10
ジェマはジャスパーの様子がおかしいと思ったけれど、擦り寄ってくるアラクネに意識が向いた。ジャスパーもすぐに平静を装うと、アラクネの姿を観察し始めた。
「ピッピッ」
ジャスパーの視線にそわそわするアラクネ。ジェマはその瞬間に目をぱちくりさせた。
「凄い。この子の感情が直に伝わってくるみたい」
ジェマの呟きにハッとしたジャスパーは、コホンと咳払いをしてジェマの肩に乗った。それからけん制するようにアラクネを見下ろした。
「魔獣契約は精霊契約とは異なって、言葉を交わさずに意思疎通ができるんだ。感情の共有もその1つだ」
「そうなの?」
「ああ。魔獣には言葉を話せない個体も多い。このアラクネもそうだろう? 鳴き声はあっても、言葉にはならない」
「なるほど」
ジェマが納得すると、アラクネは真似っ子するようにコクコクと頷いてみせた。感情の共有というのは面白い。
「それと、契約をしたなら名前を付けてやれ」
「ああ、ジャスパーのときにもやったね」
「そうだな。俺の名前はスレートが付けてくれた」
ジャスパーの意味は鉱石の一種。スレートもジェマも鉱石にちなんだ名前だから、ジャスパーにも同じ由来の名前が付けられた。そのときに個人の紋であるナイフ型の鉱石が紋章に追加された。
「この子もジャスパーと同じで真っ黒だもんね」
「黒に愛されるな」
「髪色も黒だしね」
「まあ、そうだな」
ジャスパーは元々は絹のような白髪だろう、という言葉は飲み込んだ。ジェマはそれには全く気が付かず、ジッとアラクネを見つめた。アラクネはゆらゆらと身体を揺らしながらジェマを見つめ返す。
「うーん。まっくろくろすけ?」
「なんだそれ」
「でもやっぱり鉱石か宝石が良いよね……」
ジェマはうーんと考え込むと、ふと視線を周囲の木々に向けた。木から取れると言われる希少な真っ黒な宝石。ジェマはいつか書物で読んだその存在を思い出した。
「ジェット。ジェットはどう?」
「ピッピッピッ!」
アラクネはルンルンと飛び跳ねる。ジェマの胸も温かくなって、ジェマはアラクネを抱き上げた。
「今日から君はジェットだ。よろしくね」
「ピッピッ!」
ジェットが元気よく答えた瞬間、ジェマの手の甲が緑色に光輝いた。木に糸が絡みついたような紋章。木から取れる宝石を表す個人紋とアラクネ種が持つ糸の出生紋を組み合わせたものだ。
「これがジェットの紋なんだ」
「アラクネらしい紋だな」
「ピッピッ!」
ジェマとジャスパーが感心したように声を漏らすと、ジェットはどこか誇らしそうに鳴いた。
ジェマとジャスパーとジェット。どこか似た名前の1人と2匹。同じく鉱石の名前を由来に持つ彼らは契約関係によって家族になった。
「そういえば、ジェットって男の子? 女の子?」
「ピッ!」
「なんて?」
「女の子だって」
「名前はめちゃくちゃ男だけどな」
ジャスパーが言うと、ジェットは不服そうに歯をカチカチと鳴らした。スッと視線を逸らして逃げたジャスパーは、そこに素材の山を見つけた。
「あー、これどうする?」
「あ、忘れてた」
ジェットのことで忘れていたが、ジェマとジャスパーはそもそもここに悩んでいた。
「どうしようか」
ジェマがまたうーんと考え始めると、ジェットも真似をして首を捻った。けれどすぐに1本の足を持ち上げた。
「ピッ!」
「え、ジェット、どうにかできるの?」
「ピピッ!」
自信満々なジェットは、ジェマの手の甲から飛び降りると、素材の山の前に立った。そしてその素材の山の周りをグルグルと回り始めた。
「何をしているんだろう?」
「さあな」
ジャスパーはただ不思議がるジェマよりも険しい顔をしていた。パンドラの箱を前にしたような、厳しい表情。
ジェマとジャスパーのことは一切気にせずにぐるぐると歩いたジェットは、立ち止まると糸を吐き出した。そしてその糸を両足で器用に編み上げていく。そのうちにそこにはジェマが背負ってきた籠、つまりジェマの身長の半分くらいの大きさの艶やかな袋が完成した。
「すごく綺麗」
「透明な糸の中に闇が渦巻いている、のか?」
ジャスパーがまた考え込む。そんなジャスパーをよそに、ジェットはジッとジェマを見つめた。
「これの中に素材を入れれば良いの?」
「ピッ!」
ジェマはジャスパーに促されるままにまずアラクネ種の足を1本袋の中に入れてみた。袋のサイズよりも長い脚。当然はみ出すはずだった。
「え?」
ジェマが驚きの声を上げる。脚はスルスルと袋に吸い込まれていって、袋の外からその存在を認知できない。ジェマが慌てて袋の中を覗き込むと、袋の外見からは想像がつかないほど広々とした空間が広がっていた。
「どういう原理?」
ジェマがポカンとしていると、ジェットは不安げにジェマを見上げる。ジャスパーは袋をジッと見つめると、深くため息を吐いた。
「これは魔法が応用された糸だな」
「へぇ、どんな?」
ジェマの質問にジャスパーは答えなかった。ジェマは首を傾げたけれど、すぐに心にジェットの不安が伝わってきていたことを思い出してジェットを抱き上げた。
「ジェット、凄いね!」
「ピピッ!」
えっへんと言いたげに脚を上げた。それにジェマは笑ったけれど、ジャスパーはふんっと鼻を鳴らして考え込むだけだった。