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脊髄小脳変性症の母と生きる。  作者: 渡邉尚道
9/19

僕が大学生になったとき

僕は高校を卒業して山口県という田舎から脱出したい!!と思い、県外の大学を受験しました。


あまり勉強はできる方ではなかったんですが。。。


見事入学を獲得したのが、広島の近畿大学でした。


そして初めての一人暮らし。よく、母から仕送りが届いていました。仕送りの中には大量のお菓子や腹巻き(笑)。一人での寂しい生活でしたが、仕送りが来たときは温かく、嬉しい気もちになったのを覚えています。


 近畿大学では生物学を勉強していました。

しかし、だんだんとこれは自分が勉強したい事ではないと思い始め1年で勝手に中退を決意し、結局1年で山口県の団地に後戻りしました。


普通、親なら中退する事に反対し、怒られるもんです。


しかし、両親は僕の決めた事に反対する事は一切ありませんでした。


実家に帰り、場が悪いように僕が


「ただいま」と言うと

母が「おかえり」

と心なしか喜んでくれているような感じがしました。僕も家族が大好きだったので、あー--帰ってきて良かったと思いました。


 ここから、また母と父との同居が始まります。


 僕は20歳になり、車の運転免許を取得したので、よく、母をスーパーや、いろんな所へ連れていくようになりました。足が動けない母の為に足になってあげるのは、僕にとって当たり前のことだったし、何より母が喜んでくれるのが最高にうれしかったんです。


 ある日、僕が母をバイキングに連れて行ったことがあります。僕が母の好きそうなモノを大皿にのせて、僕も母も沢山美味しくたべました。そして最後に母がぽつり

「もう食べる楽しみしかなくなったねぇ。」

と悲しそうに言いました。


その時、僕が母の脚になって、母をもっといろんな所へ連れていって楽しませてあげようと考えるようになりました。

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