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ジェマは震える手をギュッと握り締める。それを見たラルドはふぅっと短く息を吐いた。
「分かっただろう? ジェットの仲間が乱獲される危険がある」
「はい。それは、ダメです」
ジェマはハッキリと、ゆっくりと言葉を吐いた。それからジッと考えて、ラルドを真っ直ぐ見据えた。
「分かりました。銀貨4枚で販売をお願いします」
「分かった」
ラルドは手元の用紙に契約書を書き始める。それを見ていたシヴァリーは、はてと首を傾げた。
「銀貨4枚って、どんな内訳なんだ?」
「内訳……ああ、材料費やうちで貰う額ってことか」
「そうそう」
ラルドは1度ペンを止めると、契約書を置いて他の紙を取り出した。そこに1本の線分を引くと、ちょうど半分のところにちょんと線を引く。その線の右にさらに2本ちょんと線を引いたら、そこにさらさらと文字を書き入れた。
「この線を販売価格とする。その内、半分は材料費だ」
ラルドがとんとんと左側の部分を叩いて、材料費、と書き込む。
「その次。全体の1割が利益。2割がうちで貰う分で、あとの2割はこの商品のブランド価値に付随する分だ。ここで販売する場合はこの問屋部門で貰っている分は削って良いが、大幅な価格の差を防ぐためにもブランド価値に付随している分についてはそのままの価格で売った方が良い」
「それは、〈エメラルド商会〉の損になるから?」
「他にもさっき言ったような理由もある。それから、今でも〈チェリッシュ〉にはスレートさんが築き上げたブランド価値が残っている。それを殺すも活かすもジェマ次第だ」
シヴァリーなるほどと頷いたが、ジェマはポカンとしていた。シヴァリーが不思議に思ってジェマの肩を叩くと、ジェマはハッとして苦笑いを浮かべた。
「すみません。ブランド価値については理解ができていなくて」
「ジェマは商売人としてもっと自分の商品の価値を自分で見極める腕が必要だ。今度うちの商会に来ると良い。叩き込んでやる」
「よろしくお願いします」
ラルドの提案に、ジェマはピシッと頭を下げて一礼した。ラルドが頷いて、2人は握手を交わした。シヴァリーは2人の姿を見て頭を掻いた。
「2人は凄いな」
シヴァリーの言葉の意味が分からなくてラルドとジェマは首を傾げた。シヴァリーは頬を掻きながら眉を下げた。
「私が騎士団に入ったのは12のとき。4年前の話だ。だが2人は10歳から働いて。素直に尊敬できると思った」
「そうか? この国の成人年齢は10歳だろう?」
「まあ、そうなんだけどさ。私はまだ学生をしていたから」
シヴァリーがそう言うと、ラルドははてと首を傾げた。
「俺もまだ学生だぞ」
「え?」
ジェマとシヴァリーは揃って口をあんぐりと開けた。その様子にラルドはさらに首を傾げる。
「言っていなかったか? 俺は今、王立マジフォリア学園の5年生だ」
ラルドはそう言いながら学生の証であるブロンズのネックレスを首元から引っ張り出した。
王立マジフォリア学園は貴族から商家、平民まで、6歳になる子どもたちを広く受け入れている学園だ。教養を身に着けることを目的とした機関で、6年間算術や国語、地理や魔術を学ぶことができる。
しかし商家や平民の子どもは成人年齢である10歳を迎える5年生になる前に退学するケースが多い。応用を学園にお金を払って学ぶくらいなら、実際に働いてお金を稼ぎながら学ぶ方が家のためになる。
「働きながら学園に通うのは大変だろう?」
「いや。そうでもない。学園の勉強を優先させてもらっているからな。それよりも平民出身で6年間学園に通う方が大変だろ」
「いやいや。私は騎士団の訓練生だったからな。学費が免除されたんだ」
「あの難関試験を突破したのか。貴族の子息も受ける試験で合格するのは難関中の難関だと聞くが」
ラルドとシヴァリーが話しているのを、ジェマはポカンとした顔で聞いていた。ジャスパーはその肩にふわりと座ると、寄り添うように首筋に身を寄せた。ジェットも不安げにジェマの腕によじ登る。
「ジェマ、大丈夫か?」
ジャスパーが聞くと、ジェマは力なく笑った。
「大丈夫、だと思う。私が学園に行かなかったのはお父さんの判断だし、それが間違っているとは思っていないから」
「そうか」
羨ましそうにラルドとシヴァリーを見つめるジェマ。ジャスパーは掛ける言葉が見つからずに、相槌を打ったきり黙り込んでしまった。
スレートは頑なにジェマを学園に行かせたがらなかった。ジェマもジャスパーもあまり良い場所ではないのかもしれないと思ってそれを受け入れていたけれど、時が経てば悪い場所ではないという話も聞くようになる。
ジェマはスレートから道具について学ぶことが好きで、教養となる勉強もスレートが教えてくれることが嬉しかった。ジャスパーは疑問に思っても、スレートが考えなしに子どもの機会を奪う人ではないと分かっていたから何も言わなかった。
けれどジャスパーはスレートがジェマを学園に行かせなかった理由の一端に触れてしまった。ジェマの紋に王家の紋があるとなれば、学園どころか国中の騒ぎになる。ジェマの平穏な生活を守るため。いかにもスレートが考えそうなことだった。
「私はお父さんとジャスパーと一緒にいられて幸せだったよ。もちろん、これからはジェットも一緒ね」
「ピッ!」
「ああ。もちろんだ」
ジャスパーの顔を覗き込んだジェマが言う。考え込んでしまっていたジャスパーは、自分の悩みが杞憂だったことに安堵した。頷きながらニヤリと頼もしく笑ったジャスパーの頭を撫でたジェマは、自分も満足げに笑った。