副長命令(2)
鳥のさえずりが、微かに部屋の中にも聞こえてくる。
差し込む日差しは部屋を明るくしてはいるが、湿度の高いムッとした空気はいなめない。
部屋の戸を開け放っていても、風一つ入り込んでは来ない。
妙に威圧感を漂わせた部屋の中、芳乃は正座をし目の前にいる男に深く礼をする。
「宮崎芳乃。参りました」
そう言うと顔を上げ、眉根を寄せて不機嫌そうにしている男をチラリと盗み見て、ソッとため息を付く。
こうしてみると、本当に整った顔立ちをしている。
農民の出だという話だが、とてもそうは見えない。
この威厳と風格ならば、身分ある武家の出と言ったところで疑う者はいないだろう。
またはどこかの看板役者か。
悔しいことに、ともかくこの男は人を惹き付ける天性のものがある。
土方歳三またの呼び名を鬼副長。
呼び出しを受けたということは、それ相応の理由があるはずだ。
はずなのだが、芳乃にはその理由が思い当たらない。
何か大きな失敗をやらかした記憶もないし、仕事も稽古も人並みにがんばっているつもりだ。
そりゃあ、粗探しをすれば細かい失敗はやらかしているし、叩けば埃の一つも出てくるだろう。
だが、わざわざ副長直々の呼び出し。
まさかそんな細かなことで呼び出しを受けたとは考えられない。
「お前は馬鹿か?」
「はい?」
開口一番、土方に言われた言葉に芳乃は目を丸くする。
思わず土方をマジマジと見返す。
腕組をし、気だるそうに脇息にもたれた土方はあからさまなため息を付く。
「お前、昨日街道で倒れたんだってな」
「えっ!? ど、どうしてそのことをっ。ま、まさか鉄ちゃんが?」
言われて真っ先に思い出したのは鉄之介のこと。
新撰組内でそのことを知っているのは鉄之介だけのはず。
絶対誰にも言わないと約束してくれたというのに、やはり尊敬する土方には黙っていられなかったということか。
妙に裏切られた気分になってしまう。
「違ぇよ。他からの情報だ。つーか、あいつも知ってやがったのか? たくっ。どんなことでも報告は怠るなと言っておいたのに」
土方はあっさりと否定して、最後のほうは独り言のようにブツブツと呟く。
「じゃあ、誰がそのことを?」
鉄之介が言いつけたのではないと知り深く安堵したものの、そんな疑問が残る。
「誰でもいいだろうが。街中にだって隊士は幾人もいるんだ。俺の情報網を甘く見るな」
土方の睨みにハッとして芳乃は両手を握り締める。
そうだ。今は誰からの情報かということが問題ではない。
土方の耳に入ってしまったということが大問題だ。
「も、申し訳ありませんでした! 二度とそんな失態はさらしませんっ。もちろん仕事も手を抜くようなことは絶対に致しません。だから……」
「だからお前は馬鹿だっていうんだ」
芳乃の必死の弁解を遮り、土方は冷たい声で言い放つ。
「え?」
「倒れるほど雑務をしてどうすんだよ。近藤さんはお前になんと命じた? 総司の面倒は見ろといったが、他の隊士の面倒まで見ろとは一言も言っていないだろう。聞けば、洗濯やら個人の部屋の掃除までやってるそうじゃねぇか」
「そ、それは皆が私に頼むから……」
当たり前だと言わんばかりに汚れた着物類を渡され、部屋の掃除も頼まれる。
そういうものなのかと、さして考えもせずにこなしていた。
「そんなもの突き返せばいい話じゃねぇか。馬鹿正直に、いちいち受けてたらきりがねぇだろう。てめぇの洗濯くらいてめぇでさせろ」
「でも!」
ただでさえ『女』の分際で新撰組にいると、冷たい目で見られがちだというのに、そんなことをすれば更に敵を増やすのは目に見えている。
「でもじゃねぇ。いくら雑務をしろと言っても、すべてをやるこたあねぇんだよ。適当に手ぇ抜かなきゃ身体が持たねぇだろうが。大体な、女だからと甘く見るなと言っておきながら、自分が一番女だってことを意識してるんじゃねぇのか?」
「……」
土方の言葉は痛いところを突いてくる。
まさしくその通りなのだから返す言葉がない。
『女』だからと侮られないようにがんばるということは、裏を返せば女だということを意識しているということ。
自分自身が一番引け目を感じているということだ。
「……行くぞ」
黙り込んだ芳乃を見て、土方は徐に立ち上がる。
「え? 行くってどこに?」
「いいから来い」
それだけ言うと土方は部屋を出る。
「ち、ちょっと待ってくださいよ」
サッサと歩く土方の後を芳乃は慌てて追いかけた。