生真面目な令嬢は婚約者の望み通り悪役になります
シルバーウィークなのに、台風が近づいているために予定がキャンセルになった方もいるんじゃないかと思います。
余暇のお供にでもなれたら。
さらっとしたざまあ短編です。
「ジャニス様……わたくし」
「ふん、そなたが泣くことはない、チェルシー。悪役たるレイチェルには消えてもらおう。君だってミッドフィールド家の血を引く者。婚約者が君だっていいじゃないか」
「ジャニスさまぁ……」
「大丈夫、僕に任せて。さぁ涙を拭いて可愛い笑顔を見せておくれ、チェルシー……」
異母妹と婚約者の睦言を耳にしたわたくしは、息を吞んだ。あの二人は何を言っているのだろう。わたくしが、悪役?
応接室のソファで親密な様子を見せる二人に、わたくしは眩暈がした。
◇
わたくし、レイチェル・ミッドフィールドは公爵家の総領娘である。
ミッドフィールド家には、わたくしと、五つ下の双子の弟妹がいるが、家を継ぐのはわたくしだ。
これは長子だからとかではなく、単にミッドフィールド公爵家の血を継ぐ人間がわたくししかいないから。
お母様はわたくしと同じく婿をもらって家を継ぐ立場だったが、跡取りであるわたくしを産んで儚くなったそうだ。
入り婿のお父様は、最初使用人たちの手を借りてひとりでわたくしを育てようとしたようだったが、やはり無理だと判断して、お母様の遠縁から後添えをもらった。
お義母さまとの間に男児が生まれれば、直系ではないものの、場合によってはその子に継がせる道もあったようだが、なんとお義母さまの妊娠中にお義母さまがミッドフィールドの血をまったく引いていないことが判明したのだ。
これはお義母さまが悪いのではなく──彼女はなにも知らされていなかったし、もちろんお父様もご存じなかった──お義母さまの母親であるギード子爵夫人の不貞によるものである。
ミッドフィールド家としては離縁という道を取りたかったようだが、そのころには実の親子のようにお義母さまに懐いてしまっていたわたくしのため、お父様とお義母さまは別れず、わたくしには可愛い弟妹ができたのだ。
頼りないけれど優しいお父様。わたくしを一番に尊重してくださる美しいお義母さま。愛らしい弟と妹に囲まれて、わたくしは幸せだった。
──そう、婚約者ができるまでは。
わたくしとジャニス王子殿下との婚約は、王命で決まった。
側妃様のお子である第三王子のジャニス殿下は、王妃陛下のお子の第一王子殿下、第二王子殿下と違い、王位継承権を返上して他家に婿入りすることが求められていた。
これは王室典範で決められていることだったが、正妃から生まれた嫡出子がいる場合、側妃から生まれた子どもは争いを避けるため、成人後は必ず王位継承権を返上して他家に移る必要がある。そのため、同じ年頃──ジャニス殿下はわたくしの二つ下だ──で公爵家を継ぐ立場のわたくしに白羽の矢が立ったのだ。
ジャニス殿下が生まれた時から内々に打診はされていたようだったが、ちょうどその前年にお義母さまと結婚したこともあり、お父様はのらりくらりと逃げていたらしい。
だが、お義母さまの出生の秘密がわかってしまい、結果ジャニス殿下はわたくしの婚約者となって将来ミッドフィールド公爵となることが定められたのだった。
なぜお父様が逃げていたのか。それは側妃様のご生家であるフォンジュ子爵家のせいだった。
フォンジュ家の人たちはみな見目麗しかったが、それだけだった。
〝無能の花畑〟と陰で謗られるような家と言ったらわかるだろうか。
側妃様も、ジャニス殿下も、フォンジュ子爵や側妃様のご兄弟も、みな薔薇金の髪に新緑の瞳を持ち、たいそう華のある容貌をしていたが、その反面領地経営や社交などの才能はからっきしで、文武共にに劣っている人たちであった。傾国とも呼ばれるその美貌を王家や他家の愛妾や後添い、婿入りに求められ、それだけで数代続いているという稀有な家なのだ。
まぁ、彼らもひどい無能ではなく、最低限ではあるが一定のラインは保っているからこそ、どうにか子爵位の末端に残っているのだが。
ただ、それもかなりギリギリのようだった。側妃様が王室入りする前には爵位返上の話も出ていたくらい、領地経営は困窮していると聞く。
