1-4 使用人部屋での再会
青年は廊下の端まで来ると、めいっぱい息を吸いこんだ。
「な! ん! で! きみがここにいるんだ、ロザリー?!」
声は抑えているが、青筋が立ちそうな表情から、本当は怒鳴りたいのだと分かる。ロザリーはなんとなく両手を腰に当て、仁王立ちになった。
「ぼくはチャールズ・バークリーだけど?」
「それはきみのお祖父様だろう!!」
えへ、と舌を出すと、こめかみを押さえてため息を吐かれた。ロザリーは悪びれずに聞き返す。
「あなたこそ、何やってるのよ、サイモン?」
指のすき間からこちらをにらみ、サイモンは小さくつぶやいた。
「……僕もチャールズだ」
「はあ?」
「アンソニーのフットマンの名前を借りたんだよ」
従兄の口からその名前が出てきて、ロザリーは渋い顔をする。アンソニー・アシュリーその人はーーほんの数十分前、舞踏会で見かけた元婚約者である。
「だから、なんであなたがフットマンに化けて、こんな所にいるのよ? そもそもいつの間に英国に戻ってたの?」
従兄のサイモンは弁護士で、五年前からニューヨークに住んでいる。まさか大西洋を渡って同じ英国にいるなどと、思ってもみなかった。そのうえ従兄に、元婚約者、元々婚約者までが揃って同じ屋敷にいるなんて! イングランドには今夜、他に夜会はないのかしら! ロザリーを眺め、サイモンは重たげに口を開く。
「……一昨日、アンソニーの姉上がこの屋敷を訪れてから、まだ戻っていないんだ。それで、あいつとジェームスが今夜調べに来ていて、僕も協力してるんだ」
ちなみに、ジェームスとは彼女の元々婚約者である。それはさておき、サイモンの話はこうだった。
一週間前、仕事で英国に戻ったサイモンは、一区切りついて友人――アンソニーの元を訪ねた。ところが彼の姉が行方不明と知り、二人は急遽、姉が訪れる予定だったジェームスの屋敷に向かったのだ。ジェームスの屋敷は、ここから二、三時間北上したスコットランドにある。ロザリーの屋敷とは、この侯爵夫人の屋敷をはさんで同じぐらいの距離だった。姉はジェームスの屋敷に向かう前にこの屋敷を訪ねたらしい。それ以降、消息が不明であるという。
「侯爵夫人は、馬車は一昨日に出発したと言ってるんだ。でも本当のところは分からない」
「どうして?」
「アンソニーの屋敷のメイドが、こんな話をしていたんだ。領地の村に住んでいた妹が、行方不明になったらしい。町に遊びに行ったまま帰ってこないそうなんだ。ここ半年の間、この辺りでは、若い娘が失踪したという噂があるらしくてね。姉上はジェームスを訪ねる途中だからと、この屋敷に立ち寄ったそうなんだ」
「姉上って、ハリエットさんでしょ?」
「うん……そうだけど」
「だから変装してまで協力したの?」
サイモンは額に二本の指をあてて、ため息を吐く。図星だったようだ。
ロザリーとハリエットには因縁がある。五年前、ロザリーは彼女の秘密を社交界に暴露してしまったのだ。その結果、二度も婚約破棄されたし、ロザリーも今では反省している。そしてこの従兄――サイモンは物好きなことに、こんな自分のことを好きだと言ってくれている。だからハリエットの捜索に協力したのは、ロザリーの行いの贖罪も込められているのだろう。化粧でそばかすを描いたサイモンの頬を、ちょんちょんと突く。いつもは透きとおるような白い肌なのに、今日はいたずらな少年のようだ。険しかった目つきが柔らかくなり、サイモンは彼女の手をつかむ。ロザリーは感謝の気持ちが湧き上がり、先程までの反抗心は霧散した。
「あたしも同じ。うちのメイドの従姉がこの屋敷に奉公に出て、消息不明になったそうなの。それで探しに来たのよ」
「それで……なんでその格好なんだ?」
「退屈すぎて死にそうだったんだもの。男装なんて、シェイクスピアみたいでワクワクするじゃない?」
指先でぐりぐりこめかみを揉んで、サイモンはまたため息を吐く。
「……まさかきみ一人じゃないよね?」
「ベルもいるわ。舞踏会で聞き込みをしてもらってるの」
「良かった」
サイモンはうなずくと、今度はぐいぐいロザリーの背中を押しやった。階段に向かいながら、ロザリーは後ろを振りむく。
「ちょっと! なにするの?」
「ベルと合流しなさい。アンソニーとジェームスの側を離れないように」
「嫌よ! あの人たちとなんて!」
「彼らの側が一番安全だ。いいかい、ロザリー」
サイモンの真剣な顔がぐっと近寄ってくる。距離が近すぎて、ロザリーは思わず呼吸を忘れてしまう。
「今夜確信したよ。きみと話していたハウスキーパーの態度といい、きみのメイドの従妹といい、やっぱりどうもこの屋敷は怪しい。アンソニーの話を聞いたときは半信半疑だったけど、噂は本当なのかもしれない。使用人だって、どこまで信用できるか分からない。さっきのきみの聞き方は、疑ってくださいと言ってるようなもんだ」
ロザリーはひょいと肩をすくめた。自分でもあからさまだとは思ったが、他に浮かばなかったのだから仕方ない。
「あなたはどうするの?」
「僕はこのままもう少し探ってみる。ほら、もう行ってください。チャールズ様?」
メガネを押さえる従兄の仕草は、真面目くさった老執事のようで、ロザリーはからかうように舌を出す。ふいにサイモンはじっと彼女の顔を見つめた。ロザリーも彼の目を見つめ返した。背後からどっと笑う声が聞こえる。二人は、はっと我に返った。「いいね? くれぐれも気をつけて」と優しい声でささやかれ、返事をする間もなく、ロザリーは扉の奥へと押しこまれた。