1-8 囚われの少女たち
何度かの分かれ道のあと、前方にアーチが見えてきた。
その奥は部屋になっているようだ。ロザリーの屋敷の応接間ほどの広さがあり、天井は高く、通路と同じ石造りである。遠くの壁にぼんやりとランプが灯っている。部屋は通路と同じで全体的に薄暗く、湿っぽい。
よく耳をすますと、波の音にまじり、少女たちの息遣いも聞こえてくる。すすり泣くような声もする。ロザリーの心臓がばくばくと高鳴った。
(やっぱり! ここに捕えられているんだわ!)
足音を忍ばせてアーチに近づく。ロザリーは「あっ!」と叫びそうになり、慌てて自分の口を押さえた。部屋の両側は、柵のない独房のようになっていた。片側ずつに七、八個ほどの縦長のアーチが並び、その前に少女たちが繋がれている。アーチの奥は独房のように狭く、各々に簡素なベッドが一つあるようだ。少女たちは独房の前に座りこみ、足首を鎖で繋がれている。みんな、両腕や脚には包帯が巻かれていた。
右の独房の前方と、左の独房の中程に見知った顔があった。ハリエットとベルである。どちらも黙って冷たい床を見つめている。部屋の中央にある大きなテーブルの傍で、二人の女が立っていた。背中を向けているが、あの赤いドレスは侯爵夫人に違いない。手前からパチパチと音がして、夫人の背中に濃い血のような影を作っている。どうやら暖炉があるようだ。夫人たちの足元を見て、ロザリーは息を止めた。
二人の男が後ろ手に捕えられている。
(……サイモンとアンソニーだわ!)
そっと耳をそばだててみる。炎が爆ぜる音に混じり、話し声が聞こえてくる。
「ねえ、モリスン。この人たちをどうしようかしら?」
「奥様。ここから出せば、きっと警察に訴えるに決まってます。処分するのがよろしいかと」
「そうねえ……でも二人とも、こんなに美しいのにもったいないわね」
「では奥様の寝室に、鎖で繋いでおけばいかがですか?」
ふざけるな、と聞き慣れた声が叫ぶ。サイモンである。その隣では、アンソニーが夫人を見て顔をしかめていた。
「あんたのおもちゃになるぐらいなら、死んだ方がましだ!」
「こっちの男はきれいだけどうるさいわねえ……やっぱり一人だけ、残しておけばいいかしら」
アンソニーの頬をひと撫でして、侯爵夫人はもう一人の女に耳打ちする。モリスンと呼ばれたその女には見覚えがある。数時間前、地下で出会ったハウスキーパーだ。モリスンはうなずくと、部屋の奥にむかった。暗くて見えづらいが、壁一面にずらりと何かが並んでいる。モリスンはそこから一つを取り上げた。炎がゆらぐと、きらりと光る。ロザリーはぎょっとする。
(……刀だわ!)
モリスンは足早に前方に戻ってくる。とっさにロザリーは身をひるがえした。アーチの陰にからだを隠し、耳に神経を集中する。カツ、と刀が床をつく音がする。
「少女の血はこの身に浴びたけれど、男の血はどうなのかしら?」
「このように美しい紳士の血ならば、この娘たちのように、奥様のお肌によろしいかと」
「ふふ……それもそうね」
ロザリーは背すじが凍りつく。サイモンの心臓に刀が突き立てられて、血しぶきが上がる――そんな場面を想像した瞬間、思わず叫んでいた。
「止めなさい!」
二人の女がきょろきょろと周囲を見まわす。ロザリーは肩を落とした。しまった、つい声が出てしまった。覚悟を決めて、その場から躍り出る。「あっ」と男の声が二つ重なる。恐る恐る横目で見ると、サイモンとアンソニーが呆れたようにこっちを見ている。
(仕方ないじゃない! サイモンが殺されるのも、おもちゃにされるのも、どっちも嫌よ!)
ロザリーは夫人たちから距離を取り、暖炉の傍に立った。相手がどう出るか、ひとまず黙って様子をうかがってみる。
「あら、また見目のいい紳士が飛びこんできたわね」
「この男は……奥様、さっき地下に迷いこんできたんですよ! 怪しいと思ったら、やっぱりこいつらの仲間だったんですね」
二人の話を聞いて、ロザリーは自分の変装を思い出す。「怪しいのはそっちじゃない」と心の中で悪態をつきながら、両手を腰に当て、仁王立ちで胸を反らしてみる。
「ふふん、そうだよ! 侯爵夫人! あなたの悪事は全部暴いたんだから!」
「悪事だなんて人聞きが悪いこと。わたくしが何をしたって言うの?」
「ここにいる少女たちを攫ってきて、その血を搾り取って殺しているんだろ!」
「失礼ねえ、そんなことしていないわ」
おっとりとした夫人の声に、ロザリーは勢いを失ってしまう。
(ええと……あたしの早とちりだったのかしら?)
