8
ジャスパーが蹄に魔力を集中させ始めた瞬間、ホールアラクネが糸を吐いた。集中していたせいで反応が遅れたジャスパーの前にジェマが立ちはだかった。
「えいやっ」
ジェマはそこら辺に落ちていた木の枝を真っ直ぐ糸の先端に向けて投げつけた。糸はそれにぶつかると、木の枝を絡め取ってホールアラクネの元に連れ帰った。想定外のものを巻き取ってしまったホールアラクネは、木の枝を振り払うことに手間取った。
「アースホール」
ホールアラクネが藻掻く隙に、ジャスパーが放った魔法。ホールアラクネは穴に落下していく。もちろん糸を張り自らの身を守ったが、すかさずジェマが動いた。
「水よ、我が呼びかけに応え、具現化せよ。風よ、我が呼びかけに応え、具現化せよ」
滝のような水と穴を蓋する風。さっきと同じ状況まで追い込んだ。けれどホールアラクネは藻掻くことなく水中で体力を温存するかのようにジッとしている。
「ジェマ、あれだ」
ジャスパーが指差した先。風を凝固させたその上にホールアラクネの糸が飛び出していた。なるほどそこから空気を取り込んでいたらしい。
「あれ、使えそうだね」
「え、何にだ?」
「なんだろ、潜伏用の道具とか」
「分かった。その話は後で聞く。今はあいつを狩るぞ」
「うん。あ、そうだ。それならこんな作戦はどう?」
ジェマが耳打ちすると、ジャスパーの頬がピクピクと引き攣った。
「本気、なんだな。そうだよな、分かってる。分かってるんだ」
ジャスパーは深く息を吐くと、不安げなジェマを見やる。頭をガシガシと掻くと、力強い漆黒の瞳でジェマを見つめ返した。
「分かった。やろう」
「ありがとう。じゃあ、行くよ!」
ジェマはまず水属性魔法を解除した。浮力を失って落下しかけたホールアラクネはやはり糸を吐いて身体を固定して落下を防ぐ。そして8本の足で土の壁を這い上がり始めた。
「ジャスパー!」
「アーススワンプ」
ジャスパーの詠唱と同時に壁が沼と化す。ホールアラクネは足を滑らせて体勢を崩した。慌てて糸を吐き出したけれど、それは穴の上に到着する前に投げ込まれた木の枝に絡まってしまった。
糸を噛み切って次の糸を吐く。それも投げ込まれた木の枝に絡まってしまうと、糸を吐く間もなく地面はすぐそこ。ホールアラクネはなす術なく底に叩きつけられた。
しかしその身体は想定より柔らかく受け止められた。その代わり沼と化した底に身体がじわじわと飲み込まれていく。
「キーッ」
ホールアラクネが奇声を上げる。その声が森中に響き渡ると、ジャスパーは頬を引き攣らせた。
「ジェマ、不味いぞ」
「うん。不味いね」
2人がそんな会話を交わした直後、近くの茂みから大量のアラクネ種が飛び出してきた。ホールアラクネだけではない。サンダーアラクネ、ポイズンアラクネ、ブラッディアラクネ。他にも緑の身体のプラントアラクネ、青の身体のフローズンアラクネまで集合している。
「ざっと20体かダークアラクネがいないだけマシか」
「いたらアラクネ種オールスターだね」
「そんなことを言っている場合ではないぞ」
ジェマとジャスパーは背中合わせに立つ。2人の動きを伺うように、アラクネたちはジッとしている。けれど1ミリでも動けば何をされるか分からない。
「どうする?」
「上手いこと全部素材にできたら最高だよね」
「は? いやいや、ここは火属性魔法で一掃するしかないだろ」
「ええ、そんな、折角向こうから来てくれたのに勿体ない」
想像以上に商魂逞しいジェマに呆気にとられるジャスパー。パクパクと口を開いて何か言い返そうとした。けれどすぐに口を閉ざした。その目は悟りの境地に入っていた。
「作戦は?」
「ジャスパーはできる限りこの周辺を沼にして足止めして。私は風属性魔法で解体するから」
「倒す前に解体するのか?」
「ううん。倒しながら解体するの」
ニッと悪戯っぽく笑ったジェマは【マジックペンダント】にまだまだ腹の底から湧き上がる膨大な魔力を流し込む。ジャスパーも魔力をなるべくたくさん蹄に集中させた。
その魔力の流れに、アラクネたちは糸を吐くためのモーションに入る。ジェマはニヤリと口角を持ち上げた。
「風よ、我が呼びかけに応え、具現化せよ」
ジェマの膨大な魔力が魔石に干渉した瞬間、ジェマの周りを囲むように無数の風の刃が出現した。吐き出された糸はことごとく切り裂かれる。周囲に電流も毒も血も飛び散った。プラントアラクネが糸の代わりに吐く蔓バラバラになり、フローズンアラクネが吐く糸から飛び散った冷気は糸が飛んだ周囲を凍り付かせた。
糸による攻撃が無効。頭脳派の魔獣であるアラクネたちはそれを理解した。そして捨て身で突進し始める。頭脳派でありながら脳筋という残念な魔獣なのだ。
「アーススワンプ」
ジャスパーの魔法でアラクネたちは足を取られて動きが止まる。足元を凍らせて逃げ出したフローズンアラクネたちは飛び上ったが、それ以外のアラクネたちはその場で風の刃によってバラバラに解体された。
「うわぁ」
ジャスパーは憐れみの目を向けた瞬間、飛び上ったフローズンアラクネたちが上空から糸を吐く。ジェマがそれを風で切り裂くと、水分が凍って雪として地上に降りかかる。ジェマは害のないそれを浴びながら、フローズンアラクネたちが地上に降り立つ前に解体した。
血飛沫が雪の上に散る。ジェマはその真っ赤な世界で満足気に笑った。