副長命令(3)
なにやらおかしな展開になっている。
芳乃は土方の半歩後ろを歩きながら小さく息を吐く。
どこに向かっているのか、土方はまったく答えてくれない。
蝉が力強く鳴き続け、今日も一日暑くなると告げている。
いや、もうすでに十分すぎるほどに暑いが。
街中に入ってからも、土方の歩調は衰えることがない。
屯所を出てから一度も芳乃を振り返ることはせず、ひたすらに自分の歩幅で歩き続けている。
芳乃と土方とでは、その歩幅はまったく違う。
長身の土方が早歩きをすれば、当然小柄な芳乃は小走りにならなければ追いつかない。
涼しい顔をしている土方に対し、芳乃の額にはジットリと汗が滲んでいる。
(一体何なのよ)
いきなり呼びつけられて馬鹿呼ばわりされて、その上訳一つも言わず炎天下の中に引っ張りだされ、どこに行くとも分からない。
こんな理不尽なことがあっていいのだろうか?
飄々と前を歩く土方に蹴りの一つも入れたい衝動に駆られる。
ほどなくして街中を抜けて、ガラリと雰囲気が変わったその場に、芳乃はサッと顔色を変える。
「ここって」
派手な出で立ちの建物。
妙に化粧を塗りたくった女たちが闊歩し、人目を憚ることなく女たちは男にしな垂れかかり、クスクスと妖しい笑い声を漏らしている。
辺りは香の匂いが立ち込め、どこからか三味線や琴の音色が漏れ聞こえてきて、妙な空間を作り上げている。
今まで一度として足を踏み入れたことがなかったが、さすがに芳乃にもそこがどういう場所なのか分かった。
そこは『花街』といわれる言わば男たちの天国。
男は金を出し女を買い一時の温もりを求める。
女は金と引き換えに男に一時の休息を与え情熱を注ぐ。
「ひ、ひ、土方さん!」
思わず素っ頓狂な声を上げ、前を歩く土方の袖を掴み引き止める。
「なんだよ」
不機嫌な顔をして、土方は初めて芳乃を振り返る。
「あ、あの。ここって……」
「上七軒だ。俺の行き付けの店がここにあるんだよ」
真っ赤になって声を上ずらせる芳乃に向かって、平然と土方は言い放つ。
「い、行き付けて……」
この場所で『店』といえば、多分……いやほぼ確定で床を共にする相手がいる場所ということになる。
なにせここは『花街』
まさかここまで来て、酒の一杯で終わりということもありえるはずがない。
「ほら、行くぞ」
捕まれた袖を鬱陶しそうに引き戻そうとするが、芳乃はそれを離そうとはしなかった。
「す、すみません! 私が至らなかったところもあったと思います。土方さんにも少しは迷惑をかけていたのだと思います。心の中では悪態を付きまくっていたし。ともかく、全部謝りますから!」
「おいおい。なんだよ。唐突に」
土方は急に捲し立て始めた芳乃の姿に面食らう。
「それにしてもいくらなんでもひど過ぎます。怨みますからね!? 生霊になって枕元に立ちますよ!!」
芳乃は半泣きになりながらそういい募る。
土方はこの『花街』のどこかの店に自分を売るつもりなのだ。
最初から芳乃のことはいいように思っていなかった訳だし、今回のことがいい口実になったということだろう。
人が必死でがんばっているというのに、いくらなんでもあんまりだ。
こんな自分を見たら、天国の両親がどんなに悲しむことだろう。
それに、せっかく再会出来た鉄之介とももう会えなくなってしまう。
会いに来てくれたとしても、合わす顔がない。
昨日の星空の会話が最後なんてひどすぎる。
しかも聞いたのは、目の前にいる鬼副長を褒めちぎる言葉だなんて。
一人さめざめとする芳乃。
「は?」
だが、聞いた当の土方は目を丸くしている。
「とぼけないでください! 土方さんは私を売り飛ばす気なんでしょ!? 一度具合が悪くなっただけで、あまりにも冷酷ですっ」
ググッと土方の袖を持つ手に力を込めて、芳乃はキッと土方を強く睨む。
「……」
「……」
妙な沈黙が一瞬その場に落ちるが、やがて小さく震え出す土方の様子に気が付いて、芳乃は思わず掴んでいた袖を離す。
「土方さん?」
「…………ぶっ。あははははっ!」
神妙な芳乃に対し、土方は小さく噴出し、次の瞬間には盛大に笑い出す。
「なっ」
お腹を抱えて、本格的に笑う土方を呆然とみる。
「馬鹿か。だ、誰がそんなことを言った? 大体、てめぇみたいなガキを誰が買うんだ。十年早ぇ……あー、腹が痛ぇ」
声を震わせながらやっとそう言い放つと、またも肩を揺らして笑い出す。
「そ、そんな笑うこと……大体、ならどうしてこんな場所に来たんですか!?」
とりあえず売られるのではないのだと安堵はしたが、今度は勘違いした恥ずかしさも手伝って、沸々と怒りが湧き起こってくる。
「だから言っただろうが。ここには俺の行き付けの店があるって」
「それはさっき聞きましたっ。だから、どうして私まで連れてきたんですか?」
はっきり言って、ここは堅気の女が足を踏み入れる場所ではない。
新撰組が堅気かどうかは別にして、女である芳乃がここに来ても何の意味もないはずだ。
「いいから来い」
にやりと笑い芳乃を促し、暫くすると一軒の店の中に足を踏み入れた。