石壁に囲まれた部屋をぐるりと見まわしてみる。少女たちは自分を見上げ、怯えた顔で首を振っている。華奢な白い足首には、不釣り合いな鉄の鎖。奥の壁に飾られているのは、剣や刀、大小のナイフに、突起のついた円環、長い鞭、乗馬用鞭、鎖――そして部屋の中央には、どっしりと頑丈そうなテーブルが一つ。四方には輪が付いている。そう、四肢を固定するのにぴったりな――卓上にはどす黒いしみがついている。まるで血の跡のような――ロザリーは最後に、侯爵夫人の手元で視線を止めた。
右手に握られた、刀身の短いやや湾曲した刀。
(いやいやいや! どう考えても状況証拠でクロでしょうが!)
侯爵夫人が小首をかしげる。少女めいた「自分は無害だ」といわんばかりの仕草に、ロザリーはイラっとする。が、顔には出さない。夫人が口を開いたからだ。このまま油断させて、喋らせておいた方がいい。
「わたくしはこの子たちを助けてあげたのよ」
「どういうこと?」
「今はこんなに美しくても、結婚して、家庭を持てばいずれ容色も衰えてしまうわ。毎日姑の顔色をうかがって、夫の放蕩に耐えて、出産の度に命を吸いとられて……そんな人生から、わたくしが救い出してあげたの」
ロザリーはちら、と少女たちに視線をやる。虚ろな目で怯えきった彼女たちは、どう見ても「助けられている」状態ではない。
「じゃあどうして、こんな所で鎖に繋いでるんだ? 助けてあげたのに、暖かいベッドとドレスを用意してあげないのか?」
「屋敷に住まわせたら、訪問客に気づかれてしまうでしょう?」
「でも彼女たち、ずいぶん怯えてるようだけど?」
「ふふふ……ほんとにねえ、困ったものだわ」
カツ、とヒールを響かせて、夫人はアーチに程近い少女の前に立つ。ぱちん、と鋭い音を立てて、少女の頬が張られた。少女は小さくうめき、諦めたようにうつむいた。
「なっ、なにするんだ?!」
「わたくしもよく、姑に頬を張られたものよ。ふふ、助けてあげたんだもの。この子たちだって、わたくしのために役立ってくれなくちゃ、ね?」
夫人はカツ、とまた数歩進み、今度は隣の少女の前に立つ。びくびくと顔を上げる少女の長い髪を引っ張り、むきだしの肩を刃でかすめた。ひいっと少女の悲鳴が上がる。ロザリーが一歩踏みだすと、夫人は指先で少女の血をぬぐい、自分の唇に塗りつけた。
「ほらね? 搾り取ってなんかいないわ。こうして少しずつもらっているのよ? 殺してしまったら、つまらないじゃない」
先程から夫人はこちらを見ていない。まるで自分に言い聞かせるように、独り言ちながら、重たげに足を進めていく。また、次の少女の前で立ち止まる。ロザリーは、はっと息を呑んだ。急いで後ろを向くと、アンソニーが夫人をにらみつけている。
(アンソニーのお姉さん、ハリエットだわ!)
夫人がハリエットの細いあごをつかむ。くい、と上に向けさせる。彼女の顔は蒼白だったが、感情を見せまいとするように、唇を固く閉ざしている。
「上流階級のご令嬢は、あなたが初めてだわ。やっぱりいいわね、そのプライドの高さは使用人たちにはないもの」
ハリエットは黙ったまま答えない。夫人は構わず言葉を続ける。
「わたくし、とても楽しみなのよ。そのプライドがいつまで保つか。あなたが泣いて懇願する姿を思うと、ワクワクして仕方がないわ」
指先がハリエットの頬をなでる。彼女は微動だにしない。夫人は退屈そうに目を細め、カン、と刀の先で床をついた。アンソニーが怒声を上げる。
「止めろ! 警さ……」
「楽しそうじゃないかっ!! ぼくも交ぜてくれ!!」
こんな大声を出したのは初めてである。のどが痛い。狙い通り、アンソニーの声はかき消された。あ然とする彼を一瞥し、ロザリーはなおも声を張り上げる。
「ははは、あなたはまるで、トランシルヴァニアの血濡れの伯爵夫人だな!」
夫人はぴた、と手を止めて、ゆるゆると顔をこちらに向ける。ロザリーに目の焦点を合わせ、興味深そうに見つめている。そこにロザリーがいることを、ようやく思い出したかのように。