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脊髄小脳変性症の母と生きる。  作者: 渡邉尚道
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書くことを決めた理由。

2022年8月5日早朝5時 母.信子(享年72歳)が誤嚥性肺炎で亡くなりました。


 まさかの出来事でした。僕がコロナ陽性になって家族(特に母)には、うつしたくなかったので県が提供しているホテル療養を選択したんですが、ホテル療養している最中、家族全員がコロナ陽性になり、僕の療養が明けると同時に母は、誤嚥性肺炎を患い、救急車で運ばれて1週間後に亡くなりました。


僕は誤嚥性肺炎の恐ろしさを知っていたので、毎朝、毎夜の歯磨き、食事もミキサー食にし、液体のモノはとろみエールを使って飲ませていました。

僕が担当だったのに、その介護ができなくて、ひどい後悔と自責の念を抱きました。


生前母は、脊髄小脳変性症(型はSCA3)という病気と闘っていました。この脊髄小脳変性症の方の死因の89%の方の死因が誤嚥性肺炎のようです。


 母は、僕が小学校6年生、母が46歳位の時から足に異変を感じて、僕と父が今まで協力して介護してきました。僕たち家族は母の介護という絆で固く強く結ばれていました。


 いろんなご家族が居ると思いますが。僕たち家族にとって介護というのは空気を吸うくらい当たり前のことで、今母が居なくなって、苦しい思いをしています。


人はいつか死にます。しかし故人との関わりが強く、愛が強いほど、遺族はひどい悲しみを被ります。今の僕達がそうであるように。。。


母のためにやってあげてたことで僕は母から幸せを感じていましたが、今はそれがなくなって、どこから幸せを感じたら良いんだろう?ととても悲しい思いをしています。


このnoteを書くことは母の為に出来ることがなくなって、ぽっかり空いた穴を埋める、自分の為のものでもあるような気がします。


また、母はいろんな幸せを病気によって奪われてきました。いろいろ悲しい思いをした母の生きた証を残してあげたいと思い書くことを決めました。


母は僕のまさに原動力でした。何か新しい事をするとき、母が喜んでくれるのが嬉しいから頑張れたんです。ここに母の事を書き残すことが、最後の僕の喜びになると思います。


ぜひ、母と同じように脊髄小脳変性症で戦っている方、そのご家族にみてもらいたいです。

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