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脊髄小脳変性症の母と生きる。  作者: 渡邉尚道
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母が鬱になる

東京から帰ってきて、家族と一緒に生活できる幸せを噛みしめながら数年が経ちました。


この数年の間に、母の病気は、ゆっくりではありますが、徐々に母の体と楽しみを蝕んでいました。


今まで車いすから少しは体を浮かすことはできてたし、手にも力が入っていたので、自分で車いすを動かす事もできてたんですが、2012年11月、僕28歳、母62歳の時、なぜかそれらが、できなくなりました。


その時、母は、全く笑顔をなくし、生気を失ったようでした。身体にも力が入らなくなって身体は傾き、自殺したいという事もありました。


そんな、母を見るのが、僕には耐えられない位辛いことでした。どうしたら良いのか分かりません。


でも、とにかく元気を取り戻してほしいと思って下関の角島へ連れて行きました。


普段は車の中で話をするんですが、その時は、一切返事が返って来ず。


それでも、僕はしつこく声をかけ、角島へ到着。


もう夕方になって、少し暗くなっていましたが、角島は温かく僕たちを迎えいれてくれました。


そこで、僕は母に言いました。「歩けなくなっても、手が動けなくなっても、話せなくなっても、変わりに足になるし、手になるし、口になってあげるから心配せんでええよ。」と


そしたら、今まで何も話さなかった母が小さく「うん」と言いました。


帰りは車の中で手を繋いであげました。


その次の日からです。母の表情が変わってきて笑顔がでるようになりました。おそらく障がいを受け入れ、僕たち家族を信用してくれたのだと思います。


それ以来、僕は母を車でいろんな所へ連れて行ってあげるようになりました。


僕にとって、足や手が動かせなくなっても、話せなくなっても、母は母であり、居るだけで温かい存在だったので、そんなことは一切関係ありませんでした。


脊髄小脳変性症やALS、治療法が確立していない神経系の病気の方は、将来を前向きにとらえるのが難しくなる時、将来が怖くなる時が必ず来ると思います。そんなとき周りの家族や友達、パートナーに頼ってください。


一人では、将来の不安に打ち勝つことはできません。


あなたを必要としている方、あなたを大事にしたいと思っている方は必ず、周りにいるはずです。


もう一度言います。不安に押しつぶされそうになった時は、どうどうと頼ってください。

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