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《短編まとめ》異世界恋愛

「おまえのせいで王太子になれない」と言われましたので

作者: 来須みかん
掲載日:2026/03/09

 その日、グレイス・バレット侯爵令嬢は、王宮で開かれたお茶会に参加していた。


 心地よい春風が、グレイスの栗色の髪をやさしく揺らす。晴れ渡った青空を見上げたグレイスは、空の色を映したような瞳をニッコリと微笑ませた。


(最高のお茶会日和ね)


 今日のお茶会の主催は、この国の王妃だ。

 第一王子の婚約者である公爵令嬢アンジェと、第二王子の婚約者であるグレイスが招待されていた。


 ふわふわな金髪を持つ可憐なアンジェは、王宮騎士団の内情に詳しく、騎士団の職場改善を熱心に王妃に提案している。


 静かに耳を傾けていたグレイスは、アンジェの博識さに驚いていた。


(国の守りである騎士団にもお詳しいなんて、さすがアンジェ様)


 和やかなお茶会が終わり、グレイスは挨拶をするために第二王子ディーンのもとへ向かった。


 執務室に入り、淑女の礼をとったグレイスに、ディーンは声を荒げる。


「来るのが遅いぞ!」


 銀色に輝く髪をかき上げながらディーンは、怒りを含んだ紫色の瞳でグレイスを睨みつけている。


「アンジェ嬢は、もっと早く兄さんと合流していた」

「あれは……」


 アンジェの婚約者である第一王子は、お茶会が終わったころに、アンジェを迎えに来た。そのあと、二人で歩いているところをディーンが見かけたようだ。

 そのことを説明する前に、ディーンに「言い訳しようとするな」と怒鳴られてしまう。


「ここに来るまで、どこに行っていたんだ? まさか、隠れて男に会っていたんじゃないだろうな!?」

「王宮メイドの案内で、お茶会の場からここまで来ました。私のことをお疑いなら、今すぐそこにいる彼女にご確認ください」


 フンッとディーンは鼻を鳴らす。


「おまえがアンジェ嬢のように、美しく可憐な女だったら良かったのに」

「そう言われましても……」


 あんな国一番の美女と比べられては、グレイスも困ってしまう。


「アンジェ嬢は、次期王妃にふさわしいと言われている。だから、王太子はほぼ兄上で決定だ。おまえが無能なせいで、俺が王太子になれないではないか!」


 ディーンの言葉に耳を傾けていたグレイスは、「そうですか」とつぶやいた。


(まさか、勉強も公務も大嫌いなディーン殿下が、王太子を目指していたなんて今の今まで気がつかなかったわ)


 王太子に選ばれる条件は、王子の優秀さだけではなく、婚約者の身分や財力、人脈なども重要になってくる。


 そう考えると第一王子の婚約者は公爵令嬢なので、グレイスより爵位が上だ。しかも、公爵家のほうが豊かな土地を持っている。先ほどのお茶会での、アンジェの博識さもすばらしかった。


「たしかに、第二王子殿下が王太子になれないのは、私のせいかもしれませんね」


 ディーンは、わずかに目を見開いたあと、ニヤリと笑った。


「そうだろう? 理解したなら、今後は俺のためにもっと励め」

「かしこまりました」


 優雅に淑女の礼をとったグレイスに、ディーンは満足そうにうなずく。


(殿下のご期待に応えるべく努力しましょう)


 それからのグレイスは王子妃になる努力ではなく、王太子妃そして、のちの王妃になる努力をはじめた。


(昔から勉強は、苦じゃないのよね)


 そもそもグレイスは、優秀さが王家に認められ、ディーンを補佐するために選ばれた婚約者だった。


 語学は堪能だし、王子がこなさないといけない公務を処理できる能力がすでにあった。


 そんなグレイスが、今から本気で王太子妃を目指そうとしている。


(まず、情報を得ましょうか)


