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悪役令嬢ロザリーの冒険 ~男装のイケメン令嬢と血まみれ侯爵夫人~  作者: 左京ゆり
第一章 〜男装のイケメン令嬢と血まみれ侯爵夫人〜
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1-7  秘密の地下通路

 ロザリーは部屋を出て、廊下を素早く見まわした。誰もいない。先程の階段まで戻り、階下に下りようと足を踏みだす。マホガニー製の手すりを掴んだそのとき――ふいに足音に気づいた。赤い絨毯に伸びる影を見て、慌てて近くの柱に身を潜める。階段を上がってきたのは、なんと侯爵夫人その人である。ロザリーは息を潜めて、注意深く様子をうかがった。


 階段の踊り場には、ジェームスの姿があった。侯爵夫人の後を付けてきたのだろう。こちらには気づいていないようだ。彼もじっと視線を定め、部屋の前に立つ夫人を見つめている。


 カチ、と扉が開く。


 侯爵夫人はその場で立ち止まり、突然、部屋の中へと駆けこんだ。暖炉の隠し扉は、アンソニーのために開けたままだ。異変に気づいたに違いない。ジェームスも階段を駆け上がり、ロザリーの前を走りぬけて部屋へと近づいていく。

 声を掛けようとしたロザリーだが「ん!」と声にならない悲鳴を上げた。

 誰かが自分の口を塞いで、柱の奥へと力任せに引っ張ったのだ。


「……ちょっ! 放しなさっ……むぐ!」


 叫ぼうとしても、手のひらを押し当てられて声が出せない。背後から羽交い締めにされていて、身動きもできない。焦ったロザリーがじたばたと身体を捻ると、「しっ!」と耳元に息がかかる。ロザリーはようやく力を抜いて、ほっと息を吐いた。それと同時に手がゆるむ。


「ちょっと……驚かさないでよ! サイモン!!」

 小声で怒鳴ると、「まだ出ていくんじゃない」と耳たぶに息がかかる。ロザリーは前方をのぞき見た。ジェームスは廊下にいない。部屋の中に踏みこんだようだ。

「ジェームスが戻ってくるまで待つんだ」

「戻ってこなかったら?」

「僕が様子を見にいく。きみはここにいて」


 ロザリーは抗議の声を上げようとしたが、幸いジェームスは、しばらくして部屋から出てきた。二人が現われると安堵した顔をする。


「合流できたのか。よかった」

「侯爵夫人は?」

「暖炉の通路に入ったようだ。わたしが追おう」

「あたしも行くわ!」


 サイモンとジェームスは顔を見合わせる。サイモンはこめかみを指先で揉みながら、はあ、とため息を吐いた。


「……ジェームス、きみは待機しててくれ。僕とロザリーが行く」

「いいのか?」

 その質問には「自分が行かなくていいのか?」と「ロザリーが行っていいのか?」の二重の意味が込められている、とロザリーは気づく。ちら、とサイモンを見ると目が合った。なんとも複雑な表情でうなずかれる。

「彼女は一度決めたら絶対に引かないし、だったら……一人で行かせるわけにはいかないし。三人で行ったら何かあった時に対処できない。きみは待機しててくれ」


 ジェームスの目がこちらに向いて、にわかに細められる。


「ならば、わたしがロザリー嬢とともに向かおうか? きみが待機役でも構わぬが」

「いや、僕が行く」


 きっぱりと言い切られ、ロザリーは頬が熱くなる。恥ずかしくてサイモンの顔が見られない。代わりに元々婚約者――ジェームスを盗み見る。我儘な女だと思われてるんだわ、とこっそりため息を吐くと、いきなり微笑まれたからびっくりする。


