第19話【コルドンブルー】
鞍牛 捕まる前は裏社会の拷問と遺体処理を担当していた。
形式上、組に入ることで仕事の斡旋と身の保証をしてもらえていた。
冷蔵庫を開けたら中段の真ん中に異物が置かれている。
それは顔が抉られた生首だった。
大きすぎた自分の声に驚いてしまうほど気持ち悪くて叫んだ。
自然と何歩も後退りをして、俺は壁に背中を擦り付ける。
夜遅くに勝手に店を借りてこんなものまで残されるの普通に考えてキモすぎる。
とにかく生首が気持ちが悪い。絶対この場にあってはならないから処分しなきゃいけない。
だが、俺は触りたくない。
「おはよう、お土産に置いといたこの首さ、臨くんはびっくりした?気持ち悪いでしょ」
肩を震わせ笑っている鞍牛さんがやってきた。この人、また勝手に店に入ってきたんだ。
生首に視線が行ってから対面にいる人に向けて言う。つっかえつっかえで出た言葉。
「な・・・・・・何・・・・・・を、しにきたんですか?」
他の言葉を選べないし出てこない。すると彼は生首の頭と底部を掴んだ。
「の・ぞ・む・く・ん・あ・そ・び・ま・しょ♡」
なーんちゃってね、と鞍牛は口を吊り上げて笑顔を作る。
それを見させられて全身から足の爪先へと俺の生命力が抜けていくように力が離れていく。
まるで自分が運転中に正面衝突に遭う瞬間の気分だ。
冷房はまだ付けていないのに、腕がヒンヤリと冷たい。
この空間には俺とこの人だけ。
不思議と俺のズボンの股間部が急に熱くなった。俺の目を見て、足元へと順に目線が下がる。
「あ〜っごめんごめん、怖がらせちゃったね。驚いて欲しかっただけなんだ。せっかく作ったんだけど持って帰るよ」
左肩に首を挟んで本当に持ち帰った。背中には花畑が咲いているのか、楽しそうな足取りをしている。
やっと俺1人しかいない静寂。
「なん、だっ、あいつ。きもちわりぃ・・・・・・」
短い時間だったのに長時間にも感じた。おれは膝から崩れ落ちて床に座ってしまう。
心が温度を取り戻すと冷静になった。ここで初めて俺が小便を漏らしていた。
「鍵を返せよ・・・・・・」
この時になって余裕が生まれたのか、まだ怖がっている俺を俺自身が悟らないようにしているのか分からなかった。
それよりもあの置物にされた首だ。
顔の表面は抉られており、赤い肉が浮かんでいる。
あいつは、鞍牛は人の顔面をラクレットチーズとでも思って、溶かしてスプーンか鉋で抉ったんだろう。
もしそれを生きたまま実行したら、そうイメージしてしまったからゾッとした。
そう考えたら何もかもが恐ろしくて、脳裏に焼きついて離れられない。
開店準備を始めなきゃいけない。なのに脳が勝手にアレを思い出してしまう。
手足に力が上手く入らなくて、未だに立ち上がれない。
「くっ・・・・・・そぉっ」
握り拳が振戦した。
今日、予定していたバイトの人たちには休んでもらう旨を伝え、店を通常通り開けた。
おれの青ざめた顔をしているのを見られるのがダサくて恥ずかしい。
平日だったし、運も良く、今日は来客が少なくて助かった。
それでも仕事に身が入らないまま働いた。
空いたテーブルを処理していたら、ここで1人、来客する。
「らっしゃいませー。・・・・・・風河」
「臨、開店おめでとう。遅くなったけどこれやるよ」
彼は俺に、“祝い”と書かれた分厚い封筒を手渡した。
「ありがとう」と受け取る。
「会うの4?5年ぶりだよなー。本当に開店おめでとう」
「連絡してくれたらもっともてなせただろ。開店したのだって二ヶ月経ってんだぜ」
「まぁまぁそこはさ、組が違うモン同士だし余計な衝突は避けたいだろ」
「それはそうだな」
彼は太い眉毛を八の字に寄らせてしかめる。風河という男は、金髪で整えるには少々ガサツに七三分けていた。
「来てくれたんだ。飯食ってけよ」
俺は急遽、看板を下げて店を閉めた。
他の客が出払うまでカウンター席で風河は1人で焼肉を食べてもらった。
俺もカウンターの彼の席の隣に座る。2人のビールジャッキをぶつけて高い音を鳴らす。
口の中で発酵した弾ける泡の香りを楽しむ。
「でよ、気振れの鞍牛は出所したんだってな」
ひょうきんな口振りは変わらないのに、重々しく鋭い眼をしている。
「そうだけど?」
風河が突然来た意図を察した俺は腹が据わるスイッチが入った。
