隻眼の家
マクシムス・グルケスは、五十歳を迎えたその年、町で評判の美しい娘アウレアをめとった。新妻の綺羅星のごとく澄んだ大きな瞳には、純粋な憧憬がたたえられていた。その真直ぐなまなざしには年甲斐もなく面映ゆさを感じたりもしたが、やがて疑心を抱くに至った。
不貞の疑いである。
いきさつはこうだ。
マクシムスは隻眼の狼と恐れられた騎士であったが、その頑健な体躯にいよいよ年齢を感じてきたある日、気の置けぬ二人の友を酒場に誘って言ったのだった。
「俺は槍を置こうと思う。随分手柄も挙げたし、金も十分にある。嫁を探すつもりだ」
「そりゃいい。儂は賛成さ」
いつものようにオブセンが、すぐに大きく首を縦に振る。大雑把な男で、結婚と離婚を繰り返し、詐欺や横領にも遭ったのだが、その鷹揚さはついぞ失わなかった。マクシムスが何を始めるときには、いつだって最初に肯定してくれた。
「儂も結婚しなきゃ離婚だって出来なかった。どれも楽しい騒動だったさ。離婚するときは、すぐに知らせろ。一番いい麦酒の樽を開けるからな」
オブセンは麦酒をがぶりと飲みながら笑う。
その対面で、ネリオが顔をしかめる。
「止しておけ。いまさら女に安らぎを求めても、財産と純情を失うだけであろう。適当に遊ぶだけなら許すとしよう」
気取り屋のネリオは、静かに葡萄酒の杯を傾ける。見た目に気を使い失敗や粗相を嫌う痩せた男だ。いつも真っ先に反対を論ずる。そうと分かっていたマクシムスは、古傷の多い太い指で右目の眼帯を撫でながら、断固として言うのだった。
「もう満足に働けん。だが戦場を離れて生きるのは初めてだ。まずは家を構えて家族を迎えようと決めた」
「季節の変わり目は気がおかしくなりやすいから、その類だろう。変な気は起こすな。いかさま魔術師に強欲娼婦、人を騙すに躊躇わぬ咎人は多くいる」
押しとどめようとするネリオを前にしても、マクシムスの心は動かなかった。
「俺は決めたんだ」
「隻眼の狼に変心させのるは、山を動かすより難しいか。仕方あるまい、許してやる。だが我々も口をはさむぞ」
最後にはネリオも折れた。
かくして嫁探しが始まった。むしろ二人の友人が積極に動いた。そして、ほどなくしてアウレアを連れてきたのだ。
アウレアは、まるで一輪の花のようであった。
「マクシムスのことは以前から存じ上げていました。槍を手に勇ましく戦われる姿は、憧れでした」
真直ぐな目でそう言った。町で三番目の商家の娘で、程よく世間を知っておりながらも、純粋であった。
マクシムスの古びた屋敷は、たちまち華やいだ。笑顔を絶やさないアウレアを見るたびに、マクシムスは幸せをかみしめた。オブセンやネリオの心配とは無縁だった。楽しい日々が続いた。
だが新婚の生活に暗雲が立ち込めた。
マクシムスの残された左目からも、視力が失われていったのだ。日々、少しずつ遠くが見えなくなり視界が狭くなっていった。
医者にも見せたが、物の役にも立たなかった。
そのうちに冬が迫り、日が短くなるのと歩調を合わせるように、いよいよ目は悪くなり、ついに杖を手放せなくなった。マクシムスは外に出るのも億劫になり、引きこもるようになった。対照的に、アウレアがあれこれと仕事を引き受けて町へと出るようになった。
やがて聞きたくもない噂が聞こえて来た。
アウレアが、街の外れに住む魔法使いと密会しているのだという。顔立ちの良い若い男で、何やら呪いをする代わりに法外な対価をせびる怪しい男らしい。
マクシムスはすぐに二人の友を酒場に誘った。
「俺はどうすべきだ」
ようやく絞り出した慟哭を、オブセンが丸い腹をゆすって笑った。
「酒盛りの準備をしておいてやるよ。離婚の記念に派手に飲もうぜ」
ネリオはしたり顔で干し葡萄をもてあそんでいる。
「だから止めておけと言っただろう。我々が一番マシな相手だと思って探してきたはずなのに、これだ。女など、男の友情に敵うはずがない」
普段なら言い返すか鼻で笑ってやり過ごすマクシムスだが、この時ばかりはそんな気力は無かった。身も心もアウレアに惚れていた。彼女のいない人生など考えられぬのだ。
「儂が聞いたところじゃ、その魔法使いはずいぶんと変な奴らしい。ある夫婦が子供を亡くした。家を継がせようと思っていた長男だ。そこで魔法使いに生き返らせてほしいと頼んだんだ。すると、生き返らせることはできるが代わりに次男と三男の命をよこせと言ったらしい。とんでもねえ話だ」