「分かった。では外にいる警察官に知らせてこよう。一時間待って戻って来なければ、わたしも彼らとともに追いかける」



 三人でうなずくと、ロザリーとサイモンは暖炉に向かい、ジェームスは廊下へと踵をかえす。去り際の「気をつけてくれ」という声は、初めて耳にする柔らかな口調だった。



「あの人、あんな優しい声も出せたんだわ。ずいぶん友だち思いなのね」

「僕にじゃなくて、きみに言ったんだよ」


 ロザリーは口をつぐむ。照れ隠しで言ってみただけで、本当は自分でも分かっている。だけど気恥ずかしかったのだ。元々婚約者とはいえ、親同士が勝手に決めた話に過ぎない。ジェームスは昔から、アンソニーの姉のハリエットに夢中だった。ロザリーのことなど端から眼中になかったのだ。しかもハリエットの秘密を暴露したことで、嫌われこそすれ、気遣われることなど永遠にないと思っていた。こんな状況ながら、ロザリーは心が温かくなるのを感じた。


「そう? じゃあ、あたしたち二人に言ったのね」


 つんと澄まして言うと、軽やかな笑い声が響く。


 左手が温かい。いつの間にか、サイモンに手を握られている。ロザリーはまた顔が熱くなった。幸い、通路は薄暗いから見えやしない。石の床に二人の足音が反響する。通路は大人の背より少し高いぐらいで、じめじめと湿気ている。道がゆるやかに曲がっていて、次第に方向感覚が分からなくなる。先導するサイモンの背後から、ロザリーはロウソクの灯る燭台を掲げた。部屋にあったものを一つ拝借したのだ。サイモンの背中はがっしりとして頼もしい。傍にいるだけで気持ちが落ち着いた。


「この通路はどこに続いているのかしら?」

「新しく作られたんじゃなくて、城が建てられた当時からあったんだろうね。敵から攻められた時の逃走用か、籠城用の隠し部屋でもあるのか……」


 サイモンが立ち止まる。分かれ道だ。

 右と左、道は二手に分かれていた。サイモンがこちらを振りかえり、尋ねる。


「僕は左がいいと思うんだけど、きみは?」

「あたしもそっちがいいわ」


 手を繋いで、また通路を進んでいく。ロザリーは相手に遠慮して自分の意見を言わない、という性格ではない。いや、時と場合と相手によっては黙っているけれど、それは概して面倒事を避けるためだ。サイモンとは気心が知れている。別に彼の面子を立てて意見を合わせたわけではなかった。ロザリーはこっそりと首をかしげる。


(……あたしは何で、左がいいと思ったのかしら?)


 カツン、カツン、と二人の足音が重なる。ニューヨークから遠く離れて、イングランドの中世の隠し通路を歩いているなんて、今さらながら奇妙な状況だ。次第に、ロザリーは落ち着かない気持ちになる。こんなに寂しい地下に、本当にベルがいるのだろうか。怖い思いをしてないだろうか。


「ベルはこの通路から連れ去られたのかしら?」

「彼女がここを見つけて、自分の意思で入った可能性は?」

「それはないわ。ベルはあたしみたいに向こう見ずじゃないもの。鍵は部屋の中から開けられるはずだし、通路を見つけたなら、必ずあたしに報告するはずよ。部屋から自力で出られない状況だったんじゃないかしら」

「薬を嗅がされていたとか?」


 ロザリーは深いため息を吐く。自分の身勝手でベルを巻きこんで、危険な目に遭わせてしまった。突如、握られた手に力がこもる。


「今は助けることだけ考えるんだ」


 まっすぐな明るい声で言われ、ロザリーは苦笑いする。ハリエットの秘密を暴いたことも、アンソニーと婚約中に関係を持ったことも、この従兄は知っている。それなのに呆れて見放しもせずに、ロザリーの傍にいてくれる。ロザリーは繋いだ手をぶんぶんと振った。


「なんだよ?」

「あなたって物好きな人ね」

「なんの話?」

「あたしの傍にいたらろくな目に遭わないわよ」

「退屈しなくていいよ」


 さらりと返されて、ロザリーは黙りこむ。照れてしまったのだ。五年前、サイモンはオクスフォードを卒業したばかりだった。米国にやってきたのは、英国を去ったロザリーを心配して追いかけてきたためだ。その時に一度求婚されているのだが、ロザリーは断わった。だけどお互い、相手に好意を持っているのは知っている。なんとも中途半端な関係なのだ。



