騎士シヴァリー
2024.06.27加筆修正しました。
ラルドは肩に担いだ男と倒れ込むようにして〈チェリッシュ〉の中へ転がり込んだ。ジェマは慌てて避けて難を逃れたが、あわあわしながら手が宙を彷徨っていた。
「いてて」
「ラルドさん、どういう状況ですか? それに、今日はいらっしゃる予定はなかったはずですけど」
「よく分からないが、こいつがそこの茂みに倒れていたんだ。生きてはいるから、休ませてやって欲しい」
ラルドが担いできた男は甲冑を着ていて、青いマントを身につけている。青いマントにはフルール・ド・リスの紋章が刺繍されている。
ジェマはその姿に身体が固まった。スレートに王城勤めをさせるために何度も攻め込んできた人々と同じ装い。ジェマは体温がスッと引くのを感じた。けれど相手は甲冑の中で苦し気に呼吸している。ジェマはギュッと拳を握りしめた。
スレートならどうするか。たとえ自らを連れ去ろうとした相手でも、普通の客として現れれば商品を売っていた。ジャスパーがスレートの行動を非難して詰め寄ると、スレートはへらりと笑っていた。
『僕は自分が助けられる人はみんな助けるよ。助けていれば、いつか……』
ジェマはその先の言葉を思い出すことはできなかった。隠れて盗み聞きしていただけだったから、そもそも声が聞こえていなかったのかもしれない。
何はともあれ、ジェマの心は決まった。拳を開いてラルドを見上げる。そしてコクリと頷いた。
「分かりました。奥の私の部屋に運んで、甲冑を脱がせてあげてください。私は他の準備をしてきます」
「分かった」
ジェマはラルドを自室に案内すると、水や濡れタオルの準備に走った。ジャスパーの部屋に行ったけれど、普段自分で用意することがないからどこに何があるのか分からない。結局作業場へ行って水とタオルを確保して部屋に戻った。
「お待たせしました!」
「あ、ああ、こっちも終わったぞ」
バタバタと甲冑を部屋の隅に纏めながら顔を赤くしているラルド。ジェマはその表情をひと目見て、持ってきていたコップの内1つを手渡した。
「ラルドさんも水を飲んでください。顔、真っ赤です」
「あ、ああ。助かる」
そういうわけではないんだけど、と呟いたラルドの声はジェマの耳には聞こえていない。ジェマの意識はベッドで眠る黒髪の男に向かっていた。
騎士らしい短い髪とキリッとした顔つき。眠っているのにも関わらず緊張した表情。ジェマはそっとおでこに触れると、その熱さにわっと声を上げた。
「凄い熱ですね」
濡らしてきたタオルを男の額に乗せると、男の表情はほんの少し緩んだようだった。
「ご飯はあとでにするとして、一体この人はどこの誰なのでしょうか」
「誰かは知らないけど、王国騎士だろ」
「王国騎士?」
ジェマが聞き返すと、ラルドは男が身に着けていたマントを指差した。
「あのマントに縫われているのは王家の紋章だ。個人の紋が付け加えられていないってことは、近衛兵ではないんだろうな」
この世界で誰もが1人1つ持つ紋章。それは2種類の紋の組み合わせになっている。出生を表す紋と個人を表す紋。出生を表す紋は生まれながらにして与えられたもので、子どもは父親か母親、どちらかの紋を半分の確率で引き継ぐことになる。
その采配は神のみぞ知るところだが、大抵はその紋が表す家業を継ぐにふさわしい能力が育ちやすい。出生とは大まかに家の仕事を表しているとされている。しかし近年では捨て子や家の没落、成り上がりによって紋と家柄が一致しないことも増えている。
対して個人の紋は、その個人の名を表すと言われている。例えばジェマは宝石、スレートは鉱石。〝名は紋を表す〟という言葉がこの世界にあるように、影響し合う名と紋はどちらも大切に思われている。
「なんでそんな人がこんな辺境にいるんだろう」
ジェマはスレートを狙う以外に騎士がこの森に現れる理由を知らなかった。スレートが亡くなった今、騎士がここに現れる意味はない。実際、スレートが亡くなってからは襲撃も止んでいた。素朴な疑問としてぽろりとそれを零すと、ラルドは目を見開いてジェマを見た。
「この森に住んでいるのに、知らないのか?」
「何を?」
ジェマがなおも首を傾げると、ラルドは肩を落としてため息を吐いた。ふるふると首を振ると、ジェマの家から見てファスフォリアの街がある方とは反対側を指差した。
「向こうに、昔現王妃様が建てさせた別荘があるんだ。今はそこに眠り王子とも呼ばれる第2王子が幽閉されているらしい。王子がいるって話は噂だが、そこを警護している王国騎士がいることは確かだ」
「そうなんですか」
「俺は商人だからな。店にいれば街の人たちから情報が入る。ここでは情報は得られないのか?」
「お客さんも少ないですから」
ジェマがへらりと笑うと、ラルドは顔を顰めた。そして視線を彷徨わせると、何度か口を開けたり閉じたりした。
「ジェマの商品は、売れる。ここまで客が来なくても、売れてるから」
「嘘でも嬉しいです」
ジェマが笑顔で答えると、ラルドはカッと目を見開いて激しく首を横に振った。
「嘘じゃない。本当に、予想以上に売れているんだ。今日は、納品量を増やせないか相談に来たんだ」
ラルドが真剣な眼差しで告げると、ジェマはポカンと口を開いた。スレートの商品より売値は半分以下であるとはいえ、新人の自分の商品がスレートの商品よりも早く多く売れることなど想像もしていなかった。
「ジェマ、自分の腕を、信じてくれ」
ラルドの真っ直ぐな言葉。ジェマは目を見開いて、それから唇を震わせた。