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1週間後。〈チェリッシュ〉にラルドとシヴァリーがやってきた。〈エメラルド商会〉で1番大きな荷馬車に乗ってやってきたラルドに、流石のジェマも苦笑した。
「来てくれてありがとうございます」
「いや、新商品ができたと聞けばそれは来るだろ」
「先週呼んでもらったからね。ジェマのおすすめなら気になるし」
ラルドは馬車の馬を外に繋いでから店内に入る。シヴァリーはその後ろから入ると、ジャスパーにペコリと会釈した。それからキョロキョロと辺りを見回すと、カウンターの上にジェットを見つけた。
「この子がジェットさんですか?」
「ん? 魔獣か?」
シヴァリーは友好的に声を掛けたが、何も知らないラルドは眉間に皺を寄せて身体に力が入った。けれどその額が緑色にキラリと光ったのを見ると肩の力が抜けた。
「アラクネ種の幼体と契約したのか」
「はい。ダークアラクネのジェットです」
ジェマは掬い上げるようにジェットを抱きかかえる。ジェットはジェマの手のひらの上でピシッと脚を上げて挨拶した。
「ジェット。俺はラルドだ。よろしく」
ラルドは躊躇することなくジェットの手を差し出す。ジェットは一瞬首を傾げてから、ジェマを見上げた。ジェマがニコリと微笑んで頷くと、ジェットも脚を差し出してラルドの手の上にポンッと乗せた。
「ピッ!」
「おお、思っていたより温かいんだな」
「アラクネ種に触れたことってないの?」
「俺は素材と商品の仕入れと販売が仕事だからな。冒険者ギルドと提携しているから自分で採取に行くことがない。だから生きている魔獣や動物と触れ合うことはまずないんだ」
ラルドはそう言いながらジェットの背中を撫でる。ふわふわした背中の毛に触れた瞬間、ラルドのキリッとした表情が崩れた。ジェマとシヴァリーはそれを見て顔を見合わせるとほんわかと微笑んだ。
「シヴァリーは魔獣に触れることはあるのか?」
ジェットに小さく手を振ってからシヴァリーに向き合ったラルドが聞く。シヴァリーは少し考えてからゆっくりと頷いた。
「隊長になる前はあったな。本当に新人で下っ端のとき。今は第2王子付きの任務に就いているから、自分たちで魔獣と戦うことはない」
「魔獣が近づいてきたらどうするんだ?」
「それは第2王子の魔法で近づいた瞬間に眠らせてしまうから。第2王子はジェットと同じ闇属性魔法の使い手だから、その力の1つに眠らせる力があるんだ」
「そういえば、ダークアラクネの糸にも同じような効果があるらしいな。アイマスクの試作を見せてもらったことはあるが、糸の量産が間に合わないから生産ができないと言われてしまった」
「そういえばそんな効果もありましたね」
ジェマはラルドの言葉でうーんと考える。そして手近にあったメモに「アイマスク」とだけ記してカウンターの中に放った。それをジャスパーが拾ってメモを山積みにした場所に持って行く。
「さて。今回の商品なんですけど、ジェットがくれたダークアラクネの糸を使った商品です」
「そうか。魔獣契約をしている相手から素材の提供を受ければ一定量の供給を維持できる」
「ジェットの体調と気持ち次第ですけどね。でも本当に助かっています」
「ピィ」
ジェットが寂し気に鳴く。ジェマは手をお椀型に丸めて、その身体を包み込むようにして抱き締めた。
「ジェット、それだけが理由で一緒にいるわけじゃないよ。ジェットが優しいところとか素直で可愛いところとか、全部大好きだからね」
「ピピィ!」
頭を撫でられてご機嫌になったジェットは、ピョンッとジェマの手から飛び降りると、両脚をぴょこぴょこと上げて踊り始めた。
「これは、なんだ?」
「あはは、良いな、可愛い」
「ジェットの喜びの舞いですよ」
ジェマはニコニコとその姿を見守る。そして満足したジェットがジェマの肩の上に乗ると、ジェマは笑いながらカウンターの下から箱を取り出した。
「これが今回開発した商品、【伸縮財布】です」
「財布?」
ラルドは箱の中身を覗いて訝し気に顔を歪めた。現在市場に出回っているものは両手で持つようなサイズの麻袋だ。しかしジェマが取り出したのは手のひらサイズの小さな黒い袋。それを財布だと言うには、国が硬貨の単価を変更しない限りにはあり得ないとされてきた。
「これはダークアラクネの糸を使っています。ダークアラクネの糸が持つ次元操作の効果を利用して、袋の中と外の次元がズレるように作ったんです」
「なるほど。潤沢な資源が成せるものというわけか」
「はい。それでも銅貨を必要数入れることを考えると今の限界はこのサイズなんですけど」
「それでも今使われているものと比べれば革新的だ。可能な限り仕入れたい」
ラルドは購入を即決した。誰もが求める小型の財布。それが売れないわけがなかった。ジェマはホッと息を吐くと、売り物用とは別に剣と剣が交わったマークを彫り込んだ金色の装飾が付いた黒い財布をシヴァリーに渡した。
「これはシヴァリーさんに。本当は商品化する前に使って欲しかったんですけど、思いのほか順調に政策が進んだので、これをプレゼントさせてください」
シヴァリーはそれを受け取りはしたけれど、不安げに眉を下げた。道具師からのプレゼントを受けられるのは試作を使う以上に信頼されている証。シヴァリーの手は小刻みに震えていた。
「本当に良いの?」
「はい。もちろん」
ジェマがニコリと笑うと、シヴァリーは【伸縮財布】を大切そうに胸に抱きしめた。