 王太子になる予定がない第二王子の婚約者という立場を考慮して、今までのグレイスは自分から前に出ようとしてこなかった。


 なので、まずは周辺国のすべての言語を話せるという特技を活かして、外交にかかわらせてもらうことから始めることにした。都合がいいことに、グレイスのいとこは優秀な外交官だ。それを利用しない手はない。


(いきなり現れて「生意気に外交官のまねごとを始めた」と思われたら困るから、忙しい方達の手伝いをするていで、少しずつ少しずつ……)


 手始めに、グレイスはいとこの翻訳を手伝ってあげた。その書類自体は、さほど重要なものではない。だからこそ、いとこもグレイスに任せたのだ。その結果、早くて的確なグレイスの翻訳は、いとこに好評だった。ひと月経てば、いとこ以外の外交官達からも翻訳を頼まれるようになった。


 さらに三か月も経てば、外交官達に信頼されるようになり、重要な書類の翻訳まで任されるようになった。


 念のためグレイスが「私が見てしまっていいのですか?」と質問したら、「本当はいけませんが、あなたはのちの王子妃殿下なので、この程度の書類なら問題ないでしょう」と許された。


(なるほど、王子妃予定の私なら、ここまで介入しても許されるのね)


 グレイスが翻訳という名の情報収集にのめり込んでいるころ。


 彼女の婚約者のディーンはというと、新しく王宮メイドになった可憐な男爵令嬢を一生懸命、口説いていた。


 男爵令嬢に陰で心底迷惑がられていることにも、その情報を知った王妃が眉をひそめたことにもディーンは気づけない。


 王妃に呼び出され「グレイスを裏切るようなことをするでない」と言われると、ディーンは不服そうに視線をそらす。


「大切にするも何も、グレイスが俺に会いに来ないから仕方ないではないですか!」

「グレイスからは、『ディーン殿下の命令を遂行するために全力を尽くしています。だから、これまでのように王族の方々にご挨拶にうかがえません』と事前に報告が入っている」

「なんですか、それは?」


「それは私のセリフだ。いったいグレイスに、何を命じたのだ?」

「知りませんよ。あいつが何か勘違いしているのでしょう」


 ディーンは、自分が言った言葉なんて覚えていなかった。


 一方そのころ、グレイスは重要な外交の場に立っていた。他国との会談で通訳をする予定だった者が体調を崩してしまい、急遽代わりにグレイスが通訳をすることになったのだ。


(これは、いい経験になりそうだわ)


 張り切るグレイスの前で、第一王子のウィリアムが、他国の外交官として訪れた公爵をもてなしている。


 それに比べて、ディーンのもとに回ってくる公務は、あたりさわりがないものばかりだ。

 それですら自分で取り組まず、グレイスに押しつけている。


(ウィリアム殿下は、もうすでに様々な公務を任されているのね。陛下の信頼を得ている証拠だわ)


 兄弟そろって、銀髪に紫色の瞳は同じなのに中身はまったく異なっていた。


 会談が始まった。

 グレイスは、通訳としてその場にいたが、優秀なウィリアムに通訳は必要なかった。


(ディーン殿下は、挨拶くらいしかできないのに。兄弟でこうも違うのね)


 一度だけ、公爵が自国のことわざを使ったとき、それがわからなかったようなので、グレイスは第一王子に耳打ちする。


「殿下。今のは、かの国での【雨降って地固まる】です。もめ事や困難などの悪い出来事が起こった後、かえって以前よりも状態が良くなることを指しています」


 グレイスがした仕事はそれだけだ。


 そのとき、わずかにウィリアムの瞳が見開かれた。


(何か失敗したかしら?)


