副長命令(5)
「君菊でありんす」
深く垂れていた頭を上げたその女性を見たとき、芳乃は天女が現れたのかと思った。
透き通るような白い肌に赤く薄い唇。
確かに化粧はしていたが、その美しさは作られたものではなく、彼女本来が持ちあせているものである。
何より、圧倒されるかのような気品と優雅さが彼女には備わっている。
小さく華奢な身体に豪華絢爛の衣装を身につけ、首元まで塗られた白粉と、襟元を大きく開け見える胸元が艶美さを出している。
芳乃が今まで見てきたどんな女性よりも華やかで美しい。
まるでこの世の者ではないように。
「まあ、今日はかあいらしい方をお連れどすな」
芳乃を見て、君菊は鈴を転がすような綺麗な声を出す。
「あ、あの」
笑顔を向けられ、思わず赤くなって芳乃は口ごもる。
「芳乃はんどすな?」
「え? どうして私の名を?」
「歳三はんから聞いてます」
相変わらずにこにことしながら君菊はそう答える。
「じゃあ、後のことは任せる」
土方は唐突に立ち上がる。
「え?」
「あい。確かに」
驚く芳乃を他所に、君菊は土方に返事をして小さくお辞儀をする。
「ちょっと待ってください! 一体どういうことですか!?」
障子に手をかけた土方を芳乃は慌てて引き止める。
「今日は一日ここで休め」
「えぇっ! ここでって……」
「フラフラしながら仕事をされても、こっちが迷惑すんだよ」
チラリと芳乃を一瞥して、土方はそう言い放つ。
「どうせ屯所じゃあ、何だかんだで休めねぇんだろ。ともかく、一日で疲れをとって隊務に復帰しろ。いいな?」
「ち、ちょっと!」
言いかけた芳乃を無視して、土方の姿はすでに部屋から消えていた。
「無茶苦茶だ」
男ならば花街で休みもいいだろう。
だが、芳乃は女だ。
女が花街で何をするというのだろう?
取り残された芳乃は、ひたすらに途方に暮れるのだった。
何の躊躇もなく閉められた障子の部屋の中には、芳乃と君菊の二人だけ。
君菊が焚き染めていると思われる心地よい香の匂いが漂っている。
不意にその匂いが強くなり顔を上げると、君菊が静々と芳乃に近づいてきていた。
「あ、あの……」
「いややわ。そない怯えなくてもよろしおす。何もとって食おうやなんて思ってまへん」
思わず身を引く芳乃を見て、君菊は袖を口元に置きクスクスと笑う。
「いえ、怯えている訳では……。でも、何が何なのか分からなくて。いきなり訳も言わずココに連れてこられて、一体土方さんは何を考えているんでしょうか」
「まあ、何も。あの人らしいことやけど、それはさぞや驚かれたでしょうな」
君菊の言葉に芳乃は思わず力いっぱい頷く。
「うふふ。芳乃はんは正直でかわいいお人やわ。歳三はんが可愛がるんも分かりますわ」
「……え?」
とてつもなく耳慣れない言葉を聞いた気がして、芳乃は一瞬止まる。
「可愛がるって、誰が誰をですか?」
「嫌やわ。歳三はんがあんさんをです」
「そ、それは間違っていますっ! 可愛がるじゃなくて、苛めるの間違いでしょ!? 土方さんに限って、可愛がるなんて絶対にないですっ」
一瞬、優く微笑む土方を想像して芳乃は身震いをする。
「まぁ、そうですやろか」
微笑をして君菊は言葉を零す。
「そうですっ」
芳乃は力いっぱい返事をする。
「それじゃあ、どうしてわざわざ歳三はんは、あんさんをココに連れてきてくれはったんですやろか」
口元を隠し、瞳だけを芳乃に向けて君菊は問う。
黒いビードロのような瞳が芳乃を見つめる。
その瞳は、どこか芳乃を非難しているかのようだ。
「そ、それは……」
「さっき、歳三はんにあんさんのことを聞いたと言いましたやろ? 歳三はん、言うてはりました。飛び入りで入隊しはったんは、ようけん小さな子供やと。勢いはあるがどうにも気負い過ぎる性質で危なっかしい。この頃は目に見えて疲れてはるし、体にガタが来るんも時間の問題やと……。だから、休みをとらせてココに連れてきたい。ココならば、気兼ねなく休みが取れるやろうからと」
「……」
そんな風に、土方に気にかけられているとは思いもしないことだった。
顔を見れば嫌味を言われ、てっきり自分は嫌われているものだと思い込んでいた。
自分を追い出す機会を狙っているのだと。
今回ココに連れてこられたのも、何か裏があるのだとはなっから疑っていた。
「せやけど、まさかその子が女子や聞いたときは、うちも驚きましたけどな」
君菊はそう言うと、向けた瞳を和らげる。
「私……嫌われている訳じゃないんでしょうか?」
芳乃が神妙な顔で尋ねた質問に、君菊は喉を鳴らして笑う。
「はい。よく言いますやろ? 好きな子ほど苛めたくなるって。ほんま、歳三はんは天邪鬼な方やから……」
屯所に帰った土方が大きなくしゃみをしたのはその時だった。