第22話【玉ねぎのズッパ】
芋虫のように這いつくばってでも、暗がりで俺はまだ生きようと踠いていた。
やっと机の下に避難できた。
「三谷だけは・・・・・・まし゛許せ、ね゛・・・・・・ぇ」
数分前、おれは三谷に背中を撃たれた。今から俺は死ぬ。意識は遠のいているし身体の感覚がもうない。
さらに絶望的な状況は事務所内に迫撃砲を打ち込まれたこと。
火薬が辺り一面を炎で侵食していく。もしも俺の身体がピンピンしていても、この場から逃げることは難しい。
要するに俺は今から死ぬ。確定。
空気に浮くほこりや紙類、机も壁も床までをも焼く。焼き尽くす。
おいでおいでとパチパチと拍手のような破裂音。まるで人の死を歓迎しているようだ。
「あー・・・・・・やだな・・・・・・ここで終わりなんて」
でも指一本動かせない。
それなのに危機的な場面では希死念慮なんて湧いてこないものだった。
人間の生存本能は逞しく、思いつく策案が全て無駄と分かっていても、なお、死にたくないのだ。
突然、床がゾワゾワと何かが広がり下唇が濡れた。温かい鉄の臭い不味味とヌメリのある質感。それが他人の血だと肌で分かった。
誰かいる。偶然にも自分が隠れた机の下には人がいるんだ。
室内は燃える火の影響で明るくなった。横たわる存在が視認できる。
「こいつ、敵だ」
気が付けばそいつの元へと全身全霊をかけて擦り寄ろうとしていた。
「まだ死んでねぇよな」
身体をがっしり掴んで、首を押さえて乱暴ながら脈を測る。
「・・・・・・help・・・ --- ・・・」
「喋んな」
彼の口を手で塞ぐ。おれと同じで血を流していたがまだ生きている。
だが傷口が俺よりも深く、脈が弱い。体力も激しく消耗している。おれよりこいつが先に死んでしまう。
継続して息を吐き続ける行為は血を排出し、死に至らせてしまう。
なのに生きようとしている。
敵が敵を睨む。もうそれしか抵抗できないのに、かなり殺気立っていた。
「ん゛っっんむ゛ぅっ〜〜」
頭を支点に腹を力ませ、立つために尻を上げる。出来損ないのプランクみたいな体勢から2、3度、足を滑らせたが立ち上がれた。
膝が笑っていて今にもヘタってしまう。
「こんにゃろめが」
思い切り膝を殴りまくる。
「やれる、やれる。まだ、まだ・・・・・・やれる、やれる。やる」
気が済むまで殴って自分を鼓舞した。俺の目がガンぎまって吊り上がっているのが判る。
脳みそがサイレンを鳴らして、アラートを発する。そいつの腕を肩に乗せて歩き始めた。
「what?・・・・・・(なに?)」
か細く、小さな声で何かを言った。
「わりぃな。お前が何言ってんのかわかんねーけどもう喋んないでくれ」
血が止まらない。自分一人で歩くのでさえ困難なのにこいつの身体を支えてる。
しかもコイツは俺にのしかかるだけで歩こうとしない。両足を引き摺っている。
体重がおれに乗っかかるからすごく重い。すでに遠のいてきた意識がいつ途切れてももうおかしくない。
「help・・・・・・help・・・ --- ・・・」
同じ言葉を繰り返される。
こいつを背負いながら、出入り口を抜けて非常ドアを開けた。
「なげぇな、おい」
8階のオフィスだから元気な時さえ息切れしてしまう段数の多さに目を回した。
一旦、彼を床に寝かせた。床が熱くなっていた。熱源がここからなら当然だが、倒壊も間も無くなのだ。
俺の上着を彼の患部に押し付けると激しい痛みを言葉にならない呻き声で訴えた。
「生きてくれ。頼むから」
そう言って俺は彼の手を握る。今できる最大限の応急措置はこれしかないのだから耐えてくれ。
「よっこいしょっ。重てぇなあ」
彼の荷物を含めたすべてをおぶる。下へと伸ばす一歩目の足は震えていた。
