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ジェマが言葉を紡ごうとしたとき、モゾッと眠っていた男が身じろいだ。2人が音に反応してそちらを見ると、男の瞼が薄っすらと開く。そしてきょろり、きょろり、と辺りを見回した。
「気が付きましたか?」
目元を拭ったジェマが男に近づくと、ジェマに気が付いた男は目を見開いていきなり飛び起きた。
「わっ」
「ジェマ!」
驚いてふらついたジェマをラルドが後ろから支えた。ジェマがギュッと瞑った目を開くと、だるそうにしながらも警戒している男と目が合う。ジェマは慌ててラルドの腕から抜け出して男の肩を押した。
「きゅ、急に起きたらダメです。熱があるので、寝ていてください」
力自慢なはずの騎士であっても熱のせいで力が入らず、ジェマの弱い力で簡単に押し倒される。その現実に自身の身体が限界を迎えていることを知った男は、寝転んだまま素直に頷いた。
「申し訳ないです」
「大丈夫ですから、ゆっくり休んでください」
ジェマがニコリと微笑むと、男の眉の表情も柔らかくなる。静かに頷くとジェマに応えるように微笑んだ。それを見ていたラルドはピクリと眉を吊り上げてジェマの隣に立った。
「それよりも、どうしてあんな茂みの中に倒れていたんだ? 迷ったのか? それとも、この店に何か用か?」
ラルドの落ち着いた、けれど冷ややかな声。ジェマが驚いて肩を跳ねさせると、男の方は苦笑いを浮かべていた。
「そんなに敵意を向けないでください。私は迷ってしまっただけです。ですが、そうですね。不思議です。いつもと同じように任務先から街の騎士寮へ帰ろうとしただけなんです。けれどいくら歩いても街には辿り着かなくて」
男が眉を顰めると、ラルドも首を傾げた。けれどジェマは少し考えると、難しい表情を和らげて笑みを浮かべた。
「そのとき、何か変な感じはしませんでしたか?」
「変な感じですか。そうですね」
男は腕を組んで考え込む。そして思いつくとキュッと寄せられていた眉がぴょこんと上に上がった。けれどすぐにシュンと下がってしまう。ジェマはついそちらに意識が向いてしまって、男の目と眉をチラチラと交互に見ていた。
「これを言って、信じてもらえるかは分かりませんが」
「言ってみてください」
ジェマがなるべく落ち着いた声で促すと、男の眉に力が籠った。
「精霊がいつもより静かでした」
男が端的に発した言葉。ラルドは訝し気に眉間に皺を寄せたけれど、ジェマはポンッと手を打った。
「なるほど。それならば迷っても仕方がありませんね」
「なるほどとは?」
1人納得しているジェマにラルドが聞くと、ジェマは少し考えるように唇に触れた。
「この森にはたくさんの精霊が暮らしています」
「ああ、噂なら聞いたことがある。だがそれはあくまで噂だろう? 精霊の存在自体も、証言者の言葉を裏付けるものが錬金魔石以外にない」
「一般的にはそういう認識なんですか」
ジェマが驚いて目を見開くと、ラルドは深く頷いた。男も視線を逸らして頷く。
「一般的には見えない人の方が多いんです。だから見える人も、見えていることを黙っていることが多いんです。だから精霊が実際にどれくらいいるのか、大抵の人は知りません」
ジェマは物心がつくころには精霊が見えていた。スレートも見えていたから、それが普通だと思って成長した。しかしある日ジャスパーから精霊が見えない人間がいることを聞いた。それでようやく見えない人がいることと、精霊が見える人の特徴に魔力量が関わることを知った。
しかし見えることと見えないこと、どちらが普通なのかは知らなかった。そして見えることを知られて仲間外れにされる恐怖も知らなかった。そもそも、仲間なんていなかった。
エメドとラルドは精霊が見えない。だからいつもジャスパーが周りを飛び回っても見えていない。ジェマにとってはそれだけの話で、そこにそれ以上の話があるとは思っていなかった。
そして最近出会ったアドヴェルも精霊が見える側の人間。他に出会う人々も見える人がそれなりにいるものだから、見える人間と見えない人間が半分くらいずついる、それがジェマの認識だった。見えるのか聞くことはあっても、それ以上の意味はない。
「まあ、今はそれは置いておきましょう」
他人の理解を得るためには根気強く話すことが大切。だけどその時間がないなら、順序が入れ替わってしまっても致し方ない。ジェマは箱を移動させるように手を動かした。
「とにかく、この森にはたくさんの精霊が住んでいるので、精霊が大騒ぎしているところを見ることが普通の状況です」
「はい、いつもなら騒々しいほどたくさんの精霊が騒いでいます」
ジェマがシヴァリーの言葉に頷く。元気いっぱいな精霊たちがたくさん集まっているから、問題もたくさん起こる。それがこの森だった。
「そんな森が静かになる瞬間というのが、パターンがいくつかあるんです。お兄さんが迷子になったことを考えると、レーパズさんのいたずらだと判断できます。あのおじいさんはいたずらが大好きで、森をいじって人間を惑わせるんです」
「レーパズさん、ですか」
「はい、レーシィのおじいさんです。恐らく熱も、レーパズさんの力に当てられたものだと思います。だとすればすぐに下がりますから、今は休んでください」
人々を迷わせ楽しむいたずら好きの種族がレーシィ。この森にもたくさんのレーシィがいるが、レーパズほど長く生きて人々を惑わせる存在は珍しい。
ジェマの言葉に男は頷いた。そして静かに目を閉じた。眉も同時に下がって、またキリッとした表情で眠りについた。
「そういうもの、なのか」
頭を抱えるラルド。商人として、客の話を鵜呑みにはしないが頑なに自分の信じるものを信じることもしない。だから悩み、考える。
ジェマはラルドのその姿勢に、商売をするものとして尊敬の眼差しを向けていた。