副長命令(4)
「おいでやす」
入るとすぐに、店主らしき男がいそいそと近付いてきた。
「君菊は居るか?」
その男に土方は言葉をかける。
「これはこれは土方様。もちろんでございます。すぐに部屋に案内致します。……そちらの娘はんは?」
芳乃の存在に気が付き、店主は不思議そうに首を傾げる。
当たり前だ。
どこに女連れで花街に来る客がいるだろうか。
「ああ。こいつはいいんだ。君菊も承知済みだ」
「そうどしたか。ほな、すぐに部屋を準備しますさかい」
もうすっかり顔なじみらしく、何の追求もないまま芳乃も土方と共に部屋に案内された。
どうやら『君菊』というのが土方の馴染みの芸子。もしくは舞妓か。
ともかく、この店の目当ての相手であるらしい。
部屋へと通され、芳乃は敷かれた座に腰を下ろす。
小奇麗に整えられた部屋には、女中が置いていった簡単なつまみと酒の入った銚子が載せられたお膳が目の前に置かれている。
土方と二人っきりの静まり返った部屋には、まだ昼前だというのに酒を交えたらしい賑わいが部屋に響いてくる。
芳乃は落ち着かなく辺りを見回す。
「おい。行儀良くしていろよ、芳坊」
すっかり馴染んだ様子で、土方はお膳に置かれた銚子を傾けている。
「そうは言われても、落ち着かないんですっ」
あまりにも場違いな場所にいるような気がして、一刻も早く逃げ帰りたい気分なのだ。
その上、一緒にいるのが天敵ともいえる土方だ。
どうにもジッとしていられない。
そんな芳乃の様子をおもしろそうに眺めながら、土方はおちょこに注いだ酒を飲み下している。
(もう、何なのよっ)
その視線に気が付き、芳乃は腹立たしさの勢いから、目の前に置かれた酒をおちょこに注ぐと一口で飲み干す。
「に、苦っ」
あまりの苦さに、芳乃は眉を顰め小さく咳き込む。
酒は小さな頃に、戯れに父の飲んでいたものを舐めた程度。
その時は、大人になればうまいと感じるようになるのかと思っていたが、やはり今もどうしようもなく不味い。
「お子様に酒は早ぇよ」
これ見よがしにさも美味そうに酒を飲み干して、土方は意地の悪い笑みを浮かべる。
「私の口には合いません。一生、おいしいなんて思えないです」
芳乃は憮然として言い放つ。
こんなものを美味いと呑む者の気がしれない。
「時に、一つ言っておくことがある」
「はい?」
土方はコトリとおちょこを膳に戻すと芳乃を見る。
「お前、藤堂平助に会ったな」
「え? あの人とお知り合いなんですか?」
自分を助けてくれた気さくな青年。
その名前が土方から出るとは思ってもいなかった。
「奴とはもう二度と会うな」
「え?」
思っても見なかった言葉に、芳乃は箸でつまみかけていた干魚を取り落とす。
「なぜですか?」
「いいから近づくな。これは副長命令だ」
問いかけた芳乃には答えず、静かにそう言い放つ。
「そんなの納得が……」
「失礼しますえ」
言いかけたその時、障子越しに涼やかな女性の声が聞こえた。
「入れ」
そちらに一瞥もせず土方は言い放つ。
「あい」
音もなく障子が開き、現れた人物を見て芳乃は息を呑んだ。