変革の兆し(2)
大政奉還。
男がもたらしたその言葉は、屯所内を風のように駆け巡った。
騒ぎは騒ぎを呼び、もうどこもかしこもソワソワと落ち着きなく、話題はそのことばかりだ。
「つまり、徳川の将軍様が将軍ではなくなると。そういうことなのでしょう?」
「そういうことです……」
縁側に腰を掛け、芳乃の問いかけに鉄之介は神妙な顔で小さく頷く。
夏夜以来、東の対の間で芳乃と鉄之介は時々二人っきりで会うようになっていた。
不思議と人の訪れの少ない場所で、心置きなく話をすることが出来る唯一の安息地。
今日もどちらともなく、寝付かれない夜をやり過ごそうとココに来ていた。
「皆、大騒ぎね」
局長である近藤が真偽のほどを確かめにいったらしいのだが、どうやら本当のことらしく、ますます隊士たちは困惑しているのだった。
幕府の長たる徳川家。
徳川慶喜が将軍職を朝廷に返上を申し出たのである。
つまりは最高の実権を朝廷に返すということ。
それは幕府の権力が揺るぎ始めている証拠。
幕府に仕える自分たちはどうなるのか。
新撰組が慌てふためくのも当然である。
「ある程度の方々は噂で知っていたらしいですが、新撰組内にはまったくそんな情報は流れていませんでしたから……。動揺するのは当たり前です」
そう言って、鉄之介はため息を一つ付く。
「鉄ちゃんはあまり動揺していないのね」
鉄之介をジッと見て芳乃は言う。
新撰組に心酔している鉄之介のことだから、もっとショックを受けるのではないかと心配したが、鉄之介の様子は普段と変わりなく落ち着いている。
むしろ周りの動揺につられて、芳乃の方が落ち着かないくらいだ。
「そう、見えますか? それならよかった」
(あ……)
その言葉で気づく。
柔らかく微笑む鉄之介だったが、強く握り締められていた両手が、小刻みに震えている。
「父上が長暇を出された時もこんな感じでした。家族中大騒ぎで。もう世界の終わりだというような。けれど実際は、世界は終わらないし僕たちは生きていかなければならなかった。そして僕は今、ココにいます」
「うん」
もし、市村家が今も美濃にあったなら、鉄之介が新撰組に入ることもなかっただろう。
「時の流れは、いつどこに向かうかなんて分からない。だから、今も『これで終わりじゃない』って思うんです。これからどんな最悪な方向に時代が進んでも、それは僕たち次第でいくらでも修復出来る」
握られた手をフッと解き放ち、鉄之介はその手を見つめ微笑む。
「無限の可能性の中で何を信じるかは自由です。そしてどうせ信じるのならとことん信じたいんです。僕の選択は間違ってはいないと。これが生きてきた意味なんだって」
怖くないはずがない。
先が見えない未来。
けれど鉄之介は身を持って知っている。
怖がってばかりで足を竦ませていては、先にあるかもしれない『幸福』にたどり着けないということを。
芳乃は鉄之介の両手を握り締める。
「お、お芳ちゃん?」
唐突なことに鉄之介は赤くなり瞬きを繰り返す。
「鉄ちゃんの言うとおりだよね。私も一緒に信じる。ここで慌てていても、何も変わらないもの。私たちは、私たちがやるべきことをやればいいのよね」
こういう時、鉄之介のすごさを感じる。
決して目の前の道を見失わない。
その純真な一途さが、芳乃は何よりも好きだ。
ふっと流されてしまいそうな自分を繋ぎ止めてくれる温かな手。
鉄之介に触れその力強さを実感する。
「はい。一緒にがんばりましょう」
十年前と変わらない優しい笑みを浮かべ、鉄之介は芳乃の手を握り返した。