なにせ、側妃様のご衣装代も捻出できる状態ではない財政状況から、特別に陛下の私的予算を流用しているくらいだ。陛下のご寵愛頼みの家。表立っては誰も言わないが、裏ではそんな風に呼ばれているほど、フォンジュ家は貴族としての体面を保てない状態になっている。
そんな家につながる殿下を婿に迎えたならば、彼らの費用をすべてこちらまかせにすることは簡単に予測できるだろう。
事実、王命が下るまでのフォンジュ子爵家の財政は、ありえないことにフォンジュ子爵夫人の生家に頼り切っていたそうだ。
フォンジュ子爵家としては、爵位返上は側妃様のためにもできない。しかしながら溺愛する側妃様とのお別れを選ばなかった陛下は、王命という名でジャニス殿下の婿入りとフォンジュ子爵家への援助を求めてきた。
そんな、王家のわがままによる婚約。なのに──
「僕の好みじゃないな!」
初めて婚約者として対面した時のジャニス殿下の発言である。
好みの話であるならば、ジャニス殿下だってわたくしの好みではない。薔薇金の髪も、新緑の瞳も、整ったかんばせも、美しいとは思うが好みではない。殿下は、その持ち込む難題ごと、我が家にとって好ましくない存在だ。
なのに仕方なくお会いしたその日、初対面で投げつけられた言葉がこれだ。まったくもって好きになれようもない。
だが、王命である。公爵家とはいえ、入り婿のお父様に強く反対できる力はなかった。
わたくしはできる限り交流を持とうと王宮へ向かったり、我が家に招いたりした。少しでも彼との仲がよくなるように。
だが、ジャニス殿下はそんなわたくしの意を酌んでくださりはしなかった。さすがは〝無能の花畑〟、さらには王族として育てられてきたことも相俟って、殿下は他者の気持ちを察したり斟酌したりすることは苦手だった。ご自身の快楽を第一としているその様は、会えば会うほど嫌悪感が募った。
だが、婚約は解消できない。
わたくしにできるのは殿下によってミッドフィールド家がつぶれるのを防ぎつつ、殿下との間にできた子を将来のミッドフィールド公爵に相応しくあるよう教育することだけなのだ。
〝無能の花畑〟を避けるために殿下以外の子を孕みたくても、フォンジュ家の外見特徴は確実に血縁に現れるほど強いため、それも無理な相談だった。
後継にはミッドフィールドの跡継ぎであるわたくしの血が求められるのに、王族である殿下以外の子が許されないなんて耐えられない。
フォンジュなんて、潰れてしまえばいいのに。
けれど、わたくしは由緒あるミッドフィールドの子。逃げることは許されない。
後継者として一人男子を産んでしまえば、あとはその子と殿下を完全に引き離し、ミッドフィールドに相応しい教育を施すとともに、その子を支えてくれる優秀な側近を育てるまで。
幸い、お義母さまが生んでくれた異母弟はなかなか優秀に育ちつつあることだし。血筋のせいで異母弟を当主とすることはできないが、実務を手伝ってもらうことはできるだろう。
ぐちぐちと勝手なことをわめきたてる婚約者に笑みを向けつつ、わたくしは将来に向けて動き出した。
わたくしは貴族だから、家を保つために必死に頑張るしかないのだ。
◇
ジャニス殿下は長じても変わらなかった。
早くから臣籍降下が定められていた殿下は、王子教育ではなく公爵として立つための教育が我が家で施されていたのに、彼はいまだ王籍にあることをいいことにその教育から逃げ回っていた。
陛下から厳しく叱責されてたまに真面目に机に向かっていても、その目には教科書の文字は映らず、ただぼんやりと時を過ごしているのがまるわかりだ。
お父様はそれを見越していたのだろう。ジャニス殿下と時を同じくして、わたくしにも当主教育が施された。
表向きはジャニス殿下がミッドフィールド公爵となるとしても、領地や家のことはすべてわたくしがつかさどると、そういうことね。
勉強は大変だったけれど、期待に応えたくてわたくしは頑張った。努力を重ねれば重ねるほど能力は伸びたから、とても楽しかったわ。
定期的に挟まれる殿下とのお茶会が憂鬱なほど、わたくしは当主教育にのめりこんでいった。
わたくしが十二、ジャニス殿下が十歳の時に定められた婚約は、ジャニス殿下の成人である八年後まで続くはずだった。
だが、ジャニス殿下が成年する前年度、わたくしが十九のときに事態は動く。そう、話は冒頭に戻るのだ。
「ジャニス様ぁ」
