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脊髄小脳変性症の母と生きる。  作者: 渡邉尚道
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東京へ就職

 僕(当時23歳)は加圧トレーニングの資格を取得すると同時に、山口県を出て、東京でひと花咲かせたいなぁと思うようになり、東京での就職活動をするようになってました。


しかし、東京での就職活動というのは甘いものではなく、10社受けてもなかなか決まりません。そして、11社目にして、やっと1社、加圧トレーニングを指導するジムに受かりました。


受かった時は、一刻も早く両親に報告。

そのときは、父と母はとても喜んでくれました。


もう、この時から母(当時57歳)は構音障害で口数も少なくなっていました。


萩市で働いていたバイト先に、就職が決まって辞める事を伝え、僕が東京での生活の準備をウキウキしながらしていた時、母はどういう気持ちだったんでしょうか?


いつも変わらない様子でしたが、どんな気持ちか分かった瞬間がありました。

それは、僕が宇部空港から東京へ出発する日。

母は震えた声で

「がんばりいよ」

と大粒の涙を流しながら言ってくれました。


  そのたった一言の中で僕は、母の気持ちが分かり、行きの飛行機の中で、涙が止まりませんでした。

今まで押し殺していた気持ちが溢れてしまったのでしょう。

 親は子どもの成長を応援しないといけない。子どもが成長して親から離れる事は、喜ぶべきことだ。というのは、親が健常者の場合だから言える事なのではないでしょうか?

 母は、これから身体が、もっと動かなくなるのを自覚してました。

僕とこれから、何回会えるのか?不安にも感じていただろうし、寂しくも感じていたんだと思います。それは、僕も同じ気持ちでした。離れてみて気づかされました。


 そして、東京で働くことになったんですが、やはり母の事が気になってしまうんですね。毎日のように考えては電話をしたりして、、、

耐えられなくなった僕は結局、たった4ヶ月で仕事を辞め、賃貸アパートを引き払って山口県に帰る事になりました。


山口に帰った時、母は言ってくれました。

「おかえり。」

と。あれ、なんかこの台詞前にも言われた事があるぞ。そうだ、大学を中退して戻ってきた時と同じだ。やはり、僕は家族と一緒に暮らすのが最高に落ち着くし、家族が大好きななんですね。そして、僕が山口県に帰ると同時に、僕たち家族は元々父が萩市から仕事に行っていた宇部市に引っ越すことになりました。


また、家族との生活がスタートです。

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