副長命令(6)
屯所に帰り、芳乃は土方にきちんと礼を述べるつもりだった。
花街での君菊との時間。
それは思ったよりもずっと有意義な時間だった。
最初は花街という場所と、土方とそれなりの関係である君菊にひどく困惑したが、馴れてしまえばそれほど悪いということはない。
酒が飲めない芳乃のためにわざわざおいしい菓子を用意してくれて、君菊は自然な雰囲気で芳乃の言葉に耳を傾けおもしろい話もしてくれる。
芳乃に姉妹はいなかったが、姉がいたのならこんな感じだろうかと思うほど、親身で優しくしてくれた。
本当に土方にはもったいない相手だ。
芳乃はそう思うのだが、君菊はことあるごとに土方のことを庇護するのだった。
言葉に出さなくとも、土方は隊士のことを誰よりも考えている。
天女のように美しい君菊に切々と語られれば、誰だってそう信じずにはいられないだろう。
(私、土方さんのことを誤解していたみたいだ……)
言葉は足りないし厳しいが、それは隊士である自分を慮ってのこと。
それを分からない自分はまだまだ未熟だ。
芳乃はそう考え深く反省した……つかの間だけ。
「ただいま戻りましたー」
昼前から出て帰ったのは門限ギリギリ。
今まで屯所をこんなに離れたことはなかった。
不思議と我が家に帰ったような安堵感がある。
知らず知らずのうちに、新撰組に馴染み始めている自分がいて不思議な気分だった。
「おうっ! 芳坊」
草履を脱ぎ揃えていたその時、ドタドタとした足音と共に原田が姿を見せる。
「だから、その呼び方は……」
「花街に男女のいろはを教わりにいったんだって?」
芳乃の言葉を横取り、原田はニタニタと笑う。
「……はい?」
意味が分からず、芳乃は眉を顰め首を傾げる。
「違うだろ。女を買ったんだろ? いやぁ、男同士でつうのはよく聞くが、女同士っていうのもあるんだな、やっぱ……」
続いてやってきた永倉が感心したようにしきりに頷いている。
「な、な、なっ」
あまりのことに、芳乃は酸素を求める金魚のように口をパクパクさせるばかりで、言葉が出てこない。
「お芳ちゃん! 新撰組を辞めて、花街に行くって本当ですか!?」
呆然とする芳乃に向かって、更に追い討ちをかける言葉。
しかも尋ねたのは鉄之介。
かなり取り乱した様子で廊下を走り抜け芳乃に駆け寄ると、涙目で訴えかける。
「て、鉄ちゃんまで! 一体どういうことなんですかっ」
もう恥ずかしさと怒りと情けなさで顔を真っ赤にしながら、芳乃はその場にいる面々を睨み付ける。
「ち、違うんですか?」
「あ、当たり前でしょう! 一体誰がそんなことを言ってるの!?」
芳乃はキョトンとしている鉄之介に掴み掛からんばかりの勢いで言い放つ。
「え? その、皆がそんな噂をしていたものだからてっきり……」
「誰よっ! そんなデタラメ広めている馬鹿野郎はっ」
怒りのオーラが芳乃を包み込み、鉄之介以下二名は思わず数歩後ろにたじろく。
ただ今の芳乃は怒り全開モードである。
「お、俺は知らねぇぞっ」
ギラリと自分に向けられた瞳を受けて、原田は慌てて首を振る。
「俺だって!」
先手を取って永倉も続いて即座に言い放つ。
「だったら、原田さんたちは誰からそんな馬鹿げた話を聞いたのですか?」
質問……というよりは詰問。
有無を言わさぬ強い口調で芳乃は言葉を向ける。
「えーと……。俺たちは土方さんに……だな。うん。まあ、そういうことだ。それじゃあ、これから一杯やろうぜ、新八!」
「お、おうっ! じゃあそういうことで」
爆発寸前の芳乃の様子を察知し、原田、永倉はギコチナイ会話を繰り広げるとサァッと逃げ出した。
「あ……ずるい」
取り残された鉄之介は、青い顔で二人が消えた方角を恨めしそうにみやる。
「土方……さん」
「いや、きっと何か誤解が生じているのですよ、とりあえずお、落ち着きましょう。ね、お芳ちゃん」
低くボソリと呟く芳乃に向かい、鉄之介は懸命に言い募る。
関わってしまったのが不運。
けれど関わってしまった以上、見て見ぬふりも出来ない。
この激情家の幼馴染を止められるのは自分だけとばかりに、鉄之介は懸命に芳乃を宥める。
「これが落ち着ける!? こんな根も葉もないことを言われて! どういうつもりなのか、本人に直接問いただしてくるわっ」
「あ、お、お芳ちゃん!」
止める鉄之介を完全無視して、芳乃はドシドシと怒りに任せて歩き出し、土方の部屋へと向かった。
「お願いですから、無茶なことはしないで下さいよぉ」
後ろから涙声で訴える鉄之介の言葉が届いているのかどうかは……謎である。