 しばらく二人は黙って歩いた。するとまた、道が二手に分かれている。


「今度も左でいい?」

「ええ……と」

 わずかに躊躇うロザリーに、目の前で首が傾げられる。視線で問われても、上手く答えられない。

「サイモン、どうして左なの?」

「ずっと左を選んでいけば、もし突き当たっても道を引き返すことができる。そこから次は右に進めば、迷うことはないだろう。時間は掛かってしまうけど」

「分かったわ、左にしましょ」


 小さな違和感は上手く口にできなかった。自分でもその正体が掴めないのだ。それにサイモンの説明は合理的だ。余分な時間が掛かっても、この迷路のような道ではそのやり方がベストだろう。左に向かって、サイモンが足を踏みだした。ロザリーもその後を付いていく。数分も経たないうちに、「あっ」と小さな悲鳴が聞こえた。


 ロザリーは慌てて周囲を見まわした。


「サイモン?!」


 小声で呼んでみても、通路はしんと静まりかえっている。聞こえるのは自分の呼吸の音だけだ。ロザリーは左手を見る。いつの間にか、手は空っぽだった。

「……サイモン?」

 声が震えてしまう。不安が全身を駆けぬけていく。ロザリーはロウソクで四方を照らしながら、ふと足元を見る。黒い革靴。兄の衣装だんすから拝借したものだ。黒のズボン、袖口の金のカフスボタン。めいっぱい息を吐き切って、それから大きく吸いこんだ。


(……そうだわ。あたしは今「紳士」なのよ。ベルが待ってるんだから、助けに行かなくちゃ。サイモンならきっと何とか切り抜けられるわ。焦っちゃだめ!)


 ロザリーは目を閉じた。前方の足元で、わずかに低い石のうなり声がする。その場にしゃがみこんで、ロウソクで照らしてみる。よく目を凝らしてみると、前方の石の一部が、ごくわずかに盛り上がって見えた。


(……ひょっとしたら、落とし穴でもあるのかしら? あれを踏んだら起動するとか?)


 中世の城塞なら、どんな仕掛けがあってもおかしくはない。この道は、おそらく正しくないのだろう。ロザリーはゆっくりと後ずさり、分かれ道まで引き返した。今度は右の道を選んで、足元をよく照らしながら進んでいく。そのまま歩くと、次の分かれ道が現われた。落とし穴に遭わなかったということは、この道で正解だったらしい。今度は左、真ん中、右と三つの道に分かれている。ロザリーはふいに「右だわ」と思った。だけど確証はない。直感のまま進んで罠にはまったら、と思うと怖くて次の一歩が踏み出せない。


(……あたしはどうして、右を選んだのかしら?)


 ロザリーは目を閉じた。やみくもに焦っても仕方がない。あの鷲の彫刻が気になったのと同じで、無意識のうちに理由を見つけているはずだ。まぶたの裏で明かりがちらつく。右手に持ったロウソクの炎が揺れているのだろう。ふっと似た景色が頭をよぎる。



 薄暗い石段。月明かり。波の音――あの使用人の階段だわ!

 ロザリーは、ぱっと目を開けた。



(……そうよ、波の音!)


 彼女が選んだ道にはすべて、微かだが波の音が聞こえていたのだ。正しい通路は、海に面して造られているのかもしれない。


(それなら迷わずに歩けるもの。試してみる価値はあるわ)


 今度はためらわずに、右の道へと足を踏みだす。やはり何も起こらない。ロザリーはもう怯えずに、そのまま進んでいった。サイモンのやり方も、本来なら正しい道を選べたはずだ。だけどこの通路はどこも、真っ直ぐではなくて曲がりくねっている。波の音を聞くことで、海に面した壁際の道を選ぶことができるのだろう。

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