ドリュアスドーラ
ローストが店を出て行ってすぐのこと。ジェマが作業場に戻ろうとしたタイミングでドアのベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
咄嗟に振り向いたジェマが声を掛けると、そこには誰もいない。ドアが開いた形跡もない。しかし窓も開いていない部屋の中でベルを鳴らすにはドアを開けて入るしかない。ジェマが首を傾げると、ジャスパーがその肩を蹄でつついた。
「ジェマ、あそこだ」
ジャスパーが指差した先には、緑色の光を纏った精霊がふわふわと浮遊していた。精霊は大抵手のひらサイズであるとはいえ、小さく隙間を開けて忍び込むことができる。納得したジェマは、カウンターから出て精霊に近づいた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
カランカラン
声を掛けられた精霊は、慌てたようにゆらゆら蠢くと、ぴゅーっと店の外に出て行こうとした。しかし行く手を阻んだジャスパーによってそれは止められた。
「びっくりしたのは分かるが、何も言わずに出て行くことはねぇだろ」
カランカラン
「ああ。ジェマには見えてる。あいつは俺の契約者の1人だからな。だが今のジェマに聞こえるのは俺の声だけだ。どうにかしてやるから、話だけでもしていかねぇか?」
ジャスパーが語りかけると、少し悩んだ素振りを見せた精霊もすぐに激しく飛び回って同意の意を示した。
「ジェマ。こいつと俺の部屋で話そう。表には接客中とでも書いておけ」
「わ、分かった」
ジェマは言われた通り接客中と書いたメモと呼び鈴を残してジャスパーの部屋に連れだって入った。
部屋に入れば、ジェマとジャスパー、お客の精霊は同じ背丈になった。いや、お客の精霊の方が少し背が低いだろうか。
「凄いですね。魔道具ですか」
「はい。私の父が作った魔道具です」
感嘆している精霊に、ジェマは気恥ずかしくも誇らし気に答えた。それを聞いているジャスパーもどこか誇らし気だ。
背丈が同じになったことで、ジェマにも姿がはっきりと見えるようになった。草のドレスを着ているかのような精霊。ジェマは昔スレートに読んでもらった絵本に出てきた精霊のことを思い出した。
「もしかして、ドリュアスですか?」
精霊は、少し目を見開いたけれど頷いた。そして恭しく一礼してみせた。
「私はドリュアスのドーラです。作って欲しい家具があって近隣の道具屋を見て回っていたのですが、どこのお店の方も私の姿が見えなくて。このお店から精霊の気配がしたのでもしかしたらと思ったのですが」
「見つけて欲しかったなら逃げなくて良かっただろ」
「いえ、彼女は最初見えていなかったようでしたから。やはりこちらも無理なのだと思ってしまいました。失礼をしました」
ぺこりと素直に頭を下げるドーラに、ジャスパーはやりづらそうに頭を掻いた。
そもそも精霊が見える人間は数少ない。魔力量が多いほど見えやすいと言われるが、それが全てではない。そして精霊と人間では基本的に意思疎通ができない。なにせ身体のサイズが違い過ぎて、精霊の声は小さな羽虫のぷーんという音と同じようにしか聞こえないことがほとんどだ。
しかしその例外となるのが契約だ。人間が精霊の血を飲むことで成立し、簡単に姿を認識できるようになるだけでなく会話も可能になる。そしてどちらかが死を迎えるまで、その契約が途絶えることはない。
スレートとジェマは、偶然ながらジャスパーと契約をした。だから声が聞こえているし、その姿を瞬時に捕らえることができる。ジェマは元々精霊が見える人間ではあるが、細かい作業の後で目がショボショボしていればジャスパー以外の精霊の探知は難しい。床に落とした薄いガラスを探すようなものだ。
「すぐに気が付けなくて申し訳ありません。それで、作って欲しい家具とはなんですか?」
「私たちドリュアスは、命を宿した草をベッドにして一生を過ごすんです。その草が枯れてしまえば、私たちの命も尽きる。ですが、先日ドリュアスと人間のハーフの子どもが生まれたんです。その子は私たちとは違い、草以外のベッドで眠ります。しかし、そのベッドの調達が難しくて」
「待ってください。そもそもドリュアスと人間の間に子どもが生まれることがあるんですか?」
「ええ。ですが、決して良い話ではありません。どこかの魔術師が実験の一環で受精させた命が生まれたのです。身体の大きさや使命はドリュアスと同じなのに、身体の作りは人間と同じ。本人はこれから茨の道を歩むことになるでしょう」
そう語るドーラの目には薄っすらと涙が浮かんだ。ジェマも話を聞きながら拳を握り締める。魔術師と魔道具師の違いは魔術を人間や現象に込めるか、道具に込めるかの違いだ。誰かを不幸にする魔術をかけることもある魔術師は、魔道具師たちにとっては反面教師として教えられるのが一般的だ。
しかしジェマは、スレートから魔道具師と魔術師は表裏一体だと教わっていた。魔道具師も魔術を道具以外に向けてしまえば魔術師となる。その1線を超えないように。もし万が一超えてしまっても、誰かを傷つけることがないように。そう何度も言われてきた。
「とにかく。彼は草と命を共にすることがなくても、一生を過ごすベッドが必要なんです。それがあと1週間以内に手に入らなければ、彼は死んでしまうでしょう」
「もしかして、今も少しずつ弱ってきているのですか?」
「ええ、そうです。道具師さん、どうか、あの子が息絶える前に、精霊サイズの草のような手触りがする一生物のベッドを作ってあげてもらえないでしょうか」
ドーラから突きつけられた難題。ジェマは眉間に皺を寄せて天を仰いだ。
次回更新予定日
2024.06.09
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