出会い(7)
先ほどまでの焼けるような暑さが和らぎ、少しばかり風もそよいでいる。
心地よいというには湿気がありすぎるが、それでもマシな方だ。
あぜ道を歩く芳乃を、ここち良さそうに揺れる草が時折撫でる。
その感触が幼い時に裸足で駆け抜けた草むらを思い起こさせてなつかしさを感じる。
もちろん一緒にいたのは鉄之介で、そして今となりに居るのも鉄之介。
時も場所も移り変わり、けれどまた出会うことが出来たことが奇跡のようだった。
「やはり、あなたには無理なのではないですか?」
なつかしさに耽っていた芳乃を、鉄之介のその一言が現実に引き戻す。
見れば鉄之介は心配そうな眼差しを向けている。
「そんなことはないっ」
「けれど倒れるなんて……」
「少し気を張りすぎていただけ。大丈夫。すぐに馴れるもの」
「昔からお芳ちゃんは一度言い出したら聞かないのだから」
困ったように鉄之介は笑みを落とす。
「ごめんなさい」
「謝ることではありません。僕はただ心配なんですよ。あなたは女子だ。男でも過酷な新撰組でつらいのではないかと」
「あの、そのことなんだけど、このことは誰にも言わないでほしいの」
もしもこのことが、土方の耳にでも入ればとんでもないことになる。
厭味を言われるだけならまだしも、下手をすれば除隊されてしまう可能性だってある。
「しかし」
「お願い! 二度とこんなことがないようにするし、絶対鉄ちゃんには迷惑をかけないから」
鉄之介に向かって芳乃はふかぶかと頭を下げる。
地面を見る芳乃の耳に、鉄之介の小さな嘆息が聞こえる。
「僕には迷惑をかけてくれていいです。馴れていますら」
「それじゃあ!」
顔を上げると、苦笑する鉄之介の顔があった。
「今回だけは聞かなかったことにします。ただし、これ以上は無理をしないで下さい。何か困ったことかがあったらすぐに言ってください。僕もなるべく気にかけるようにしますから」
「うん。なるべくがんばってみるけれど、どうしても駄目になったら鉄ちゃんに相談するから」
「いつでもどうぞ」
そう言って、鉄之介は照れたように小さく笑う。
芳乃もつられて笑う。
不思議だった。
鉄之介の言葉でフワリと心が軽くなる。張り詰めていた気持ちが楽になる。
「よう、お二人さん! 逢引か?」
辿り着いた屯所の門の先に見慣れた姿があった。
原田左之助。
芳乃が入隊試験をした時に、散々茶々を入れた人物だ。
彼が種田宝蔵院流という槍の使い手で、組の十番隊隊長だということは数日後に知ったことだ。
近藤、土方とも新撰組結成以来の付き合いで気安く話をしている。
見た感じの粗暴さからは想像も出来ないが、新撰組内ではれっきとした幹部クラスの男なのだ。
なのだが、その行動はとても上に立つ者のすることではない。
普段よく芳乃にちょっかいを出してきて、食事の時間を削るほど忙しく立ち回っている芳乃は何度キレかかったかしれない。
いや実際、キレたことは幾度かあるのだが、心持が広いのか鈍いのか、芳乃の棘のある言葉も原田は一向に気にせずめげない。
「そんなんじゃな……」
原田の言いように、芳乃は言い返そうと言葉を吐き出す。
が、言葉は途切れる。
芳乃は原田の姿を凝視し言葉を無くす。
ついさっきまでの怒りは消え去り、代わりに氷を当てられたかのように心臓がヒヤリと縮こまる。
赤。
血、血、血。
頬に首筋に羽織に袴に。
全身に飛び散ってこびり付いたどす黒い血の赤。
父が医者だった芳乃は見た瞬間に分かった。
それが人の返り血であるということが。
しかも浴びたその量から察するに相手がかなりの出血をしたことが分かる。
一人ではないにしろ、その量は尋常ではない。
「何かあったのですか?」
凍り付いている芳乃の代わりに、隣にいた鉄之介が言葉を吐く。
鉄之介の顔色も心なし青い。
さすがにこんなにも散々たる姿を目の当たりにするのは初めてのようだった。
「あぁ。これな。長州の浪士に襲われたんだよ。たくっ。こっちとら早く切り上げて酒でも飲みに行こうていう話をしてたのによ。おかげで中止になっちまったぜ」
顔にこびり付いている返り血を擦りながら、原田は忌々しげに言葉を吐き出す。
「まったくだぜ。おかげで、一張羅が汚れちまってよ」
原田の隣りにいた男も同じように血を浴びている。
髪を月代にし束ね後ろに垂らしている男はさほど大きくなく、かといって小柄ということでもない。眉はキリリと上がり気味で目は垂れている。
年の頃は原田と同じくらいに見える。
言葉を交わしたことは無いが、芳乃もその男の名は知っていた。
永倉新八。
それが男の名前だ。
原田同様、土方たちとは旧知の間からであり、隊の二番隊隊長でもある。
原田とは仲がいいらしく、よく一緒にいる姿を見かけていた。
「相手は……」
声は震えていた。
不思議だった。
暑いはずなのに体の中がシンシンと寒い。
「全員始末したさ。売られた喧嘩は徹底的にやらねぇと」
「当たり前だ。新撰組を舐めてもらっては困る」
何の動揺もない。
平然と二人は言い放つ。
始末した……つまりは殺したということ。
「私、沖田先生のところにいかなければいけないので、失礼します」
素早く一礼し、芳乃は二人の間をすり抜けていく。
ちらりと鉄之介の気遣わしげな視線とかち合ったが、言うべき言葉がみつからなかった。
「やっぱあいつも女なんだなぁ。血ぃ見て恐れをなしたか」
青い顔をして足早にその場を去った芳乃を見て、原田がそう言葉を吐く。
(そんなんじゃないわよ……)
遠くに聞こえたその声に芳乃は心の中で反論する。
怖かったわけじゃない。
ただ、こみ上げてきたのはもっと違う感情。
何と言って表わしたらいいのか分からない。
けれど、ひどく気分の悪いものだった。