 グレイスは内心であせったが、特におとがめはなかった。


 その後ウィリアムは、つつがなく会談を終わらせた。

 グレイスやその他の外交官達に、ウィリアムは「助かったよ」と声をかけている。


(性格までいいなんて……。ディーン殿下のライバルは強敵だわ)


 ディーンが王太子になるには、このウィリアムより優秀でないといけないのだ。(いばら)の道にもほどがある。


(私も頑張らなくては)


 グレイスは、さらなるやる気に満ちあふれた。


 それから数日後。

 グレイスは王宮で偶然アンジェに出くわした。穏やかに挨拶をかわしたあと、以前、アンジェが王妃に進言していた騎士団の職場改善について質問した。


「王宮騎士団の件ですが、資金はどれほどあれば実行可能なのでしょうか?」

「それは……」


 お茶会ではあれほど堂々としていたのに、今はしどろもどろになっている。


「アンジェ様。参考にお聞きしたいだけなので、目安程度でいいのですよ?」


 気遣うグレイスを、アンジェはキッと睨みつける。


「私は、あなたと違って婚約者から愛されているの! 大切にされているのよ!」

「は、はい?」

(急になんの話?)


 グレイスが不思議に思っているうちに、アンジェは「ウィリアム殿下と会う約束がありますので!」と立ち去ってしまった。


(何か失礼なことをしてしまったかしら?)


 謝りたくてあとを追うと、アンジェはどんどんと人気のない王宮庭園の奥へと進んでいく。


(こんなところになんの用事が……? これは、何かあるわね)


 ライバルの弱点がわかるかもしれないと、そっとアンジェの後をつける。


 王宮庭園の奥で、抱きしめ合っている男女を見つけたグレイスは息を呑んだ。


 麗しい公爵令嬢アンジェを抱きしめているのが、婚約者のウィリアムではなかったからだ。王宮騎士団の制服に身を包んだ青年が、アンジェに口づけをする。


(このことが世に出たら、アンジェ様の評価が一瞬でひっくり返るわ)


 次期王妃にふさわしいどころか、王家に(あだ)なす愚か者。


 あぜんとしているグレイスの隣に、気がつけばウィリアムが立っていた。


 悲鳴を上げそうになったグレイスの唇に、ウィリアムは『静かに』というように人さし指を当てる。


「私との逢引(あいび)きを疑われてディーンに処罰されたくなかったら、君はここで静かにしているんだ。いいね?」


 グレイスが必死にうなずくと、ウィリアムはかすかに口元を緩めた。


 その間も、アンジェと騎士は、うっとりと見つめ合っている。そんな甘い雰囲気をぶち壊すようにウィリアムは、浮気者二人の前に堂々と姿を現した。


 アンジェは「ひっ」と悲鳴を上げて、騎士は弾かれたようにアンジェから体を離す。


「アンジェ嬢。やってくれたね」


 淡々と話すウィリアムに向かって、アンジェは「これは、違うのです!」と必死に叫んだ。隣にいる騎士の顔からは血の気が引き、今にも倒れてしまいそうだ。


「言い訳はいいよ。君たちのことは以前から知っていた。伯爵家の次男で、アンジェ嬢の幼なじみなんだろう? 王宮騎士が王族の婚約者に手を出すなんて、君は命が惜しくないようだ」


 騎士の全身がガタガタと震えだす。


 アンジェがすがるように「ウィリアム様。愛しています」と涙を流すと、ウィリアムは「他の男と口づけを交わしたあと、その男の前で私に愛を囁くなんて気持ち悪い」と眉間にシワを寄せた。


「まったく。見つめ合うだけで我慢しておけばいいものを。まさかここまで愚かだったとは。私達は政略で結ばれた関係なのだから、君の気持ちが私になくても咎めはしないのに」

「そ、そんな……ウィリアム様は、私を愛していますよね?」

「どうして私が、政略結婚の意味すら理解できない愚か者を愛さないといけないのかな?」


 アンジェに向けられたウィリアムの視線は、氷のように冷たい。


「あ、ああ……」


 その場に立っていられなくなったアンジェは、地面に座り込んでしまう。そんなアンジェを見下ろしながら、ウィリアムはため息をついた。


「こうならないように、王宮内ではアンジェ嬢に付きまとっていたのに」


 その言葉でグレイスは、ウィリアムはお茶会が終わるころに迎えにきたことを思い出した。


(あれは、アンジェ様の逢引きを阻止するためだったのね)