「ああ、チェルシー! 本当にお前はかわいいな」
わたくしがわずかに開いたドアの隙間から見ているとも知らず、ジャニス殿下はわたくしの異母妹のチェルシーとむつみ始めた。手足をからませ、唇を交わすその姿を見て、わたくしは嘆息する。
チェルシーの祖父とされる男は平民だったので、その血を引くお義母さまは子爵家出身ではなく、平民出身とされてしまった。
子爵令嬢として育ってきたお義母さまだったが、ギード子爵夫人の不貞が発覚した際、お義母さまはギード子爵家の血縁から外され、父親である平民に所属する者とされたのだ。
公爵家に籍があるといえども、貴族法からは逃げられない。お義母さまは公爵代理の夫人でありながら、平民という立場に置かれてしまったのだ。
そのためチェルシーたち双子は、伯爵家出身のお父様の子どもでありながらも、平民出身のお義母さまの血を引く者として、貴族法に阻まれ公爵家の籍にも伯爵家の籍にも入れることができなくなった。
うちが男爵家あたりであったらどうにか滑り込ませることはできたかもしれないが、貴族の最高位である公爵家は、どうやってもそこらへんが厳しくなってしまう。
なにより、貴族であるお父様の扱いが難しい。公爵家当主であるものの、あくまで代理。双子はミッドフィールドの血筋ではないため、公爵家の子どもとはされない。お義母さまがミッドフィールドの血を引いていたならば少し話は変わってくるけれど、それも違ったために無理だったのだ。
生家からお父様が個別に爵位をもらっていたなら、簡単な試験はあるもののそちらの籍に入れることもできた。だが、お父様は個別の爵位はもっていない。つまりは、双子がミッドフィールドの血を引いていない場合、お父様の子であっても貴族として登録はされないのだ。
けれど、二人には公爵家当主代理の子として恥ずかしくない教育は受けさせたのだ。弟も妹も、きちんとわたくしと同じ教師について勉強させた。あなたたちは純粋な貴族ではないけれど、貴族になれる道はある。そのために勉強を頑張るようにと、発破もかけた。
──なのに、このざまだ。
結婚前の淑女はみだりに異性に触れてはいけない。唇どころか、抱擁すら許されない。
なのにあの子は今、異母姉の婚約者の膝の上に乗り、抱き合い、唇や首筋、胸元まで触れさせている。自らの婚約者ですら許されない距離や行為を、血の繋がった姉の婚約者と行っている。
「ジャニス様……大好き」
「チェルシー、本当にお前は可愛いな。あの真面目くさったレイチェルとは大違いだ。はっ、あいつは真面目であればいいと思っているから、こんなふうに僕を癒してはくれない」
「んふ……お姉様は真面目しか取り柄がないから」
「真面目な悪役だな。はは、あいつに似合いだ」
わたくしはそっと扉から身体を離した。
邸内とはいえ、基本的に移動時にわたくしは一人にならない。彼らの睦言は、わたくしだけでなく、わたくしについていた侍女や従僕たちも見た。皆一様に不快そうに顔をゆがめている。
「お父様のところへ」
小さな声で囁けば、後ろについていた従僕が頷いた。侍女が二人、そっとその場を離れる。
殿下も異母妹もわたくしが訪れたことに気づいていない。彼らは、お互いを貪るのに夢中だ。
この状態を当主であるお父様にお見せしなければ。ああ、あとは殿下の連れてきた側近たち。王宮の官吏であり将来ミッドフィールド家に仕える予定だった彼らは、婚約者同士の面会中は別室でもてなしているから、そちらにも見ていただかなくてはね。
それにしても、本来ならば護衛くらいは室内にいるべきなのにそれすら排除されているなんて……彼らも処罰からは逃げられないだろう。
ねぇ、ジャニス殿下。貴方はわたくしのことを悪役だとおっしゃるのですもの。期待に応えて、わたくしにできる限りの悪役ぶりをお見せしましょう。
仮に婚約破棄ができなくても、殿下を引き取り、側妃様の生活費を肩代わりするという条件で、わたくしは別の夫を持たせてもらわなくては。
あれでは、ミッドフィールドは駄目になってしまうわ。
まぁ、このままわたくし一人が糾弾しても、殿下は聞き入れないでしょう。ならば、わたくしは自分が使える権力をふるうまでよ。
物語のヒロインならば一人で立ち向かうかもしれないけれど、わたくしに振られたのは悪役なのでしょう?