「同じような話を耳にした。ある小麦農家が豊作にしてほしいと頼んだ。すると、今年は豊作にできるが来年と再来年は不作になると答えたらしい。まったくあてにならん詐欺師だろう」
「そんな男なんだ、だまされたのも仕方ねえって。諦めろ」
「いや、そんな男に近づくのは貞節の摩耗した証左だろう。縁を切るべきだ」
オブセンとネリオがかわるがわる好き勝手を言うが、マクシムスの霞んだ瞳にはアウレアしか映っていなかった。
「本当にほかの男と逢っていたとなったら、俺は耐えられん」
杖を頼りに何とか家にたどり着いたマクシムスは、その日からアウレアを片時もそばから離さなかった。ほかの男と密会などさせるものかという決意であったが、それも長くは続かなかった。時を置かず、完全に失明したのだ。
マクシムスが自室から出ることはなくなり、「出かけてきますね」と言うアウレアを止められない。アウレアが屋敷の中を歩く音がするたびに、ただ耳を澄ませることしか出来なかった。
そうして傷心の日々を送っていたマクシムスに、ある朝、奇跡が起きた。
「め、目が」
戦場で槍に突かれて以来、眼帯で隠していた右目が早朝の日差しを感じていた。眼帯を引きはがして窓に駆け寄ると、彩り鮮やかな庭が目に飛び込んできた。
「見える」
陽光を受けて緑に輝く中庭では、アウレアが世話をしていた赤、白、紫の花々が咲き誇っている。楡の常緑の葉と白い幹が眩しい。澄んだ青空には濃密な白い雲が浮かんでいる。
「見える。見えるぞ」
目が見えるならば、何よりも目に入れたいのはアウレアだ。だが庭には二羽の鶏がいるだけで、愛妻の姿はない。
「アウレア」
妻の名を呼びながら家の中を探した。
書斎を覗き、厨房を探したがいない。
「アウレア、どこにいる」
階段を上がり露台の扉を開くとようやく妻を見つけた。楠木の瀟洒な椅子に腰かけ、空を眺めている。マクシムスの目が悪くなる前には、よく二人で外の景色を見ながら菓子を食べ茶を楽しんだ思い出の場所だ。
「アウレア、聞いてくれ。俺の目が見えるんだ、見えるようになった」
息せき切って言うと、アウレアはゆっくりとこちらを振り向いた。
「まあ、本当でございますか。なんて素敵なことかしら」
久しぶりに見る愛妻は、どこか様子がおかしい。こちらを向いているのだが、マクシムスを見ていない。かつては目と目を合わせて語り合ったものだが、今はマクシムスの胸元のあたりに視線をさまよわせている。
「どうしたんだ。俺を見てくれないのか」
「どうもしませんわ。目が良くなったお祝いにご馳走を用意しますね」
アウレアは、マクシムスを大げさによけて家に入ると、すたすたと歩いていく。だがふとした拍子に壁に手を当て、そのままそろりそろりと足を運んでいる。
そこで気づいた。アウレアの瞳が光を失っているのだ。
マクシムスはすぐに二人の友を酒場に誘った。
「アウレアは……俺の妻は全くの潔白だった。俺は、自分が情けない」
拳で自分の頭を殴った。もう何度目になるか知れない。
いくつもこぶができていた。
「一体どういうことだよ」
オブセンが首をかしげると、ネリオが不機嫌そうにうなった。
「件の魔法使いだろう。一つの命を助けたければ二つの命を求めた。一度の豊作のためには二度の不作が必要だといった。マクシムスの目を直したいと相談したら、彼女の目の犠牲にしろと言ったのだろう」
「それじゃあ、マクシムスの右目ために自分の両眼を差し出したのか。儂には想像もつかんかった。大した娘さんじゃないか」
「親友である我々を差し置いてマクシムスのために献身的な行動をするとは……我慢がならんな」
あれこれと言い合う友に、マクシムスは問いかけた。
「なあ、俺はどうすればいいと思う。俺はアウレアに何をしてやればよいのだ」
アウレアは、マクシムスが光を失うと献身的に支えてくれた。そして容易く両の瞳を差し出した。さらには、失明してもそれを悟らせないように、目に頼らず家の中を歩く練習までしていた。
そんな妻に、マクシムスは何を返してやれるというのだ。
懊悩するマクシムスに、ネリオが珍しく柔らかい口調で言った。
