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第8小隊の面々は戦争の準備を整えるとジェマがいる〈タンジェリン〉の工房へと走った。ジャスパーがジェマの元へ向かうと、ジェマは相変わらず頭を抱えていた。
「ジェマ! 緊急事態だ。転移魔法の錬金魔石を譲ってやってくれ」
「うーん……」
ジェマはジャスパーの言葉に顔を上げたが、難しそうに眉を顰めた。
「あんな高価なもの、理由を聞かずにはあげられないよ。何に使うの?」
「戦地へシヴァリーたちを送り込む。一刻を争うんだ」
ジャスパーの言葉に、ジェマは机の下でこぶしを握り締めた。そして重たく口を開く。
「そういうことなら、渡せない」
「だが、騎士団の到着が遅れれば辺境は……」
「戦争への介入はしない、でしょ?」
ジェマは至って淡々と言葉を繋ぐ。ジャスパーはジェマの態度に狼狽えた。いつもなら人助けとなれば喜んで私財を投じてしまうジェマが、一体どうしたのかと。
「ジェマ、頼む」
「私だって戦以外なら、力を貸すよ……」
唇を震わせるジェマの様子にジャスパーはハッとした。以前話したことがあった。スレートは頑なに戦争への介入はしなかったと。ジェマもその話以来、武器などの戦争に転用されそうなものの制作には慎重になっていた。
「ジェマ……」
ジャスパーが言葉を失うと、シヴァリーが即座に指示を出し始めた。
「明日の警護担当の2人はジェマの護衛に残れ。他は全員駅へ向かう。オレゴスの汽車なら馬より速いはずだ」
シヴァリーの言葉に騎士たちは声を揃えて返事をする。そして掛け出そうとした。その瞬間だった。
「そうか! それだ!」
ジェマがガタリと椅子を倒して立ち上がった。思わず騎士たちが立ち止まって振り返る。
「シヴァリーさん! これ!」
そのままガサゴソと次元袋を漁って、緑色に輝く錬金魔石をシヴァリーに放り投げた。シヴァリーが慌ててそれをキャッチすると、ジャスパーが目を見開いた。
「転移魔法の錬金魔石! どうして……」
「……戦争とか関係なく、今のはアイデア料です。使い方は好きにしてください」
高価な錬金魔石をタダで渡すことも、戦争のために力を貸すことも難しい。それでもジェマは心の奥底ではシヴァリーや現地で戦う騎士、避難する民の力になりたかった。経営者には、ときには建前が必要になる。
「ありがとう!」
「我の魔力で送ろう」
ジャスパーが錬金魔石に魔力を込める。大人数かつ荷物の多い騎士たちを運ぶには相当な魔力が必要だ。常時魔力を消費し続けているジャスパーの魔力の残量では、ギリギリなところ。それでもジャスパーは魔力を込めた。
「……辺境の大地を守ってくれ」
その言葉を騎士たちが聞いたのかは分からない。ジャスパーがその言葉を言い終わるかどうかというところで騎士たちの転移が完了した。そしてジャスパーはその場に墜落した。
「ジャスパー!」
ジェマが慌てて駆け寄ると、ジャスパーはぐったりしていた。ジェマはふと脳裏にジャスパーと出会ったときの光景が浮かんだ。
あのときのジャスパーは傷だらけになり、魔力を失って倒れていた。ジェマが森の中で消滅しそうになっているジャスパーを発見し、スレートの元へと連れ帰った。
「血は出てないけど、あのときみたいに顔色が悪い……」
ジェマは当時のことを必死に思い出す。自然と身体から力が抜けていくような、そんな感覚。ジェマが当時の感覚をイメージすると、自然とジェマの身体を流れている魔力がジャスパーへと流れ込んでいく。ジェマはクラッとしながらも、ジャスパーの蹄を握って意識的にジャスパーへと魔力を流し込む。
本能的に飛び退いたジェットは不安げにジェマを遠巻きに見つめる。ジェットはジェマと同じ属性の魔力を有している分、干渉して流れ弾のようにジェマの魔力を受け入れてしまう可能性がある。ジェマの魔力使用の影響を受けたことがある分、ジェット自身も警戒するようになっていた。
精霊契約における魔力譲渡は属性関係なく、血の盟約を結んだ相手の魔力を抵抗なく受け入れるのが特徴。しかし魔獣契約は血ではなく魔力による契約を行う。同じ属性の魔力を注ぎ込むことで戦闘時の魔獣の強化や回復を行うのがテイマーの冒険者や騎士の戦い方だった。
魔獣は注ぎ込まれた魔力が多いほど強化され、元来の力以上の力を発揮する。回復に掛かる時間も短縮される。つまり魔力は多い方が良い。しかし例外としてジェマのように魔力量が多すぎる契約者が過剰に魔力を流し込むと魔獣が暴走、それすら超えると意識を失う。オレゴスに到着したばかりの頃にジェットの身に起きた状態異常はこの例外中の例外だった。
「ジャスパー……」
ジェマが必死に魔力をジャスパーに送る。ジャスパーはその魔力を受け取って少しずつ顔色が戻ってきた。毛が黒くて分かりにくいが、ずっと傍にいるジェマには違いが分かった。目や口元に見えるほんの少しの違い。ジェマはホッと胸を撫で下ろした。
ジャスパーはぼんやりと目を開ける。漆黒の瞳がジェマの姿を捉えると力なく微笑んだ。
「ジャスパー、力は戻ってる?」
「ああ、問題ない……悪いな」
「私こそ、すぐに錬金魔石を渡さなくてごめんね」
「いや。我の話を覚えていてくれて、ありがとう」
ジャスパーは柔らかく微笑む。すっかり疲れ切った顔をしているジャスパーの頭をジェマは優しく撫でた。
「ゆっくり休んで」
「ああ、少しだけ、眠らせてくれ……」
ジャスパーがすやすやと眠ると、ジェットがその隣で丸くなった。
「ジェット、ジャスパーのことお願いね」
「ピッ!」
分かった、とジェマに伝えたジェット。ジェマは安心したように微笑んで、【シワ伸ばし機】のアイデアを形にするため改めて机に向き直った。