きっちり、闇に堕としてさしあげてよ。
◇
そして今現在、たくさんの人の前で〝無能の花畑〟っぷりを披露した二人は、先ほどまでむつみあっていたソファの上で縮こまっている。
「殿下、なぜこのようなことを……」
「レイチェル様やミッドフィールド家に顔向けできないようなことをなさるとは、本当に情けない!」
わたくしもお父様も黙っているので、代わりに殿下の連れてきた側近たちが殿下を責め立てている。そうよ、もっと言ってちょうだい。そして王宮に帰ってすべてを伝えてちょうだいな。
「だっ、だって!」
十七歳にしては幼い物言いで、ジャニス殿下が反論した。顔をゆがめていても美しいままなのは、さすがはフォンジュ家といったところだ。
「真面目でつまらないレイチェルは僕の妻にふさわしくない! 僕に相応しいのは可憐なチェルシーだ! 公爵夫人にふさわしいのはチェルシーなんだ!」
あくまでも基準が自分な殿下の言い分に、お目付け役の片方が重いため息を吐き出した。こめかみをさするしぐさに、彼の苦労を垣間見る。あのお花畑殿下の側近なんてやってられないわよね。本当に毎回ご苦労様です。
「ジャニス様ぁ……わたくし、嬉しい……!」
援軍を得たとばかりのチェルシーに、今度はわたくしがため息をつきたくなった。目を潤ませて身体をくねらせないでちょうだい。そんなはしたない所作をどこで学んできたのか……頭が痛いわ。
わたくしの異母妹、こんなにお花畑だったかしら? もっと賢いと思っていたのは夢?
ああ、でもきちんと淑女らしいしぐさを確認したのは、もう二年も前だったわ。十七歳の殿下に、十四歳の異母妹。責任を取らせるには早いとも言えない年だ。
「チェルシー、控えなさい」
実娘だからか、お父様がさすがに注意した。不満げに口を尖らすチェルシーに、お父様のこめかみがぴくりと動く。
ええ、わたくしにするように、チェルシーにだってお父様はしっかりと教育を授けてくださったわ。チェルシーは淑女教育だけだったけれど、きちんとしていたらそろそろ婚約者も決めようかという年頃だもの。
あら、あまり気にしていなかったけど、十六にもなって婚約者が決まっていないなんておかしいわね。淑女教育が滞りがちだったから、そちらを先にしていたのかしら。
「公爵、婚約者の挿げ替えを命じる! 僕の妻はチェルシーだ! 僕は、ミッドフィールド公爵となり、チェルシーと生きていく!」
「きゃあ! ジャニス様かっこいい!」
事態を理解していないのがまるわかりな命令を、ジャニス殿下が口にする。そしてその発言を受けて、お花畑が感染した異母妹が歓声を上げる。
公爵家の後継に関して、王家と言えど他者が口を挟むことはできない。
殿下がわたくしの婿になるのは王家とミッドフィールド家の契約なので仕方ないけれど、ミッドフィールドの娘はわたくしだけ。わたくしと婚姻を結ばないならば殿下はミッドフィールド公爵にはなれないし、チェルシーと結ばれるなら……あら、どういう扱いになるのかしら。
チェルシーと異母弟のヴェルダーは、ミッドフィールド公爵代理の庶子という扱いだ。お父様が生家由来の爵位を持っておらず、さらにはお義母さまが平民出身とされたせいで、彼らは生粋の貴族とは言えない。
わたくしは、ヴェルダーにはうちにある従属爵位のうち男爵位を与える予定だったけれど、それだってヴェルダーが男性で、且つ基準である試験に年若くして合格し、その能力を認められたから特例で行えることだ。
いくら優秀とはいえ、ヴェルダーも現状は〝試験に合格したため、庶子だがどうにか公爵家の末端に名を連ねることが許されている〟といった立場にしか過ぎない。男爵位を得てはじめて貴族に戻る扱いとなる。
一方で、チェルシーにはなにもない。
彼女が試験に合格し、さらにはわたくしが新しく与えない限り、彼女の立場はまごうことなき平民だ。単に父親が公爵代理のため、公爵家で養われているというだけの、平民。