転げ落ちるように前のめりに走る。速度を上げたらカンカンカンカンとキツツキが木を打つような靴の踵と鉄がぶつかる音が響いた。
ダッシュしていたらあっという間に5階に辿り着く。おでこを手の甲で拭う。
「はぁ、ぜぁ・・・・・・ぜぁぁ。ざぁ・・・・・・今日は何回、走るんだ」
息をすると肺が震える。喘息発作みたいな吸気音を身体が鳴ってしまう。
おれは手に汗がついてないことに気が付いた。さっきまで感じていた非常なまでの喉が渇く感覚がしなくなっていた。
いまは粉っぽい感覚だけがあった。
そうか。おれは店を出た後、一口も水を飲んでいない。さっきまで我慢していた口渇感はとうに失せてしまったんだ。
出せる汗が無くなっていて、さらに身体のなかにある水分はもう残っていないんだ。
「ここでくたばるのかもしれねぇな」
上を見ると、煙の塊が俺の足より速く下へと抜けようとしている。
閉めていてもその隙間から入り込んでしまうが、俺がドアを開けっぱにしたことを一瞬、悔やんだ。
「・・・・・・やっと・・・・・・か」
裏口の出口に手が届くまで走りきった。黒目が上方へ上がることも度々あったが辿り着いた。
おれは力強くドアを開ける。強い勢いで扉が壁にぶち当たった。
「やっと、出られたんだ」
空気が美味しい。酒を味わう時よりも、飲み過ぎた後に飲んだ冷や水よりも格別に、美味しかった。
振り返る。そいつは目を閉じて気を失っていた。息を引き取ってしまったように気絶している。
正気は微かに感じるし脈もまだある。
「大丈夫、とはまだいえねぇ」
俺もこいつも。自分のほっぺがタイヤのゴムみたいに弾性が抜けてしまっていた。
ここから脱出できたって言うだけ、現状はなにもかも最悪。
周辺を見渡す。外は大勢の救急隊員と野次馬で道が塞がれていた。警察官が道を封鎖し、逃げる隙間さえ見当たらない。
「Enough. I'm going to die.(俺はもう死ぬから)」
「何言ってんのか、わっかんねぇよ」
また俺は辺りを見回す。すると車が一台、道端に停まった。
たまたまだと思っていたが、ドアが開いて声がした。
「乗れ!」
車から降りて、俺に近寄ってくる男。そいつは俺の背負う男を代わりに背負い、俺の腕すらも自分の肩に乗せた。
「風、河、か?」
普段だったら目に映るものは遠くにあったってなんなのか判る。
だが今は俺に寄り添うために近くまで来てもらえないと誰だかも識別がつかなくなっていた。
「そうだ早く乗れ」
重体の男は後部座席、おれを助手席に運んでくれた。
ルームランプが白色の灯りが煌々と光っていた。ダッシュボードから黒の鞄を取り出す。ドスンと自分の膝に置く。金具同士がぶつかる音がした。
「ちょっと痛ぇけど我慢しとけよ。俺も刺すことねえから下手なんだ」
風河が俺の左腕に注射針を通す。痛みは感じない。でも驚いて声を上げた。
「・・・・・・なに・・・・・・すん」
俺の口を手で覆い塞ぐ。
「喋んな。低温火傷してんぞたぶん喉」
血が出たら液体の入った袋を握っていた。そこから伸びるチューブと針を繋げ、助手席のドアの手すりに袋を吊るした。
背中から全身にすーっと冷たい感覚が広がる。渇いてひび割れまで起こす地面に水を染み込ませるように身体へと馴染んでいった。
次に男を医療的処置を開始した。何をしているのかと気になって、力一杯に後ろに身体をねじる。
服を脱がして、銃創に軟膏を塗る。そしてラップをかけていた。
すると風河が俺を睨みつけた。
「見るんじゃねえよ。お前はお前で休んでな」
俺は黙って前へ身体を戻し、フロントガラス越しの夜空を眺めた。
運転席へやってきた。車のキーを捻り、アクセルを踏む。
「俺たちのアジトで本格的な治療をさせてもらうためにも、ここから離れるぞ」
俺は無言だった。声を出そうとすると、喉がひりついてて、喋れない。




