かつての記憶
ジェマが緊張しながらそっと作業場を覗き込むと、所有者固定魔道具師であるスレートは椅子に座って作業台の上に置かれた大きなトンネルのような魔道具の最終調整をしていた。
「パパ?」
「お、ジェマ。いらっしゃい」
その言葉は作業場に入っても良いよ、という合図。その優しくて穏やかな凪のような声がジェマは好きだった。ジェマはパッと表情を明るくしてスレートに駆け寄った。ジェマを抱き留めたスレートは、よいしょ、とジェマを自分の膝の上に座らせた。
「ちょうどひと段落ついたんだ」
「これ、なあに?」
「【スケールパイプ】という魔道具だよ。術式は書き込み終わったから、後は所有者の魔力を認識させれば終わりだ」
【スケールパイプ】は片方の口が人間が通れるほどの大きさ、もう片方の口が手のひらくらいの精霊が通れるほどの大きさになっている。身体の大きさを変える魔術が付与されていて、精霊が人間の大きさに、人間が精霊の大きさになることができる。
「これは売り物?」
「いや、ジャスパーへのプレゼントだ」
「ジャスパーに?」
ジャスパーはつい先日スレートが森で拾った黒ブタの精霊だ。毛並みは漆黒で、スレートを手伝って家事を行えるくらいには器用に浮遊の魔法を扱う。
「ああ。ジェマが生まれたときには【スプーフィングサファイア】をあげただろう? だからジャスパーにはこれをプレゼントにしようと思って」
スレートはそう言いながらちょんっとジェマの髪を彩る雫のオーナメントがついたヘアピンを突いた。それは【スプーフィングサファイア】というヘアピン型の所有者固定魔道具だった。つけるとたちまち絹のような白髪が烏のような黒髪に、ヒスイ色とルビー色のオッドアイはサファイア色に変わる。
雫のオーナメントの中にはよくよく見ると紋章の刻印がある。ダイヤのような宝石とフルール・ド・リスが組み合わさった紋章は、ジェマが所有者であることを示す魔力刻印だ。個人によって異なるこの紋章は家と個人を表すデザインの組み合わせとなっている。
「ジャスパーが人間くらいの大きさになることができれば、ジェマに何かあったときに守りやすくなるだろうから」
「私に何かあったとき?」
スレートは時々そんなことを言う。先日のジェマの7歳の誕生日会のときにも言っていた。ジェマが何度聞いてもその真意を答えることはないが、ジェマはスレートが心配性なのだと考えていた。
「とりあえず、パパはジャスパーを呼んでくるよ。ジェマも行くかい?」
「うん!」
ジェマはパッとスレートの膝から降り立って、立ち上がったスレートと手を繋いだ。ジェマはスレートの大きくてゴツゴツした手が好きだった。
「ブヒッ」
突然聞こえたジャスパーの力ない悲鳴と何かにぶつかる大きな鈍い音。スレートは表情を硬くして、サッとしゃがみ込んだ。そしてジェマの両肩に手を置くと、真剣な顔でジェマの青い瞳を同じ青い瞳で見つめた。
「良いかい? パパかジャスパーが戻ってくるまでこの部屋から出てはいけないよ?」
スレートの真剣な表情にジェマはコクコクと何度も頷いた。その泣きそうになるのを堪える表情に、スレートは柔らかく微笑んで黒髪を撫でた。
「大丈夫だからね」
そう言いながら立ち上がったスレートは、壁にかけていた魔石を埋め込んだ所有者固定魔道具【マジックステッキ】を手に作業場を出て行った。
【マジックステッキ】は自身の魔力を使って、魔物から入手した魔石に記憶された魔法を発動する魔道具だ。所有者固定魔道具であるスレートのものには強力な氷魔法が記憶されている。
「大丈夫、大丈夫」
ジェマは自分に言い聞かせるように呟き続けた。そしてその言葉に、魔力が乗る。その魔力に反応して、机の上、つまりジェマの頭上にあった【スケールパイプ】が反応した。静かに緑色の淡い光を放つ。
ガタガタと揺れる窓ガラス。ジェマが何度も何度も言葉を呟く。言霊のように溢れ部屋に充満する魔力。ようやく窓の揺れが収まると、バンッと勢いよく作業場のドアが開いた。
「ジェマ!」
「パパ!」
ジェマが堪えきれずに机の下から飛び出すと、スレートは腕を広げてジェマを受け止めた。そして泣きはしないものの縋るように抱き着くジェマの頭を撫でてやりながら、作業場に何者も侵入していないことを確認してホッと息を吐いた。
「パパ、ジャスパーは?」
「ここにいるぞ」
「ジャスパー!」
ジェマは低く落ち着いた声にパッと顔を上げた。そしてふわふわと浮かぶ手のひらサイズの黒豚、ジャスパーに飛びつくように抱き着いた。
「待て待て、潰れる!」
ツンツンしながらも頬を緩めるジャスパー。その頬にジェマは自分の頬を摺り寄せた。
「無事で良かった」
「ジェマが心配することはない。契約者と我であればあの程度の者たちを蹴散らすことくらい他愛ない」
ジャスパーがふんっと白い鼻を鳴らして胸を張ると、ジェマはキラキラとした瞳でその姿を見つめて拍手した。
「まあ、彼らにもいい加減諦めて欲しいけどね」
苦笑いを浮かべたスレートは遥か遠く、マジフォリア王国の王城がある方をぼんやりと眺めた。度々現れて荒々しく家に侵入する彼らはマジフォリア王国の騎士団だった。マジフォリア王国内でも末端にあるここファスフォリア領は森の民の自治領を挟んで隣国との国境に位置している。
マジフォリア王国の王家はスレートが国境を渡り、隣国メタリス皇国側につくことを懸念していた。つまりスレートにはそれを懸念するだけの技術がある。その技術で軍需品を作らせる魂胆も見え隠れしている。
スレートが王城勤めをする引き換えに無尽蔵の素材と報奨を約束しているが、スレートはこの家を離れるつもりはないと断り続けていた。それでも諦めない彼らに玄関を破壊されるのもこれで何度目か分からない。
「安心しろ。これからは我も……」
「わぁっ!」
ジャスパーがさらに胸を張った瞬間、スレートが叫び声を上げた。それに驚いて宙返りしてしまったジャスパーは咳払いで誤魔化した。
「んんっ、契約者よ、どうした?」
「これ! ジャスパーにあげようと思ってたやつ! ジェマの紋章が入ってる!」
ジェマが言われて見てみれば、そこには確かにジェマの魔力がフルール・ド・リスと宝石の刻印として刻み込まれていた。所有者固定魔道具への所有者の刻み込みは1度きり。
「ごめんなさい。そんなつもりはなかったんだけど」
「そうだぞ、契約者よ。ジェマは魔力が多いにも拘わらず魔力コントロールができていない。それを知りながら【魔力阻害ボックス】に入れておかなかった契約者にも非はある」
ジャスパーが嗜めると、スレートは肩を落としながらも頷いた。そして困り顔のままジェマの頭を柔らかく撫でた。
「ごめんね、ジェマ。これはジェマにあげる。使うかは、分からないけど」
「パパ、ごめんなさい」
「大丈夫、大丈夫」
落ち込むジェマを抱き締める大きくてゴツゴツした手。ジェマはその温かさに身を委ねた。
「おい、ジェマ」
そのとき微かに聞こえた低くて落ち着く声。ジェマの意識は声のする方へふわりと浮上した。