ということで、彼女と結婚するというジャニス殿下は、陛下から新たに爵位をいただかないと平民落ち必至である。
陛下はジャニス殿下の能力をごまかして貴族籍を与えるかもしれないけれど、殿下に新たに渡せる領地はないと思う。王妃様や王太子殿下をはじめとした正しい血統の皆様の承諾がないと、王領割譲は許されないもの。
あらあら。どうにかこうにか貴族籍に残るとしても、殿下たちの生活費はどこから出るのかしらね。王宮勤めが殿下にできるとは思えないし、王籍から離れてしまえば王家の予算も使えない。
そしてここまでコケにされては、我がミッドフィールド家からも出せませんわ。もちろん、側妃様をはじめとした、フォンジュ家への援助も。
だって、わたくし、悪役だもの。ねえ?
「……殿下は、色々と勘違いをしておられるようだ。あれだけ教育に力を入れたが、やはりフォンジュはフォンジュだな」
ため息交じりにお父様が言う。馬鹿にされたことがわかったのか、殿下が激昂した。が、すぐさま背後に立っていた殿下の護衛がその肩を押さえる。
「なにをする!」
「一度殿下は王宮にお戻りになりましょう。ここで今決めることはできますまい」
「さよう。陛下にお目通りをしたく、こちらから改めて申し入れる。本日はお引き取りを」
殿下はわめいていたが、冷静な大人たちに運ばれるようにして我が家を去って行った。残されたのは、お花畑が感染した我が異母妹・チェルシーである。
「うぇっ、お父様ぁ……」
「チェルシー、泣けば済むものではない。もとよりお前は難しい立場にいるのだと、あれだけ言って聞かせたのに、なぜ姉の婚約者を盗もうとするのだ」
「だって、だってジャニス様が……」
「殿下に言い寄られて断れないなら、父である私になぜ相談しなかった。なぜ勝手にあのような醜態を晒したのだ」
父親からの叱責に、チェルシーはべそべそと泣き出した。殿下が去ったので、現在の応接間にはお義母さまもいる。娘がしでかしたあまりの出来事に、お義母さまの顔色は紙より白い。
「旦那様、レイチェル様。本当に申し訳ございません。すべて、わたくしの持つ血のせいでしょう……」
「お義母さま!」
お義母さまは立派な淑女だ。ギード子爵令嬢として育ってきただけあり、貴族としてのありようを理解している。その証拠に、顔色を悪くしながらも、気を失うこともなく現実を見据えている。
「わたくしはチェルシーを連れて修道院に参ります。ミッドフィールド家にはいられません」
「カトリーヌ……ああ、ごめん、それしか道はない……」
お義母さまの申し出に、お父様が嘆息した。
「お母様! なにをおっしゃるの!」
「チェルシー、黙りなさい! わたくしも、あなたも、貴族ではないの! あれだけ言って聞かせたのに、なぜ間違いを犯したの!」
「わたくしは公爵令嬢よ!」
鋭い母親の叱責にも、チェルシーは堪えない。かたくなに自身が公爵令嬢であると信じているようだった。せめて公爵家にいる間くらいはしっかりと生活をさせてあげたいというこちらの善意が、悪いほうに働いたようだった。
「貴族特例試験に受からなかった時点で、チェルシーを修道院へ送っていればよかったな……すまない、レイチェル、カトリーヌ、私のせいだ……」
「旦那様……いえ、これはチェルシーの罪でございます。ご厚意に甘えさせていただいたのに、恩を仇で返すような娘で申し訳ございません……」
わたくしの目の前で、愁嘆に暮れる両親と、一人癇癪を起こす異母妹による修羅場が展開されていた。
黙ってそれを見ていた異母弟のヴェルダーが、感情を乗せない硬質な声音で言った。
「いったん、母上たちは修道院へ身を寄せましょう。僕もお供します。ミッドフィールド家のごたごたが収まるまで、目立つ関係者は表へ顔を出すべきでないと思います。異母姉上にはご迷惑をおかけしたうえ、矢面に立たせてしまうので申し訳ないのですが……」