 愛情からの行動ではなかったようだ。そして、アンジェが騎士団のことに詳しかったのは、この浮気相手からの情報だったのだろう。


 アンジェは、顔を強烈に歪めた。


「わ、私を失ってもいいの!? 王族の婚約者になれるような高位貴族の娘は、もういないわ! 他国の王女も年齢に差がありすぎる! 王太子になりたければ、あなたは私を黙って許すしかないのよ!」


「その通りだが、私は君やそこの騎士を見逃がすつもりはないよ。王族が侮辱されたままなど許せるはずがない」

「そんな……」


 アンジェは、ガタガタと震えることしかできない浮気相手の騎士を指さした。


「わ、私はこの男に無理やり! 処罰するならこの男だけにして!」


 アンジェの言葉に驚いた騎士は「なっ⁉」と、信じられないような顔でアンジェを見つめた。


「それはできないな」


 ウィリアムが片手を上げると、グレイスが潜んでいた場所とは反対側から数人の王宮騎士が現れた。その中には、騎士団長もいる。


 とっさにアンジェの浮気相手が、アンジェを置いて一人でその場から逃げ出そうとしたが、あっという間に捕らえられた。同じようにアンジェも騎士に取り押さえられている。


「私を置いて自分だけ逃げようとするなんて!?」

「先に俺を裏切ったのはおまえだろうが!」


 醜い言い争いが聞こえてくる。そんな二人にウィリアムは、感情の伴わない目を向けていた。


「さてと。おまえたちには、今から真実の愛を貫き通して消えてもらう。まさか公爵家と伯爵家を同時に潰すわけにはいかないからな」


 ポカンと口を開けた二人は、命が助かったと思い表情が明るくなった。しかし、それもつかの間。ウィリアムは、ニコリと微笑む。


「そうだな……真実の愛をつらぬき平民となったアンジェは、その心の清らかさから伝染病患者だけが集められた施設で働くことになるんだ。あそこは、いつも人手不足だから犯罪者でも歓迎される」


 アンジェから「ひっ」と悲鳴が漏れる。ウィリアムの考えた美しい物語はつづく。


「そして、そんなアンジェを養うべく、真実の愛をつらぬいた元騎士は、過酷な炭鉱夫になる。あそこも犯罪者でも歓迎される環境だからね。二人は必死に働くが、アンジェはじょじょに病に蝕まれ、元騎士も過酷な労働に耐えきれず……それでも二人の純粋な愛は美しく人々を感動させる。うんうん、今度の王立劇団の演目は、これに決まりだね」


 ウィリアムに微笑みかけられた騎士団長は、静かにうなずいた。


 アンジェと浮気相手が、騎士団に連れ去られたあと。


 未だに息を潜めて隠れていたグレイスは、ウィリアムに声をかけられた。


「はぁ、私の婚約者がいなくなってしまった。君の勝ちだよ、グレイス嬢」

「え?」

「ディーンが王太子になりたがっているのでしょう?」

「どうしてそれを!?」

「人脈や情報収集の大切さを、君ならわかっているんじゃないかな?」


 グレイスは、ハッとした。


(ディーン殿下の周りに、ウィリアム殿下の手の者が紛れ込んでいるんだわ。私達の行動なんて、筒抜け……)


