女神さまのお使い(1)
その日の放課後、今日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り終わるのと同時に、奈ずなが逃げるように教室から去っていった。その後ろ姿を育生は小さく息をつきつつ、見送ることになる。
そんなときだった。机の脇にかけていた学生鞄から携帯電話の着信音が鳴った。育生は反射的に鞄の中から携帯電話を手に取る。
今鳴った着信音は、メール受信時用に設定したものだ。一体誰からのものかとメールボックスを開くと、イシスからだった。
「……なになに、以下に明記するものを購入してくること?」
メールの内容はといえば、早い話が夕飯の材料の買い出しをしてこいというものだ。
「結構な買い物の量だなあ。人使い荒いよな、イシスも……」
ちなみに、イシスは携帯電話など所有していない。だが、メールはもとより、会話も育生の携帯電話とすることが可能なのだ。一体どういう仕組みかと一度問うてみたが、彼女いわくどんな媒体を介そうとも、自身ほどの神ならば遠く離れた人間と会話をするなど、造作もないとのことだった。
「どうした? 沖野。買い物がどうこうって聞こえたけど」
育生の独り言を聞きつけたのか、傍の席にいた友人の一人が問いかけてくる。
「あ、もしかして、母ちゃんからの頼まれごととか?」
別の友人がからかうように言ってきた。それに、育生はかぶりを振ってみせる。
「いや、オレ実の親ってもういないから」
「え……っ」
からかってきた友人の顔にサッと陰が差した。そして、ばつが悪そうに謝ってくる。
「ごめん、俺、沖野の家庭事情知らなかったからさ……」
さも申し訳なさそうに頭を下げられ、育生は慌てて両手を横に振った。
「いや、気にしないでくれよ。もうずっと昔の話だしさ」
そして、今朝もイシスに同様の内容を言ったことを思い出し、苦笑する。
「……本当に?」
念押しするように問うてくる友人に、育生は大きく首肯してみせた。
「じゃあさ、素朴な疑問聞いてもいい?」
「ん?」
「母ちゃんじゃなかったらさ、買い物頼んできたのって誰なのよ?」
すると、ほかの友人も皆、興味ありそうな視線を向けてくる。
「それは……」
育生は一瞬、返答に詰まる。イシスとの関係は、とてもではないが、普通の人間においそれと簡単に話せるようなものではなかったからだ。困り顔の育生を目にした友人の一人がハッとしたように言う。
「ま、まさか……、実は一緒に住んでる女とか?」
その言葉に育生はポンと軽く手を打った。
「うん。まあ、そんなとこかな」
その返答は嘘ではない。神という種族でこそあれ、イシスは女性だ。それに一つ屋根の下で共に暮らしているのだ。素直に返答した育生を目にし、友人たちがどよめき始める。
「き、聞いたかよ? お、女だって……」
「し、信じらんねえ。見かけは派手なヤツだけど、中身は真っ当だと思ってたのに」
なぜ友人たちが驚いたように顔を見合わせているのか、育生は理解できない。そんな育生に、友人の一人がさらに追及してくる。
「なあ、一緒に住んでる女って、いくつ? 美人?」
友人の問いかけに、育生はごく真面目に思案した。そして、自身の見解を述べる。
「歳はオレよりずっと上。それで、顔は日本人離れしてるけど、近所の人からはいつも美人ですねって言われてる」
それは嘘偽りないものだった。神であるイシスは千年以上の歳月を生き、育生が客観的に見ても美形の部類に属するからだ。
「う、うっそ、年上の美人……?」
「どうやったら、そんな年上美女とお知り合いに、あまつさえ同棲なんてできるんだよ?」
育生の返答を聞いた友人たちは色めき立ち、羨望のまなざしを育生に向けてくる。
「沖野、ぜひとも詳しい経緯の説明を求める!」
友人の一人に詰め寄られ、育生は内心焦燥した。なぜなら、イシスと出会った経緯は、軽々しく他人に口外することが憚られるものだったからだ。それでも、友人たちは興味津々といった視線を容赦なく育生に向けてくる。ここは一体どうするのが良策だろうか? 思案した育生は、合法的かつ合理的な手段に出た。
「あ、悪い。さっきも言ったけど、オレ買い物頼まれてるんだわ。だから、急がねえと」
育生は自席から学生鞄を手に取り、友人たちに向け「じゃあ、またな!」と短く言うと、脱兎のごとく教室から立ち去る。そんな彼に、教室に残された友人たちが非難囂々の声を浴びせていたが、この際それは無視することにした。
「はあ……、まいったな」
教室から全力疾走して学校の玄関まで辿り着いた育生は、大きく肩で息をした。うっかり独り言を呟いたせいで、友人たちに要らぬ疑念を抱かせることになってしまうとは。これは完全に自身の失態だと育生は猛省する。そして、何とか明日までにいい言い訳を考えねばと思いつつ、玄関で靴を履き替え、駅へと向かい、目的の商店街を目指すことにした。
本日分四話更新しました。今週の更新は以上になります。来週もどうぞよろしくお願いします!