「よくってよ、ヴェルダー。わたくしは次期当主として、また殿下の婚約者として、この事態を収めるべき立場。貴方の言う通り、貴方たちは落ち着くまで身を隠したほうが無難だわ。ああ、チェルシーは戻れないと思うけれど、ヴェルダーは資格があるのだし、ほとぼりがさめたら戻ってらっしゃい。真面目に頑張ったのに、報われないなんてありえないわ」
敏い異母弟はわたくしの意図を理解したのか、深々と頭を下げたのち、「戻りましたらこき使ってください」と告げてきた。
ええ、そこらへんが落としどころね。ヴェルダーに罪はないけれど、チェルシーと双子という立場は消えない。自身の努力でかき消すしかないのよね。
「お姉様! ジャニスさまを取られたからって、ここまでしなくてもいいじゃない! 妹が可愛くないの!?」
どうにも逃げられないと悟ったチェルシーは、わたくしへ矛先を向けた。お花畑が感染した異母妹は、もう取り返しのつかないところまで来ている。
「貴女も、わたくしやヴェルダーのように真面目に貴族としての教育を受け、立場を理解していたらよかったのに。そうすれば、平民出身でも幸せな結婚をさせてあげられるよう、各方面に手を回したわよ? 高位貴族の所作を身に着けていて、貴族のたしなみを理解した女性なら、大きな商会の夫人くらいにはなれただろうに……。第一、ヴェルダーが受かったのだから、あなたも頑張れば特例試験に合格したかもしれないのよ? そしたら下位貴族……そうね、後妻ならば伯爵夫人あたりには潜り込めたわ」
わたくしの真っ当な指摘に、チェルシーはぱくぱくと口を開け閉めした。言葉にならないのだろう。馬鹿な子。お花畑にならなければ、高望みしなければ、きっとどうにでもできたのに。
「チェルシー。貴女は、自分で自分の未来を閉じたのよ」
血を分けた妹であっても、貴女もわたくしに悪役を望むのだもの。手加減などしないわ。
◇
お義母さまは、さわぐ異母妹と共に領地の片隅にある修道院へ向かった。お父様は私財から膨大な寄進を出していたので、チェルシーの費用はわたしが貸し出すと口出しをする。
チェルシーは痛い目を見ないとわからない。異母姉として最後にしてあげられることとして、彼女に借金の返済を求めることにしたのだ。
修道院へは入れるようにする。だが、あの子はそこから出ることは許されず、労働の対価でわたくしへ借金を返してゆく。返せる額しか貸し出さないため、修道院への寄進額は少ない。それだけ向こうでの扱いも渋くなる。
お父様から膨大な寄進をつけられたお義母さまとは扱いが天と地の差になることを肌で感じて、どうにか立場の違いというものを理解してもらいたいものだ。
ヴェルダーは修道院まで付き添いとして向かったのち、領地で代官の一人として経験を積ませることにした。まだ年若いけれど、老練の代官たちに仕込まれて、しっかりとした貴族のありようを学んでほしい。
そして、我が婚約者たる無能の花畑王子はというと。
「なぜだ! 僕は王子だぞ! 公爵家なぞ、僕より下位の存在ではないか! ミッドフィールド公爵家は僕のものだ!」
そんな世迷言を言い放ったため、本格的に王妃陛下と兄王子たち、そしてその場にいた貴族たちの怒りを買った。
王族から抜け、臣籍降下する未来しかないのに、自分の立場を理解してなさすぎる。そんな王子を受け入れたらどうなるか。お花畑がすぎる発言は、殿下の首を絞めた。
陛下や殿下の想定以上に炎上してしまったミッドフィールド公爵家とのいざこざは、さすがの陛下をもってしても鎮火できなかった。なにしろ、王家の者による貴族家の乗っ取り宣言だ。そのままにしていては王政がゆらぐ。
結果、陛下は殿下の王籍を抹消し、フォンジュ家預かりとした。
ただでさえお金のないフォンジュ家は、王家から生活費もなしに押し付けられた王子を持て余したそうだが、彼に他の行先はない。