「ひとまずここはこのネリオとオブセンに預けてくれまいか。我々こそがお前の力にならなければ、友達甲斐がない」
「そうだそうだ」
いつものように首を大きく縦に振るオブセンを連れて、ネリオは行ってしまった。
マクシムスは家に帰ると、普通に振舞った。
アウレアは自分の双眸を犠牲にしてくれたのだが、どうやらそれを隠そうとしている。だから感謝の言葉も伝えられない。
お前のおかげ俺の右目は見えるのだ。素晴らしい景色と美しい妻を見ることができるのだ。そう伝えたくても、伝えられない。
だから庭の花々が美しく咲いたら「御覧、ノギクがきれいに咲いている。黄に白に葉の緑も美しい」とわざとらしくならないよう説明した。アウレアがふとした拍子につまずくと「子猫が寝転んでいるかと思ったよ」と抱き上げたりもした。
アウレアは実に良く暮らしていた。町の人に気付かれることはほとんどなかった。
そんな日々が続いたある朝、マクシムスは奇妙な声で目を覚ました。
「あら、あれ?」
戸惑う声の方に目を向ければ、アウレアが窓から頭を外に出している。慌てて寝台から飛び起きたマクシムスが、その細い腰を両手で抱いて持ち上げると、アウレアと目が合った。
その右目には、確かな光がある。
「どうしたんだ、アウレア。何があった」
「その、私、どうかしたんだと思うの。右の目が見えるの。いえ、普段は見えないというわけじゃないのだけれど、それでもしっかりくっきり見えるのよ」
戸惑った様子でもごもごと言うアウレアを、力いっぱいに抱きしめた。
「どうしたの、マクシムス」
「それはこっちの台詞だ」
事情はすぐに分かった。
昼下がりにオブセンとネリオが訪ねてきた。二人とも左目に眼帯をしていた。
「あの魔法使い、嘘はつかなかったな。詐欺をやったらあの細首を叩き切っていたところだ」
「まったくだ。ああよかった」
ネリオがご機嫌な様子で口元を緩めれば、オブセンもにこやかに笑っている。
それだけでマクシムスにはすべてが察せられてしまった。
「お前たち、アウレアのために目の玉を差し出したのか」
「違うさ。我々の友の大切な人のためだ。君がいなければ何もしない」
ネリオの気取った言い回しに、アウレアは素っ頓狂な声を上げた。
「じゃあ、私のやったことはすべて知られていたってことなの」
「ああ、わかっていたさ。俺のためにありがとうよ。お前が隠そうとするもんだから、今までお礼も言えずにいた。ああ、ようやく言えた。ありがとうよ」
マクシムスが愛おしさにアウレアを抱きしめていると、ネリオがぐいと割り込んできた。
「お前の献身的な行いは、一応は認めてやらないこともないと思った。そこで二人でひとつずつ目を差し出して、その右目を直してもらったのだ」
「ああ、そんな。私の目のために……」
「俺の嫁さんのために、悪いな。ネリオ、オブセン、お前らは本当の友だよ」
マクシムスが心から頭を下げると、二人はそれだけで満足したように笑った。
「我々はマクシムスがいなければ十年も前に死んでいた。片目だけでも隻眼の狼と呼ばれる男がいるのだ。我々とて、まあそれなりに働けるだろう」
「細かいことはどうでもいい。せっかくだから祝いの酒でも飲もうじゃねえか」
これからしばらくしてマクシムスの屋敷は、一つ目の男女ばかり集まる屋敷として、少し有名になった。
陽気なオブセンが町の人に事情を話して回ったため、変にいぶかしがられることはなかった。屈託のないこの男は、アウレアともすぐに仲良しになった。
ネリオはそれでもしばらくアウレアには厳しく接したが、二人の子の名付け親になる約束を取り付けると、ようやく留飲を下げたかのように優しくなった。
男三人と女一人の友情、そして愛情は生涯続いた。彼らの瞳には、いつも綺羅星の如き希望の光があった。
明けましておめでとうございます。
昨年はちょっと環境が変わったために投稿が途絶えがちでしたが今年は頑張りたいです(願望&言い訳)。なお本作は冬の童話祭用に書いたのですが内容が大人向け過ぎたのであきらめたやつです。隙を見てもっと子供向けにリライトしたいと思います(願望)。
更新中の事務屋の竜退治はプロットは完成しているので時間さえ取れればあとは書くだけです(言い訳)。他にも書きかけだったり書きたいものがいっぱいあるので、いっぱい書きたいです(願望)。




