変革の兆し(3)
サラサラと川が静かに流れている。
芳乃は橋の上に腰掛けて、ボゥッとそれを眺めていた。
今日は非番の日なのだが、大政奉還で屯所内の騒ぎは相変わらずで、静かに休日を過ごすような雰囲気ではない。
近藤は朝から出かけてしまい、他の面々もどこか殺気だっている。
あの沖田ですら、どこか考え深げで何だか近寄り難い。
そんなわけで、とりあえず屯所を出て来たのだが、どうにもどこかに遊びに行くという気分でもなくなってしまって、妙に時間を持て余していた。
「どうしようかな」
大体、独りで遊びに出ても楽しいはずもない。
鉄之介はきっちり隊務がある上、土方の帰京が早まったらしく何かと忙しい。
とても遊びに誘える状況ではない。
かといって、鉄之介以外の屯所の隊士となんて真っ平だ。
この際、君菊のところにでも遊びに行こうかとも思うが、さすがに突然行くのはまずい。
『あんさんなら、いつもでも大歓迎やわ。いつでも遊びにおいでやす』
と言われてはいるが『お客』を取っている時にでも行ってしまったら、気まずいことこの上ない。
せっかくの休みだというのに、すっかり気分が萎えている。
そんな芳乃に付き合うかのように、空まで厚い雲に覆われている。
これではいつ雨に降られてもおかしくない。
「帰ろうかなぁ……」
泣き出しそうな空を見上げて呟く。
帰って昼寝。
そういうのもありだろう。
「お嬢さん。お暇ですか?」
「え?」
唐突に後ろから声をかけられ、芳乃は驚き声のした方を振り返る。
「久しぶりだね」
「と、藤堂さんじゃないですか」
「よかった。覚えていてくれたんだ」
柔和な微笑みに見覚えがある。
会ったのは夏にただの一度だけ。
けれど、その記憶は鮮明だった。
そこにいたのは藤堂平助。
芳乃の窮地を救ってくれた人物。
「どうしたんですか? こんなところで」
あまりに唐突な登場に芳乃は目を丸くする。
「いや、たまたま通りかかっただけだよ。そうしたら、何やらかわいい女子の姿があったから、思わず声をかけようと近づいたら、お芳さんだったという訳だ」
隣に同じように腰をかけて、藤堂は爽やかな笑顔を浮かべる。
「あはは……」
何と答えていいのか分からず、芳乃は乾いた笑いを返す。
こんな爽やか青年にそんなことを言われたら、普通の女子ならばクラリとくるところだろうが、あいにくと芳乃はその手の言葉にはひどく疎いうえ、普段無駄に聞き慣れていていた。
「君のこと、ずっと気にしていたんだが。それでその後、体の調子はどうだい?」
「はい。おかげ様で元気に過ごしています。その節は、本当にありがとうございました」
そう言い、深々と頭を下げる。
「そう。それはよかった。世話になっているという親戚の人とも、うまくやっているんだね」
その言葉に、未だに藤堂は、芳乃が新撰組の屯所に居ることは知らないのだということを思い出す。
「あ、はい。……一緒にいるおじさんは意地悪なのですが、息子さんはとても良い方で優しくしてくれるので、全然平気です!」
心持「おじさん」という言葉に力を込めて芳乃は言い放つ。
もちろん、おじさんというのは土方のこと。
その息子とは鉄之介。
屯所内では口に出来ないこと、せめて外では愚痴りたい。
芳乃の精一杯の嫌がらせ。
「へぇ。もしかして、帰りに迎えに来ていた少年が優しい息子さん?」
「はい。そうです。本当にすごく良い方なんですよ」
「まぁね。人が良さそうなのが顔に滲み出ていたし……。お芳さんは、その息子さんとはいい仲なのかい?」
藤堂は唐突にそんな質問をする。
「え? えぇ!? ど、どうしてそうなるんですか? 違いますよ」
(そうだったらどんなに嬉しいか知れないけれど……)
と、心の中で思いつつ芳乃は勢いよく首を振る。
「それはよかった」
藤堂はニカッと芳乃に笑いかける。
「え? それはどういう……」
「あ! 雨だ」
言いかけた芳乃の言葉を遮り、藤堂は声を上げる。
見れば確かに、川の水面にいくつかの波紋が出来、芳乃の頬にも水滴が落ちて来た。
「雨宿りをしなければ。こっちだ」
言うが早いか、藤堂は芳乃の手を取る。
「あの……」
「今度は風邪をひいてしまう。さあ、早く」
立ち上がると、藤堂は芳乃の手をひいて駆け出した。