1-5 さらわれた侍女
会場まで戻ったロザリーは、内心で「あっ」と声を上げた。
広い会場の隅々まで目を走らせても、どこにもベルの姿が見当たらない。まさか、と冷や汗をかきながら、もう一度会場を見渡した。やっぱり、いない。
(……一体どこに行ったのかしら?)
楽団の側には金髪の青年――アンソニーが、そこから離れた、バルコニーの近くには銀髪の青年――ジェームスが立っている。二人とも都合よく客が途切れたタイミングで、一人だった。ロザリーは一瞬考えて、ジェームスに狙いをつけた。アンソニーとは一ヶ月近く親しくしていたから、変装が見破られる恐れがある。フットマンの銀のトレーからシャンパンを取り、ひと口飲んで、足早にバルコニーへと近づいた。
「失礼、ぼくの連れを見ませんでしたか?」
「あなたの連れはどなたですか?」
ジェームスは低い声で答えて、彼女を見下ろした。冷ややかな目つきは正体がバレたわけではなく、彼の癖で、悪気があるわけではない。経験を積んだ今ならそうと分かるけれど、五年前に出会った頃は、ずいぶん冷たくて薄情な男だと思ったものだ。
「赤毛に緑色のドレスを身につけた、十代半ばのご令嬢です。目を離した隙に見失ってしまって」
会場には数十人の客たちがひしめいている。ジェームスがベルのことを気に留める確率などわずかだが、ロザリーはその可能性に縋らずにはいられなかった。しかし思いがけず、ジェームスは厳しい顔つきになる。なにか知っているようだ。
「……あなたは、その方とはどのような?」
「ぼくは彼女の従兄です。米国からこちらの友人を訪ねてきたんです」
「お目付け役なら、しっかりと目を離さずにいるべきだ」
苦い顔で言われ、ロザリーはとっさに抗議しかけた。だが思い直して、すぐに口をつぐむ。彼の表情から、何かがあったのだと気づいたからだ。
「どうしたんだい、ジェームス?」
ふいに甘い声が横から響く。げ、とロザリーは内心でつぶやいた。そっと視線を横にやる。案の定、アンソニーが傍に立っている。二人のやり取りが目についたのだろう。
「この方が、あの令嬢の連れだと言っているのだが」
彼の視線を追いかけ、アンソニーがこちらを見る。見る。見て――その表情が、信じられないといったふうに変わる。ロザリーは一歩後ずさり、落ち着かない気持ちで帽子を直す。今度はアンソニーが一歩、前に詰め寄ってくる。
「なんで……きみがここに……そんな格好で?」
「いいから! とにかく! ベルはどこに行ったのよ?!」
周囲に聞こえないように、ロザリーは小声で叫ぶ。ジェームスは相変わらずきょとんとしている。まだ彼女の正体に気づいていないようだ。
「アシュリー、この方を知っているのか?」
「きみもよく知ってるだろ、ジェームス? 僕たちの元婚約者、ロザリー嬢さ」
ジェームスの冷ややかな眼差しに、驚愕が浮かぶ。困惑と、少しの嫌悪も混じっているのをロザリーは見逃さなかった。
「そうよ、あたしはN伯爵令嬢ロザリーよ。詳しい事情は後でサイモンに聞いてちょうだい。さっき地下で会ったの。あなたたちと合流するように言われたから、ここに来たのよ。さあ、知ってるんでしょ? ベルの居場所を教えてちょうだい!」
「サイモンと……? なんで地下で? ベルっていうご令嬢はきみの友人なのか?」
「あたしの侍女よ。うちのメイドの従妹がこの屋敷で行方不明になったの。それで、二人で調べにきたのよ」
アンソニーとジェームスは互いに顔を見合わせた。ようやく事情を察したようだ。彼らは目配せをして、ジェームスが重たげに口を開いた。
「きみの侍女は三十分程前、侯爵夫人に声を掛けられた。そのまま会場を出て、別室に連れていかれた」
「なんですって?!」
「安心してくれ。わたしが後をつけた。二階の部屋に連れていかれて、今はそこにいるはずだ」
「いるはず……って助けなかったの?」
「鍵が掛けられていた。争った音は聞こえなかったし、すぐに危害が加えられる様子もないと判断して、いったんその場を離れた。彼女はまだここにいるから、我々が見張っている」
ジェームスの視線の先には、侯爵夫人がいた。招待客のざわめきの中で、赤いドレスが揺れる様はひときわ目立つ。本当に血のようだわ――とロザリーは眉をひそめる。
「案内してちょうだい」
「事を起こすのは、サイモンが戻ってからと思ってたんだけど」
「い・ま・す・ぐ、よ!!」
ロザリーの剣幕に、アンソニーはたじろぐように後ずさる。彼らは互いに顔を見合わせて、諦めたようにうなずき合った。