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京の茶店にて

注意!<必読>:歴史上の人物が登場していますが、完全フィクションです。

 歴史的事実・年代については、一部差異があることをご了承ください。

 また、ぬるめですが残虐な描写があります。

 

 作者のかなり偏ったイメージと知識のもと作られた作品です。

 それでも構わないという心の広い方のみ、ご観覧いただければと思います。



 慶応三年 八月。

 京の町は今日も暑い。

 蝉がひきりなしに鳴き続け、店先にした打ち水も一時と持たず、乾いた往来を歩く人の足つきもどこか重い。


「今日も暑いどすなぁ」


 打ち水をし終えて、茶店の店主は馴染み客に言葉をかける。


「まったく、やりきれませんわ」


 パタパタと団扇を扇ぎながら客は茶を啜る。


 確かにやりきれない。

 店主は心の中で相槌する。

 打ち水をしたのは今日三度目。

 けれどその効果も無いに等しい。

 気休めにしかならない。

 だがしかし、茶店にはひと時の涼を求めて客足は絶えない。

 そのことを考えれば、まあこの暑さも我慢できないというものでもない。


「暑さのせいやろか。ここのところ諍い事も増えて。昨夜も死人が出た言う話や。京の町も物騒になりましたわ」


 声を潜めて馴染み客は耳打ちする。


「またどすか」


 眉を顰めため息を漏らす。

 その話に取り直しかけた気持ちがまたもや沈む。

 客が言うように立て続けに物騒な事が続いている。

 暑さの所為というのには多すぎるほどに。

 平穏であったはずの京は変わった。

 それにともなってここ数年で客の質も大分変わった。

 親しみ深い京の言葉に混じり、江戸や長州。その他、訛り言葉が行き交っている。

 客に変わりはないのだがどうも物騒でいけない。

 声を荒げ唾を飛ばして話すその姿は、どこか野蛮で京人とは違う人種にも見えてしまう。

 今も店先には、長州か薩摩かという浪士風の男たちが、茶を啜りながらコソコソと話し込んでいる。


(触らぬ神に崇なしやな)