 ゾッとすると共に、グレイスは『これが王太子に一番近い王族』と感動してしまう。


 その後、アンジェと浮気相手は「真実の愛に目覚めた」という言葉を残して姿を消した。その結果、王太子が決まる前に、グレイスが王太子妃になることが決定した。


 それは、王子達と年齢が合う令嬢が他にいなかったからだが、他国の外交官との繋がりがある上に、自国の外交官からの評判がすこぶる良かったことも高く評価された。


 王宮に特別な部屋を与えられたグレイスは、これから本格的に王太子妃教育を受けることになる。そんなグレイスのもとに、ディーンが大喜びでやってきた。


「やればできるじゃないか、グレイス! これで俺が王太子だ」

「喜んでいただいて光栄ですわ」

「兄上なんて、婚約者に捨てられただけではなく、隣国の年老いた女王の三番目の婿にされるそうだぞ」


 ディーンはおかしくて仕方ないといった様子だ。

 そんなディーンに、グレイスはニッコリと微笑みかけた。


「ウィリアム殿下のことはさておき、これからの私達の話をしましょう」

「そうだな」

「ではまず、私にこれまでの言動を謝罪してください」

「は?」


 グレイスは、不思議そうに小首をかしげる。


「どうしたのですか? 【私のせいで王太子になれなかったあなた】が【私のおかげで王太子になれる】ようになったのですよ? 感謝しろとは言いませんが、無礼な態度を取り続けていた私への謝罪は当然でしょう」

「な、なんだ? 何を言っているんだ?」


「ディーン殿下は、他国の言語以前に自国の言語も理解できないご様子。これからが大変ですね」

「俺をバカにする気か!?」

「バカにしているのではありません。しかし、あなたは王太子に求められる能力が大幅に足りていないのですよ。私と婚約を続ければ王太子になれるのだから、今から死ぬ気で勉強しないといけません。こういえば、わかりますか?」


 戸惑うディーンとは対照的に、グレイスはニコニコしている。


 今までグレイスは、一度もディーンに言い返したことはなかった。しかし、今はグレイスのほうが立場が上なのだ。なぜなら王太子妃になることが確定している令嬢だから。もちろん偉ぶるつもりはないが、これまでのような乱暴な扱いを受けつづける気もない。


「早く謝ってください。ほらほら、もう勉強の時間になってしまいましたよ」


 ディーンは、部屋に入ってきた屈強な騎士二人に左右から両腕を掴まれて運ばれていく。これからは、四六時中彼らに監視されながら、王太子になるための勉強を高名な先生方に叩きこまれていくのだ。


「は、離せ! ふざけるなっ、グレイス! グレイスー!」


 必死に叫ぶディーンに向かって、グレイスはにこやかに手を振る。


「良かったですね、王太子になれそうで。頑張ってください」


 結論から言うと、ディーンの王太子教育は、ひと月ももたなかった。


 再びグレイスの前に現れたディーンは、王子としての華やかさはどこへやら。目の下に濃いクマができて、頬はげっそりとこけている。剣術も叩きこまれているようで、そでから見えた腕にはアザができていた。


「グレイス……」

「お疲れ様です。ディーン殿下」


 ディーンは、グレイスの視線を避けるようにうつむいた。


「……俺に王太子は無理だ。王太子になれないのは、おまえのせいではなかった。俺の能力や努力が足りなかったからだ」

「そうですか」


 それを理解できただけでも、ひと月の王太子教育は無駄にならなかったとわかる。


「俺との婚約を解消してくれ」

「それはかまいませんが、ディーン殿下はどうされるのですか?」


 年齢や身分が合う令嬢が、この国にはもういないのだ。


「俺は、兄上の代わりに他国に婿入りする。女王は婿に優秀さを求めていない。近々、王位を息子に譲り隠居するそうだ。二人の夫に先立たれ、三番目の夫には話し相手になることと穏やかな老後を求めているらしい」

「そうですね。よくお調べになりましたね」


 さらに情報を追加すると、退位した元女王の夫が野心を持ったり、政治にかかわったりしないように、他国の者が好ましいとされた打診だった。


 ディーンは力なく笑う。


「それなら、俺にでもなんとかできそうだろ? もちろん、勉強と努力は続けるが」


 後悔を滲ませた紫色の瞳が、グレイスに向けられた。


「グレイス。今まですまなかった……」

「謝罪を受け入れます」


 こうして、グレイスとディーンの婚約は解消された。


 その後は自動的に、グレイスとウィリアムが婚約することになった。


 そのウィリアムに王宮庭園に呼び出されたグレイスは、「何事かしら?」と思いながら大人しく待っていた。すると、なぜかウィリアムは、真っ赤なバラの花束を抱えてグレイスの前に現れた。


