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気弱な同級生(1)

 イシスが十二年前の出来事を回想している頃、育生は最寄り駅へと向かっていた。その途中、立ち止まり小さく息をつく。


「……はあ、タイミング悪いんだよなあ、まったく」


 たまたま朝食時に流れていたテレビのニュース。それは、イシスが胸を痛めるものだった。なぜなら、あの旅客機墜落事故で育生は家族を亡くしていたからだ。そして、あの事故が育生とイシスを引き合わせる発端となった。なぜなら、あの事故が起きた要因にイシスが関係していたからだ。


「……気にすんなって何度言ってもわかんねんだよなあ、イシスは」


 育生は再び嘆息する。確かにイシスは、育生の家族が亡くなったこととまったく関係がないとは言えない。だが、当の育生はイシスを責めたことなど、ただの一度もなかった。


 育生はまだ若輩者ではあったが、物事の善悪ぐらいはつく。旅客機墜落事故の本当の原因をつくったのは、決してイシスではない。そう何度説き伏せても、イシスは未だ責任を感じているようなのだ。


 神というのは高潔で傲慢で、人間など遥かに超越している存在だと思っていた。だが、育生の傍にいる女神は気位こそ高くはあるが、どこか温かく、ふと人間味さえ感じさせる瞬間があるのだ。


 一体どうしたら、そんなイシスの悩みの種を刈り取ってやることができるだろうか。まだまだ人生経験の少ない自分には、土台無理な話なのだろうか。そんなことを思案しながら、育生は学校へ向かうことになった。


「おっす、オッキー!」


 学校の教室に足を踏み入れた育生を元気な声が出迎える。それに苦笑しつつ、育生は声をかけてきた人物に挨拶を返した。


「はよ、田島。そして、オッキーってのはやめろ」

「えー、いい響きじゃん。オッキーって」


 小首を傾げながらクラスメートの田島が言う。


 育生が井筒市立向陵高校の二年生に上がってからクラス替えがあったが、彼はこのクラスになってできた新しい友人だった。一年生のときの友人とは皆クラスが分かれてしまったが、自身でもイシスに言ったとおり、世渡り上手な育生は新しいクラスですぐに友人ができた。田島もその一人だ。


 育生は田島と少しの間会話をした後、自身の席へ向かい、ある人物に声をかけた。


「春野、おはよう」


 挨拶された少女は肩をビクリと震わせると、育生の方にそろそろと顔を向ける。


「お、おはよう、沖野くん……」


 どこかおどおどとした、少し癖のある黒髪に大きな丸い眼鏡をした少女。彼女は育生の隣席の春野奈ずなだ。彼女は未だ新しいクラスになじめていないのか、休憩時間は一人で自習をしているか、読書をしていることが多い。


 育生はそういう傾向の生徒を放っておけない性分だった。余計なお世話かもしれないとは思いつつ、毎日少しでも奈ずなと接触を図ろうとしている。そんな彼女は、いつものように文庫本を読んでいたようだ。


「それ、何の本?」


 育生は奈ずながどんなジャンルの本を読んでいるのか気になっていたので、問いかけてみる。


「え、えっと……」


 思いもよらない質問だったのか、奈ずなは少しの間視線をキョロキョロと周囲にさまよわせると、決心したように答えた。


「あ、あの、ミステリー……」

「へえ、推理小説とかそんな感じのヤツ?」

「う、うん、そんなところ……」

「へえ、オレ、そういうジャンルの本あまり読んだことないな。ヒマなとき、読んでみよっかな。何かおすすめとかある?」


 奈ずなは丸い眼鏡の奥の瞳を真ん丸くさせた後、少しの間何か考える素振りを見せた。


「あ、あたしの好きなのは、外国のミステリーなんだ。え、えっと、おすすめはたくさんあるけど、一番は……」


 だが、奈ずながすべてを言い終える前にある出来事が起こる。


「あ……っ!」


 奈ずなが小さな声を上げた。一体どうしたのかと育生が彼女に目を向けると、なぜか眉根を寄せて肩を押さえている。


「あ、ごめんねえ。ぶつかっちゃったあ」


 不意に女子生徒の声が聞こえてきた。育生が反射的に声のした方に視線を移すと、同じクラスの女子生徒数人がいつのまにか育生たちの席に近づいていた。彼女たちは、このクラスの中で派手で騒々しいグループに属している。


「あっれえ、肩ぶつけちゃった? だいじょーぶ?」


 女子生徒の一人が言うが、その声音からは心配そうな様子がまったく窺えない。にも関わらず、奈ずなは律儀にもそれに応えた。


「だ、だいじょうぶ……」


 だが、奈ずなは未だ顔をしかめている。育生は思わず本当に大丈夫なのかと彼女に声をかけようとするが、その機先を制するように派手な女子生徒たちの一人が言う。


「春野さんてさあ、ウチら女子とはなじまないくせに、男子とは仲いいんだねえ」

「ホントホント。ねえ、どうやったら、そんなにうまく仲よくなれるの?」


 これ以上ないほど意地悪そうに問われ、奈ずなは困惑の色で顔を塗り固めた。


 奈ずなと女子生徒たちの空気に不穏なものを感じ取った育生は、思わず彼女たちの間に割り込もうとする。だが、それを邪魔するように授業の開始を告げるチャイムが鳴り始めた。


「あ、もう授業始まっちゃう。行こ!」

「うん。あ、そうそう、春野さん」


 女子生徒の一人が奈ずなに近寄ると、彼女の耳元で囁く。


「……あんまり調子乗ってると、『第二の笹井』になっちゃうかもよ?」

「え……?」


 奈ずなが当惑の声を上げるが、女子生徒たちはそれに構わず、ぞろぞろと自分たちの席へと向かっていった。その後ろ姿を見届けた後、育生は奈ずなに気遣わしげに尋ねる。


「春野、大丈夫か?」

「う、うん……」


 奈ずなが小さく首肯してみせた。


「何なんだよ、あいつら。まるで、わざと春野にぶつかったみたいな……。それに、最後何か言ってなかったか? 『第二の笹井』がどうとかって」


 育生の問いに奈ずなはすぐ返答してこなかった。内心の困惑を表すかのように、彼女は両膝の上で両手の拳を固く握っている。育生も狼狽しつつ、彼女の様子を見つめた。何か声をかけなければと思ったが、遮るようにある人物の声が耳に届く。


「おーい、みんな席に着け。ホームルーム始めるぞー」


 声はこのクラスの担任教師、南のものだった。彼の声に従い、生徒たちは各々の席につく。こうなっては、もう私語など発することはできない。育生は自席へ座る途中、思わず隣席の奈ずなを見る。すると、彼女は困ったように小さな笑顔を浮かべていた。


 そうした出来事から、学校での一日が始まったのだ。

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