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脊髄小脳変性症の母と生きる。  作者: 渡邉尚道
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医学部受験の結果

2013年僕が29歳の時より受験し続けて3度医学部医学科を受験しましたが、3回とも合格には至りませんでした。


やはり、高校生の時もそんなに、勉強が出来てたわけでもないし、順位は下から数えた方が早かったし、、、

やっぱりだめか、、、


と半ば諦めかけていたんですが、山口大学には保健学科検査技術専攻という学部があり、臨床検査技師の資格を目指す学部が社会人入試を募集していました。しかも山口大学は再生医療にも力を入れており、臨床検査技師の資格を取得し、大学院まで行くと、臨床培養士というiPS細胞を培養できる資格を取得することができます。


「これだ!!」


と思いました。


母の病気は小脳が委縮していく病気、再生医療で小脳を再生できれば、、、

と思い、路線を変更しました。


受験科目は英語で書かれた医療論文を読んで、問題に答えて、自分の考えを書くというものと、面接でした。


小論文と面接を学ぶために、医学部専用の専門学校のオンライン授業を契約。


そして路線を変更して1年目、試験はすごく良くでき、絶対に受かったと思いましたが、落ちていました。。。


さすがに、悔し涙が出ました。


母にごめんと言いました。


しかし、母は病気と一生付き合って生きていかないといけない。人生を諦めたくても諦められない。


そう思い、私は受験し続けることを決意しました。


そして、2回目の受験。


正直、1回目の受験の時より、出来が悪く、、、また落ちたか。。。

と思っていましたが、、、


なんと合格発表の日


母の目の前でネットで結果を見たら。。。


僕の番号があったんです!!!


もうこれには、びっくりしました。「ビリギャル慶応大学へ行く」という映画がありましたが、まさに同じような事が自分に起こるとは!!


母は涙を流して喜んでくれました。


もしかしたら、母親の病気を治せるかも?


と人生の中で一番わくわくしたし、自分の存在意義を確認できたような気がしました。


人生は何があるか分かりませんが、頑張り続ければ、いつか成功する。

しかし、この頑張り続けるというのが本当に難しいんです。


僕の場合は、母が原動力になっていました。きっと母が病気ではなかったら、医学部受験なんて目指さなかったし、続けられなかったでしょう。


それだけ、自分にはこんな力があるんだと知る機会を作ってくれたのは、母であり、やはり、母は僕にとって偉大な存在であることは言うまでもありませんでした。



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