 その間をさり気なく通り過ぎて店主は心の中で呟く。


「すみません」


 店の奥へ引っ込もうとしていたその時少女に声をかけられた。

 ももわれの髪に、小花の髪飾りを差して格子しまの着物姿。

 意志の強そうな眉とどこか愛嬌のある瞳。

 赤みを帯びた薄い唇。

 幼さが残るその顔はどこか人なつっこい。

 目を引く美人ではないが、『かわいらしい』と形容できる容姿をしている。


「はい。どないな御用ですやろ」


 親にお使いを頼まれたか、それとも稽古帰りの休憩をするつもりか、頭の中で思いを巡らせながら、店主はにこやかな顔で頭を下げる。

 下げてから「はて?」と眉を動かす。

 よく見れば少女の姿は旅装束だった。

 足袋にこびり付いた泥具合から、それなりの距離を移動したと見える。

 けれど、少女に連れの姿はなし。


「新撰組の屯所の場所を教えていただけませんか? この近くだと聞いたのですが、道がわからなくなってしまって」


 そんなことに思いを巡らせていると、思いがけない言葉が飛び込んできた。


「新撰組……どすか?」


 数秒の空白ののち店主は少女の言葉を反芻してみる。


「はい」


 それに深く頷く少女。

 顔には笑顔さえ零れている。


「本気どすか? あんさん……」


 店主はマジマジと少女を見る。


 ”新撰組”その名前を聞いただけでゾッとする。


『壬生狼』


 狼のように残忍な人斬り集団。

 京では彼らを知らないものはいない。


 四年前に幕府の清河八郎が京の治安のためと銘打ち、浪士組などと名を付けて江戸で荒くれ共を集めたのが始まり。

 京に入ってきた数百人の者を見たときには目を剥いたものだが、それも一月と経たずして、またも江戸に引き上げていった。

 それに安堵したのも束の間、その中の十数名は京に居座ってしまった。

 それが『新撰組』と改名し、幕府の後ろ盾があることをいいことに、我が物顔で京を闊歩するようになっていた。

 最初数十名だったそれが、今となっては数百名という大集団になっている。

 そんな集団が動けば血が流れないはずがない。

 新撰組が起こす事件はいつも血生臭く容赦ない。


 三年前の事件。

 京を焼き討ちにしようと、池田屋で談合していた討幕派の浪士を襲撃した事件もその一つだ。

 仲間の一人を拷問し口を割らせ、池田屋に乗り込み有無を言わさず刀を抜いた。

 その場は大乱闘となり幾人もの死者が出たという。

 その後、京の道を血染めのダンダラ姿で列を成した新撰組の姿は、後々の語り草にもなったほどだ。


 思えば、あの事件から新撰組の名は皆の知るところとなり、畏怖の対象になったのだ。

 京の危機を救った新撰組の活躍を京人としては応援するべきなのかもしれない。 

 だが、池田屋から出てきた新撰組のあまりにも凄まじい戦いの後は、京人を震え上がらせた。

 『尊敬』よりも『恐怖』が植えつけられてしまった。

 感謝をしていないわけではない。

 けれど、早急で容赦のないその『正義』は、『静けさと平穏』を尊ぶ京では受け入れづらいものだった。 


 目の前の少女と新撰組。

 その二つが結びつきようも無く店主は混乱するばかりだ。


「あそこは、女子が一人で行くような場所じゃあありゃしません。悪いことはいいません。やめたほうがよろしおす」


 店主は大きく頭を振って声を潜める。

 それに対し少女は答える。


「どうしても行かなければいけなのです。会いたい人がいるのです」

「会いたい人?」


 少女の真摯の瞳を見て閃くものがあった。

 親兄弟か恋人か。

 今更だが、少女の言葉に京訛りはない。

 話し方の感じからすると江戸の者なのだろう。

 そもそも、きりりとはっきりとした顔立ちは江戸女のものだ。


「知り合いが居るんどすか?」

「はい」

「そうどしたか」


 なんにしろ少女は決心しているようだった。 

 止めても無駄だろう。

 そんな気がした。


(若いのに難儀なことや……)


 店主は少女の行く末を案じながら、丁寧な説明をし始めた。


「ありがとうございました!」


 聞き終えると少女は深々と頭を下げる。


「いえ。気をつけておいきやす」


 複雑な表情の店主に少女は何度も礼を言い茶店を出ていった。


「大丈夫やろか? あの娘はん。狼の群れに子猫が飛び込むようなもんや」


 隣りで聞いていた馴染み客は神妙そうに少女の後姿を見送る。


「いくらなんでもあないな子供に手は出さんやろ。知り合いが居てはるみたいやし」

「それならいいんやけど」


 そう答えて、何事もなかったかのように茶を啜り団子をつまむ。


「なんにせよ、触らぬ神に崇なしや」


 先ほど心の中で呟いた言葉を声に出し、店主は重く深いため息を付いた。





 茶店を出ると、強い日差しが少女を照りつけた。

 その太陽を仰ぎ見て目を細め、少女はにっこりと微笑む。

 江戸を出て二月。

 長い長い旅路を経て辿り着いた京。

 目指すは新撰組屯所があるという不動堂村。

 『新撰組』

 そこにずっと捜していた人が居る。


「もうすぐ会いに行くわ」


 高鳴る鼓動を抑えつつ、少女は呟き微笑みをこぼす。

 彼女の名は宮崎芳乃(みやざきよしの)

 固い決意を胸に、新撰組を目指し江戸から京へとやってきた少女。

 彼女はまだ知らない。

 思想行き交う京の町の混沌も、目指す『新撰組』で待ち受けている運命も。

 今この時、芳乃は嵐の時代に足を踏み入れたのである。


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