てて沖田を支える。
「僕に構わないで下さいよ」
いつになく、どこか投げやりに言い放ち、芳乃の手を払いのけようとする。
「何言ってるんですか!? そんな今にも、倒れそうな顔色をしてらっしゃるくせにっ」
「どうして……」
「え?」
沖田は搾り出すように言葉を吐き出す。
様子がおかしい。
病に臥しがちな今でさえ、決して感情をむき出しにすることをしない沖田だというのに、今日は芳乃にも分かるくらいに苛立っている。
いや、苛立っているというよりはむしろ……。
「沖田先生……。泣いているのですか?」
芳乃から顔を背けた沖田の顔は見えない。
けれど、うな垂れ微かに体を震わせている沖田の姿は、泣いているかのようだった。
「いいえ。泣いてなどいませんよ。泣くはずがないじゃないですか」
心配して覗きこんだ芳乃に沖田は笑ってみせる。
いや、笑ったつもりだったのだろう。
けれど芳乃には、その顔が泣いているように見えた。
泣き叫んだ方がまだマシの痛い笑顔。
嫌な予感がした。
新撰組では幾度となく殺生ごとは起きた。
けれど、今日はいつもと違う。
何かが違うのだ。
心の中で警鈴が鳴り響く。
「……助けるつもりだったんだ」
途切れ途切れに声が聞こえる。
原田のものだった。
いつもの快活さがない。
どこか神妙な面持ち。
「若い隊士が早まっちまった……」
「……だめだったか」
それに土方の声が続く。
「あいつは藤堂は馬鹿だっ」
苛立たしげな原田の怒鳴り声が、芳乃の耳にはっきりと届いた。
「!?」
何を言っているのか分からなかった。
耳に届いたその名と、言っている意味がうまく組み合わない。
「沖田先生。藤堂って……」
そんなことがあるはずはない。
あの太陽のような人が、こんな血生臭いことに巻き込まれるなどありえない。
そう思うのにどうしてだろう?
心臓が早鐘している。
「……」
沖田は無言になる。
話していいものかと思案している様子だった。
「沖田先生。お願いです。話てくださいっ」
人違いだと。
聞き違いだという答えを聞きたかった。
『やっぱり運命だったんだね』
三度目の偶然で、きっと藤堂はそう言って八重歯を出して、あの太陽のような笑顔を見せてくれるはずだ。
その時は言うつもりだった。
自分は新撰組だと。
違う考えを持っているけれど、友人にはなれますよね? と。
「お芳ちゃんが入る前に、隊を抜けた奴だよ。藤堂平助。元々は僕たちの仲間だったんだ」
沖田はポツリとそう答える。
「それで……その人は……」
「……………………ついさっき死んだよ」
それは妙に平坦な言葉だった。
何の感情も交えない無機質な言葉。
『大丈夫。また会えるよ。そんな気がするんだ』
つい一月前の藤堂の笑顔と言葉が、今もはっきりと思い出せる。
グラリ。
一瞬目の前が真っ暗になり体から力が抜ける。
「お芳ちゃん!? 大丈夫かい?」
心配そうな沖田の声。
いつの間にか、支えていたはずが今は沖田に支えられている。
周りの喧騒がひどく遠くに聞こえる。
これは夢なのかもしれない。
ただの夢。
そう思いたかった。
「……え?」
呆然とする中、視界の端に捉えたのは、ありえないはずの姿。
「どうして……」
「え? お芳ちゃんっ」
沖田の声を聞かず、芳乃は走り出す。
裸足のまま、視界を掠めた人物を追って庭を走り抜けた。