両者はおちゃらけている柔らかい口調は壊さずに会話を続行する。
「じゃー話が早いな。身柄を渡すか、居場所を教えてくれ」
「風河には悪いがどっちも俺にはできない。昔馴染みの繋がりだからって別の組に“はいそうですか。分かりました。”と了承したらこっちの組の面子を潰す」
「分かんねーのか。今が1番穏便なタイミングだぞ臨。交流なんかしてなかった無関係な組同士が争うことになる」
「分かってるさ」
俺はビールをぐびっと一口呑む。
「実はな・・・・・・今朝、俺のいる組に首だけが送られてきた。
胴体はまだ見つかってない。でもその首はおれの兄貴分の1人だ」
風河の発言に強く心臓が締められる思いになった。
「どうして分かるんだ?」
「首と一緒にな゛ぁ、免許証も揃って送られてきたんだよ。
兄貴分はな、幹部だったんだよ。ただの使いパシリだったら見なかったことにできたさ。
話の規模が変わったんだよ。だから報復しなきゃなんねぇ」
腹ン中で煮えたぎる怒りを必死に堪えながら言葉を付け足す。
「それに・・・・・・恩を返せねぇまま死んだんだ・・・・・・」
「それで?」
おれも動揺を隠そうとシラを斬る。
「兄貴分の交流関係を調べたさ。怨みを買う身分だ。誰にどう怨まれてるかなんて探しようもない。それに誰に刺されたって文句は言えねぇさ」
「なら不義理なことやって報復を受けたんじゃないのか。
どうして預かってるシマが違うのにそう言い切れるんだ」
「あんな外道な真似をやれる奴はすぐに特定できる。
さらに昔、鞍牛と兄弟の盃を交わしていた。
まだ線にはならないけれど、点と、点が浮上したんだ」
「確証あって風河は言ってんのか」
「ねぇよ。でも確かめねぇといけねぇ」
「あぁ・・・・・・それで、風河に白羽の矢が立ったのか」
「そうだ。たまたま鞍牛の組に臨がいてくれて助かったよ」
「鞍牛はやべーぞ。あいつ調べたら刑務所に行く前からホコリだらけじゃねーか」
「ヤクザなら普通だろ」
「捕まる5年前からやばかったんだよ。巷じゃもう噂にはなってねー風化した化石。
でも鞍牛と関わりのあった奴らは口を揃えて鞍牛を忘れたがっている」
「俺が組に入る前の話なんか聞いた事ねーよ」
「そりゃこんな話、カタギじゃ知らねーよな」
「まだやくざだ」
「おかしいのは他にもある。もともとの禁固刑より早く出所してたんだよ」
「あ?どういう事だ」
話が見えてこない。
「なんか裏で絵描いてるやついんぞ」
「俺とは関係ねーよ」
互いに熱量を持って話をしたら、2人ともビールのジャッキが空いた。
次のジョッキにビールを注いだら話は変わった。
「はは懐かしいなぁ。ラーメンスコーピオンの総長も結婚したのか」
「あああ・・・・・・。俺たちは若かった。それに2人揃って喧嘩も弱かった」
自分の角張ったゲンコツを眺める。初めは人を殴るのが嫌だった。
相手の頬骨に拳を当てる感覚に罪悪感を覚えていた。
でも初めて同じくらいの力量の奴と闘って勝った時に、“勝つ”気持ち良さが罪悪感に優ることを知った。
それからは殴る技術と殴られない技術を学んだ。
次第に力量が同じなら俺だけが一方的に殴れるくらいには成長した。
「それでさ最近の法律はおかしくなってるように感じないか?」
「不景気は変わんないから分かんないや」
「最近やたら大臣やらそこに出資していた企業の役員以上が矢鱈めったら死んでいる。法律の改正を勧めたい奴らが動いてんだよ」
「所詮は噂だよ。根も葉もない憶測だよ風河」
「まぁそうだな。そろそろ帰るわ。多分もう来ない」
「あぁその方がいいかもな」
「元気にやれよ。2人してヤクザになったんだ。そんなお前に、臨には、死んでほしくない」
「最悪、組が潰れてもこの店でやってくさ」
振り返らずに風河は手だけを振って帰っていった。
「ここにウィンナーを作って肉屋に卸す。味は絶品。これ食べた人はぶっ飛ぶよぉ」
「キミが白状したからもう殴られなくなってよかったね〜」
そしてあいつは死んだ。
「みんな金で悩ませていて貧しむのを嫌がっている。
吸い上げられた金を上級国民様に還元してもらうのは有難いことなんだ。だって彼らが社会を廻してくれてるんだから。普通は感謝しなきゃいけないだろ。
だから喜んで差し出して裕福な暮らしをしたらいいんだよ。耐え忍べって」
体が勝手に震える症状「不随意運動」「振戦」と云われています。