 驚くグレイスに、ウィリアムは微笑みかける。


「改めて婚約の申し込みに来たよ」

「そんなことをしなくても、私達はもう婚約するしかありませんよ?」


 お互いに、婚約していた相手がいなくなってしまった。


「そうだね。でも、私からの感謝は受け取ってもらえるかな?」

「感謝?」

「ほら、つい最近まで、私の婚約者がアレだっただろう?」


 ウィリアムが言うアレは、婚約者がいながら幼なじみと浮気していたアンジェのことだ。


「だから、結婚にはもう諦めしかなかったよ。王族に生まれたのだから仕方がない、王太子になるのなら見て見ぬふりをして過ごすしかないと、自分に言い聞かせていた。でも……」


 ウィリアムの瞳が、まっすぐグレイスを見つめている


「君が私の耳元で囁いたとき」

「囁く!?」


 そんな無礼なことをウィリアムにするはずがない。慌てたグレイスは、続きの言葉を聞いて落ち着いた。


「ほら、ことわざを教えてくれただろう?」

「ことわざ? ああ、通訳のときのことですか?」

「そうそう。あのことわざのように、もめ事の後、かえって以前よりも状態が良くなることにかけてみたんだ。そうすることで、たとえ私の地位が地に落ちたとしてもね」


 ウィリアムは、それほどの覚悟を決めてアンジェと向き合った。


「その結果、見事に私の悩みが解決したよ。ことわざどおり、地面がこれまでより強固に固まったような気がする。ありがとう、グレイス嬢」


「私のおかげとは思えませんが」と苦笑しながら、グレイスは、差し出された花束を受け取った。


「いや、君のおかげだよ。だって、君に囁かれたとき、【グレイス嬢が私の婚約者だったら良かったのに】と、つい思ってしまったんだ。もちろん、アンジェのような裏切り行為をする気はなかった。でも、アンジェの浮気を見逃がす気が一瞬で失せてしまった」


 ウィリアムは、片膝をついた。


「グレイス嬢。君のことをとても好ましく思っている。どうか私の婚約者になってほしい」


 差し出された手に、グレイスはそっと手を重ねる。


「喜んで。これからは、王太子になるあなたを、王太子妃になる予定の私が全力で支えさせていただきます」

「頼もしいよ。君のことは私が全力で守ると誓おう」


 ウィリアムが浮かべた穏やかな笑みに、グレイスの心臓が小さく跳ねた。


 ウィリアムの婚約者として過ごすうちに、グレイスの心音はどんどんうるさくなっていく。


 こうなってくると、恋愛ごとにうといグレイスも、さすがに自分の気持ちに気がついた。


 ある日、グレイスが「あなたのことを愛しているわ」と囁いた。

 驚いたウィリアムは、すぐに幸せそうに笑う。


「奇遇だね。私もだ。愛しているよ、グレイス」





 おわり


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***

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― 新着の感想 ―
ディーンに言い寄られて迷惑そうにしていたメイドの男爵令嬢、まともな感覚で本当に良かったですね。 勘違いしてなびく様子を見せていたら、伝染病患者施設の看護係が一人追加になっていたかも…。
ディーンの反省→立ち直りが意外だったのはそうなんですけど、1ヶ月でそんな結果出せるなら、なぜ今まで厳しくしなかったんだろう。王太子教育ではなくとも王子教育だってまともにしてなかった様ですし、公務も逃げ…
おやおやまあまあディーンが意外にまともだった。王太子教育前とはすっかり別人。最初から王や王妃が厳しく教育してたらまともに育ったかもしれないのにね。
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