子爵夫人の生家もこれ以上は無理だと、夫人を半ば無理やりに実家に戻らせたという。現在離婚裁判中だともっぱらの噂だ。
殿下に連座して、側妃様も王城を離れ、離宮とは名ばかりの小さな別荘へ押し込められた。陛下が出す側妃様の費用もかなり削減されたけれど、生きていけるだけいいと思ってほしい。
美貌を武器に他の男性を引き寄せたくとも、まだ彼女の立場は王家にある。王の訪れもないまま、他の道も選べず、ただ朽ちていくだけだろう。
陛下は王妃陛下たちによって、こっぴどく叱られたらしい。
王太子殿下から、これ以上馬鹿な真似はさせないと、直筆の書簡をいただいたので間違いないだろう。
苦労人の王太子殿下へ、早々に譲位させられる日も近いかもしれない。
もちろん、わたくしとの婚約は、殿下の──いえ、ジャニスの有責としてなかったことにされた。
王族籍を奪われ、公爵どころか子爵家の、当主ですらない居候と化したジャニスは、相当荒れたと言う。
けれど、地位も、お金も、婚約による未来もなにもかもなくしたジャニスが何を言ってもどうにもならない。
風の前の塵のように、存在をなくして散っていった。
そうして、残ったわたくしは。
「新しい婚約者を探さなくてはね。今度は、きちんと立場と礼儀をわきまえている者を」
釣り書きの山を前に、未来への展望に胸をときめかせているのだ。
「さようなら、負け犬となったフォンジュのお花畑さん。我が家に花畑はいらないわ。枯れて、大地の肥料となってちょうだい」
もう、何人たりともわたくしの邪魔はさせない。王家にも、お父様にも、誰にも。
もし邪魔をするというのなら──塵も残さず決して差し上げるわ。
だってわたくし、きちんと悪役も務められるのだもの。血縁者にだって容赦をしないわたくしが、家を守るために手を汚すことをためらうわけないでしょう?
レイチェル・ミッドフィールド:公爵家の総領娘。めっちゃ真面目に貴族。
チェルシー・ミッドフィールド:レイチェルの五つ下の異母妹。母親が平民の血を引くため貴族籍に入れていない。ジャニスに寵愛されて勘違いしてしまった。
ヴェルダー・ミッドフィールド:レイチェルの五つ下の異母弟。平民出身扱いだが、貴族特例試験に受かったために、貴族の末端にいることを許可されている。真面目。
ジャニス:側室腹の第三王子。臣籍降下が求められる立場のため、ミッドフィールド公爵家に婿入りする予定。だった。無能なお花畑の名をほしいままにする性質。
ミッドフィールド公爵:レイチェルたちの父親。入り婿だったため色々立場は弱いが、平等に子どもたちを愛するいい父親だった。いい父親だったけれど、貴族になれない我が子に公爵家の教育を施すなど、公爵家当主としては失格。一連の騒動が終わったのち、ヴェルダーが男爵位を得るのと引き換えに隠居した。
ミッドフィールド公爵夫人:実母のやらかしによって、子爵令嬢→公爵夫人→平民というジェットコースターに乗せられた人。修道院へ行ったのちも、夫であるミッドフィールド公爵と面会したりと、そこまで悪い人生は送らなかった。一番の被害者。
貴族と平民でくっきり境界がある世界の貴族のお話でした。
平民から貴族入りするには色々条件が厳しいうえに、高位貴族とは縁付けないルールがある国です。
公爵夫人は母親の不貞が発覚するのが結婚前だったら、後妻でも公爵家には嫁げなかった。本来はその場で離縁コースが、レイチェルの生育もあり後回しになってしまったための悲劇でもあります。もっと弟妹の教育に差をつけておけば…!
公爵夫人に原因があるようにみえて、問題なのは判断の遅い公爵代理ですね。
あと、真面目な人が悪役になりきるって言っても、発想力に限界があると思う。なので本人悪役やってるつもりだけど、普通の対応しかしていないですね。情を剥ぎ取って容赦をしなかっただけ。




