最後の一手(2)
育生にもう迷いはなかった。下手な小細工など弄するつもりはない。今、構えた宝剣にそんなものを込める必要などなかったのだ。
育生は構えた宝剣を自身に引き寄せ、そっと額に当てる。この宝剣は幼い頃から鍛えてきた、いわば相棒とも言うべき存在なのだ。そして、この宝剣はただ一人の「彼女」のためにある。その宝剣の名にかけて敗北など決してあってはならない。
だから、育生は額に当てた宝剣に想いを込める。ただ、眼前の敵を倒したい。そして、「彼女」を――イシスを救いたい。そのために、今まさに全身全霊を込めてセトに挑んでやる。
育生は額から宝剣を離すと、再び切っ先をセトへ向け正眼の構えをとった。そして、前方に視線をやると、まさしくセトが最後の一撃を放たんとしているところだった。
「残念だよ、少年。君は、ただの人間にしておくのは惜しい。私のもとへ下るのなら、常人を超えた魔術師に育て上げてやったのに」
自らの右手前方に何本もの剣を顕現させたセトの発言を育生は切って捨てる。
「てめえに師事するなんて死んでもごめんだね。オレの師匠はイシスただ一人だ」
どこまでも強気な育生を目にし、セトは感心した様子を見せるが、それもわずかばかりの間だった。
「では、最後の一撃といこうか」
そう言うのと同時に、セトは右手から顕現させた何本もの剣を育生に向ける。育生もそれに応じ、宝剣を握り直し攻撃に備えた。その様子を育生の背後でイシスとネフティスの姉妹が息を呑んで見つめている。
次の一撃が最後。この戦いに勝利するのは、果たして神か、それとも人の子か。
『冥界の王の血族たるセトが命じる。か弱き人の子を無慈悲な刃で切り裂かん!』
本気の攻撃を放つことの証左にセトは呪文を実際に詠唱する。そして、次の瞬間、何本もの鋭き剣が一斉に育生に向け放たれた。先程よりは間合いがとれているとはいえ、自身に向かって飛んでくる何本もの鋭い剣は大きな脅威だ。だが、育生は不思議と焦りも恐怖も感じていなかった。
なぜなら、自分には正真正銘の女神がついてくれているのだ。その加護を受け、一体何を恐れることなどあろうか。それに約束したのだ。育生とイシス、お互いに伝えたいことを伝え合おうと。それを成し遂げるには、まず前方の悪神を倒さなければならない。
育生は眼前に迫る何本もの剣を見据えると、今までのように自分だけの呪文を唱えた。
『我が宝剣は、神が与えしもの。この世の何者も斬れぬものなどなし!』
育生は最上段に宝剣虎王を構えると、向かってくる何本もの剣に向け裂帛の気合いとともに刃を大きく振るった。すると、先程春野奈ずなが顕現させたヘビの禍物を倒したときと同じく、宝剣の切っ先から衝撃波が生まれる。
「何……っ!?」
セトが驚愕の声を上げる。なぜなら、自身が放った何本もの剣が育生の放った衝撃波に押し返され、自身に向かって飛んできたからだ。セトは即座に防御魔術を使い自身が放った剣から逃れようとするが、想定外の事態に焦慮したからか思ったように魔術が展開できない。
「ぐああああっっ!」
セトの口から絶叫が漏れる。それもそうだろう。自らが顕現させた何本もの剣に全身を貫かれたのだから。何本もの剣が刺さったセトの身体から血しぶきが周囲に巻き散らされた。
「こ……んな、馬鹿な……」
そう呟いた後、セトは力なく床に崩れ落ちた。
「や……った」
真っ先に言葉を発したのは、育生の背後で一部始終を見ていたネフティスだ。そして、抱えていた姉の顔を覗き込む。
「やったよ、イシス姉様! イクオちんがセトをやっつけたんだ!」
「そう……ですか」
イシスは小さく息をつくと、ネフティスの手を借り身体を起こした。そんな二人の元に育生が駆け寄る。
「イシス!」
「イクオ……やりましたわね。見事でしたわ」
感慨深げにイシスに言われ育生は思わず感動に浸りそうになるが、一番気になっていたことを彼女に尋ねる。
「イシス、身体は大丈夫なのか?」
「ええ。先程までとは違って、随分楽になりましたわ。イクオ、あなたがセトを倒してくれたおかげです。お礼を言わなければなりませんね」
「別に礼なんて要らないよ。イシスが無事なら、オレはそれだけで……」
そんなやりとりをした後、育生とイシスは自然と見つめ合った。だが、それを申し訳なさそうにネフティスが遮る。
「ごほん、ごほん! お取り込み中大変恐縮なのですが、セトのヤツまだ息があるみたいだよ」
「何だって!?」
ネフティスの忠告を耳にし、育生とイシスはほぼ同時に前方に視線を送る。すると、満身創痍のセトが憎々しげなまなざしをこちらに向けていた。
「あいつ、まだ生きて……!」
「いえ、もうすぐセトの命は尽きますわ。ですが、あの状態で意識を保てるとは……」
完全にセトを倒せていなかったことを育生は懸念するが、イシスが即座に否定する。
「……少年、姉上、あまり喜ばぬことだな」
「何だ、負け惜しみかよ」
セトが弱々しく発した言葉を育生は一蹴した。
「我々、神は……死と再生を繰り返す存在。姉上、あなたが私が殺したオシリスを蘇らせたように、いつか何者かが私を蘇らせるかも……しれない」
セトが途切れ途切れに言ったことを、イシスが複雑そうに眉根を寄せつつ聞いている。
「……せいぜい、わずかな安息の時を楽しむがいい。だが、私の力を望む者がこの世界にいるのなら……その声に応え、私は何度でも蘇るさ……」
「なら、何度でも蘇ればいい」
不意に育生が言い放った。その言葉に驚いたのはイシスだった。
「イクオ?」
「そのときは、何度だってオレとイシスが相手してやる。だから、覚悟してやがれ」
育生の表情は今までの少年然としたものとは違い、どこか自信と逞しさを感じさせるものだ。それを目にしたセトが小さく口端を上げた。
「ふっ。子犬から……若獅子に急成長したようだな、少年。次に会うときは……どんな姿になっているか……楽しみ……だよ」




