ジェマの力
ブライアからの依頼を終了してしばらく、ジェマはダークアラクネの糸を使った鞄の制作に勤しんでいた。ジェットが吐き出してくれた糸をジェマはひたすら編む。編む。編む。
作業場でなくてもできる作業だからとジェマは店先で編み物をしながら客の対応をしていた。小さな袋から試作を始めたジェマは、1週間経つころにはジャスパーが入れるサイズの袋を量産する段階にまで入っていた。
「ジェマ、そんなにたくさん作って何にするんだ? 鞄にしては小さすぎると思うが」
「これは、こう使うんだよ」
ジェマはそう言うと、手近にあった銅貨を袋の中に入れた。普通の袋であれば見えてしまう銅貨の形が見えない。触ってみても、砂粒が入っているくらいにしか思えない。
「これは」
「お財布だよ!」
ジャスパーが唖然とすると、ジェマはグイッと胸を張る。ジェットもジェマに倣って胸を張る、というよりは少し頭を持ち上げた。
「ジェマ、これは革命だぞ?」
「えへへ。凄い?」
「ああ。凄い。ダークアラクネの糸の性質を知っていてもこんな用途で使用しようなんて誰も思いつかなかったんだからな」
ジャスパーはふんふんと感心する。ダークアラクネの糸は希少素材。それをふんだんに使った財布など、どれほどの値がつくか分からない。ジャスパーは感心しながらも表情筋が引き攣らせた。
「本当はもう少し小さくしたいんだけど、これでも目標の銅貨500枚と銀貨6枚のうち、銅貨400枚しか入らないんだよね」
「そんなに入るのか?」
「それだけだよ。昨日までに作ったやつはもっと少ないの。あ、どれくらいの糸の量でどれくらいの収縮率なのかを計算すれば良いんだ!」
ジェマは再び新しい思い付きに胸を躍らせる。ジャスパーはそれを口をあんぐりと開けたまま見ていた。ジェマの凄さを誰よりも知っているけれど、誰よりもその発想力に驚かされてきた。ちなみにジェットはジェマが楽しそうだから自分も楽しい。2本の脚を踊るように上げ下げした。
その姿を視界に捉えたジェマは、ジェットにニコリと笑いかけた。ジェットはピタッと動きを止めてジェマを見上げた。
「最初に私たちの前で袋を作ってくれたジェットのおかげだよ。ありがとう、ジェット」
「ピピィ」
ジェットは照れ臭そうに頭を掻く。産毛によって緩和されているとはいえ、時々金属同士がぶつかるような音が鳴る。ジェマはそれを興味深そうに観察していたけれど、ドアが開く音に顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
「よぉ、久しぶりだな」
「シヴァリーさん!」
微笑みを湛えながら店先に現れた人物に、ジェマはパッと笑顔になった。その表情に、シヴァリーも嬉しそうに店の中に足を踏み入れた。
「どうしたんですか?」
「いやなに。仕事終わりに買い物をしようと思って寄ったんだ。【パワーアップクン】を追加で購入したいんだ」
シヴァリーはそう言うと、薬品が並ぶ商品棚から【パワーアップクン】を3瓶手にした。
「もう1瓶終わったんですか?」
「ああ。これのおかげで第2王子が魔法を使っても眠らずに任務が遂行できているんだ。使わせてみたら部下たちもいたく気に入ってね。今回は部下たちの分も買っていくよ」
「そうですか」
ジェマは頬を引き攣らせた。常人であればもがき苦しむこともある刺激を伴う【パワーアップクン】を喜んで連続使用する集団。騎士とは恐ろしい集団だ。
【パワーアップクン】3瓶で合計390マロ。銅貨390枚でお支払い。100枚ずつ収納できる道具を使用しているから楽をしている方だが、パンパンの麻袋はずっしりと重たい。
「あの、シヴァリーさん。もし良かったら、来週またお買い物に来てください」
「それは構わないけど、どうして?」
「今試作中の商品がそれくらいに完成しそうなんです。それを少し試してみて欲しくて」
ジェマの言葉にシヴァリーは目を見開いた。道具師が依頼外で完成した商品を1番に紹介する相手。それは道具師に認められたことを意味する。シヴァリーは拳をグッと握り締めた。
「楽しみにしている」
「はい。きっと驚かせてみせますからね!」
無邪気に笑うジェマ。シヴァリーはその笑顔に意思の強い黄金色の瞳を向けた。
「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ」
「はい。ありがとうございました」
ジェマは一礼してシヴァリーを見送る。シヴァリーは店を出ると、太陽を見上げた。そして握り締めた拳を胸に当てた。
「神に何を誓っているんだ? 国に仕える騎士団の人間が」
嫌味も込めた悪戯っぽい低く落ち着いた声。シヴァリーが振り向くとそこにはジャスパーがふよふよと浮かんでいた。
「ジャスパーさん、どうしたんですか? ジェマの傍を離れて良いんですか?」
シヴァリーが不安げに店の方を見ると、ジャスパーはフッとニヒルに笑った。
「大丈夫だ。もう1匹信頼できる仲間ができた」
「そうなんですか?」
「ああ。さっきもカウンターにいたぞ。アラクネ種の幼体のジェットって魔獣が」
「魔獣?」
シヴァリーの穏やかな表情が一転して険しくなる。反射的に剣の柄に手を置いたシヴァリーに、ジャスパーは呆れたように首を振った。
「大丈夫だ。魔獣契約を交わしているからな」
「そうか。それなら良かった」
シヴァリーが剣から手を離してホッと息を吐く。けれどジャスパーの表情は固い。シヴァリーは眉を顰めた。
「いや、それが良いことばかりではなくてな。少し、相談がある」
悠久の時を生きる精霊であるジャスパーからの相談。シヴァリーは喉を鳴らして唾を飲んだ。