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脊髄小脳変性症の母と生きる。  作者: 渡邉尚道
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僕が中学生のとき

僕が中学校2年生になるとき、兄が私立の大学に行く事を決め、家計は火の車になりました。


父は子供の決断を優先する人なので、思い切って決断し、一軒家を売る事になりました。父は設計士なので、夢のマイホームを自分で設計して作った家。その家を建てた時は、何よりの喜びだったようです。その家を手放す事の決断は断腸の思いだったと良く聞きます。


そして僕たちは家賃が安い市営住宅に引っ越す事になります。市営住宅は家賃が安いということで、かなり激戦な抽選が行われるんですが、運よく僕たち家族がこの抽選に当たりました。しかも4階・・・エレベーター無し・・・


母にはかなり厳しい環境でした。


 そんな母を見兼ねて市の人が団地の階段に手すりを付けてくれました。

本当に有難かったです。その時はまだ、母は4階までゆっくりですが昇ってきていました。


 そしてある日、僕が家に居る時にベランダから外を見たら、母が道路の縁石のところに座り込んでいました。子どもながらにして、不安を感じ、とっさに駆け足で母の所へ行きました。

 「歩けんこうなったーね。」

 と笑いながらいう母。

 母に肩を貸しながら家までついて、4階まで僕がおんぶして家まで送りました。その時から、おんぶをする頻度が増えていきました。おんぶした母は日に日に軽く感じるようになりました。おんぶをする度によく、小さい頃のチロルチョコを買いに行った時の母におんぶしてもらった記憶が蘇りました。

 

それから母は自分の足で歩くことが怖くなり、セニアカーを利用するようになりました。団地の一番下にセニアカーを置いて、セニアカーに乗って買物へ行き、買物が終わると、僕が荷物を持って4階まであがり、母はリハビリがてら、手すりをつたって4階まで上がってくるのを僕が見届けるといった日々が続きました。セニアカーは車いす扱いなので店の中まで入る事ができます。行動範囲が広がった母は笑顔でとても良い顔をしていたのを覚えています。

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