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商品の価格設定を決定すると、ラヴァはメノウに新商品登録の書類を持ってくるように指示を出した。ピシッと背筋を伸ばしたメノウがギルドマスター室を飛び出していくと、ラヴァは気が抜けたようにドカッと椅子の背に凭れかけた。
「それにしても、ジェマさんは本当に規格外だね」
ラヴァは苦笑いを浮かべる。疲れた顔にはほんのりと赤みが差していた。
「いつものギルドメンバーとの価格交渉はこちらが値切ることが多いからね。久しぶりに値上げの交渉をしたら楽しかったよ」
ラヴァはそう言って快活に笑う。ジェマはラルドが言っていた利益を求める道具師たちの話を思い出していた。ラルドも日頃そういう人たちとの価格交渉に取り組んでいるのだ。
「お疲れみたいなのに、粘ってしまってすみません」
「いやいや。大事なことだからね。道具は道具師たちにとって子どものようなものだと俺は認識している。まあ、ただの金稼ぎの道具としか思っていない道具師もいるし、それを悪いと言うつもりもないけれどね」
ラヴァは悲し気に目を伏せた。そして窓の外に視線を向ける。
「俺も昔は道具師をやっていたんだ。丁寧な仕事をすることで誰かが喜んでくれることが嬉しくて仕方がなかった。だけど俺は手が遅くてね。1つの道具を作るために必要な時間が長過ぎた。そのせいで早々に経営は赤字になって、倒産するしかなくなってしまったんだよ。情けないだろう?」
ラヴァは自嘲するように笑う。ジェマは何も言うことができなかった。ジェマも作業スピードに悩んだことがある。人に言えばそれだけできれば十分だと言われてしまう速さでも、ジェマからすればまだまだ不十分だった。その思いは今もなおジェマの中で燻っている。
ジェマはもっと作りたいと発想が浮かぶことは多い。けれどそれを商品化に向けて開発するためには時間がない。開発に集中することができるくらいいつもの商品を手早く作ることができれば。ジェマは常々そんなことを考えていた。
けれどそれをジェマほどの実力のある人物が言っていると、それはただの自慢として反感を買う。スレートから厳しく言われていたことだ。高みを目指すならば信頼している者以外に悩みを漏らしてはいけない。それが道を閉ざすことになり得ないから、と。
ジェマは友人関係を築いたことがない。だから対人関係に対して少々疎いところがある。それを自覚しているからこそ、スレートの忠告は守ろうとしてきた。
「失礼します」
2人の間の微妙な空気は新商品登録の書類を持ってきたメノウによって打ち壊された。ジェマよりもラヴァの方がホッとした顔をしていた。メノウはラヴァの表情に首を傾げたけれど、すぐにいつもの柔らかな表情に戻ったラヴァに手招きをされると考えることを中断した。
「ジェマさん、この書類に記入をお願いしても良いかな?」
「はい、分かりました」
何度か新商品登録の書類を書いたことがあるジェマはさらさらと項目を埋めていく。ラヴァはその手つきを見つめて小さく肩を落とした。そして思考を追い払うように頭を振ると笑みを浮かべた。
「そういえばシヴァリーさんたちはどうしているの?」
「シヴァリーさんたちは辺境伯領で起きた戦争の援軍に向かっています」
「なるほど……騎士団オレゴス支部の方からも物資提供の依頼が来ていたよ」
「そうなんですか?」
「ああ。道具師ギルドは欲しいと言われたものを道具師たちから買い上げてまとめて騎士団と取引をすることも仕事のうちだからね。騎士団もギルドも王族に仕える機関の1つであることに変わりはないから」
ラヴァの言葉にジェマはふと昔のことを思い出した。戦争が起きると道具師ギルドの職員が自宅を訪ねてきて、スレートの道具を買いに来ていた。スレートは武具は一切渡さなかったけれど、怪我を直すポーションや携帯食料については渡すようにしていた。
本当ならば戦争になんて協力したくない。けれど自国の兵士の命も見捨てることができなかった。スレートは顔見知りの兵士たちや騎士たちの顔を思い出しては苦渋の決断をしていた。
「シヴァリーさんたちのこと、心配だよね」
ラヴァの言葉にジェマは頷いた。戦地へ送り込む手伝いをしてしまった分、今までの戦争よりも不安を募らせていた。全員が無事に帰ってくる保証はない。
「今回は補給兵と看護兵の数が足りないという報告も来ているんだ。攻撃こそ最大の防御と言う指揮官もいるけれど、戦争は攻撃だけでは負けてしまう。防御が完璧なことに越したことはないんだよ」
ラヴァは不安げに言う。ジェマはその言葉に書類を記入する手が止まってしまった。ジェマは書類に視線を落としたままぐるぐると考え込む。
「ジェマさん?」
ラヴァが声を掛けると、ジェマはハッとして顔を上げた。ジェマのサファイア色の瞳が揺れる。それを見たラヴァの表情が厳しくなった。
「ジェマさん。道具師の本分は道具を作ることだ。それでサポートをすることはあるけれど、戦場に出ればただの足手まといだからね」
ジェマもそれは分かっていた。だから頷いた。けれど心のどこかに空いた風穴からビュービューと冷たい風が吹き込むような不安感を拭い去ることはできなかった。