決戦開始(2)
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毅然と、凛とした声音で言うイシスを前にしても、セトはなぜか怯む様子を見せない。それを訝しんだのか、イシスは彼に攻撃しようとするのを制止する。
「姉上、お忘れかな? 私には可愛いお嬢さんが味方についているということを」
イシスは思い出したように上空から学校の屋上を見下ろした。視線の先では、ヘビの禍物を従えた春野奈ずながイシスを見上げている。
「まずは彼女の相手をしていただこうか。果たして、人の子を愛するお優しい姉上に彼女と戦うことなどできるかな?」
「この、卑怯者……っ」
イシスが憎々しげに自身の弟を見据える。一連の様子を見ていた育生は、何とか彼女が苦境を乗り切れるように思案していた。確かにセトの言ったとおりイシスは慈悲深く、人間に肩入れする傾向がある。いつか自業自得の人間がどうなろうと関係ないなどと言っていたが、本心ではそんな人間を放っておくことなどできないのだろう。
「神」であるイシスは、「人間」である奈ずなを攻撃することができない。ならば――。
「イシス、春野の相手はオレがする!」
育生は上空のイシスに告げた。すると、彼女は驚いたようにこちらに顔を向けてくる。
「イクオ、その奈ずなさんはあなたの学友なのでしょう? なのに彼女と戦うというのですか?」
「いや、クラスメートだからこそだよ。元々こんな事態になった根本の原因はオレだ。だったら、オレがこの件の始末をつける。人間の相手は人間のオレがやる。だから、イシスは遠慮なくセトの野郎をぶっ飛ばしてくれ!」
「イクオ……」
イシスは何か問いたげな表情を浮かべた。育生はそれに首肯してみせる。決して短いつきあいではない彼女だからこそ、自身の本心を見抜いてくれると信じて。わずかばかり思案顔を浮かべたイシスは、わかったとばかりにうなずき返してきた。
「……わかりました。奈ずなさんのお相手は、あなたにおまかせしますわ」
「ああ、まかせろ!」
イシスに応じた後、育生は自身の宝剣虎王をこの空間に顕現させる。その様子を彼の傍で見ていたネフティスが気遣わしげに問うてきた。
「イクオちん、ホントにあの子とやりあうつもり?」
「ああ、でないと、春野がイシスの足枷になるだろ」
「でも……おともだちなんでしょ?」
「友達だからさ」
育生の言ったことが理解できないのか、ネフティスは不思議そうに小首を傾げる。そんな彼女に応えることなく、育生は前方の奈ずなに声をかけた。
「春野! オレの声が聞こえるか!?」
すると、育生の声に反応し奈ずながこちらに視線をよこす。そのまなざしにはまるで生気がなく、今の彼女はセトの支配を強く受けているのだということが見てとれた。だが、奈ずなが自身の声に反応してくれたことを感じ、まだ何とかする余地があると育生は期待する。
「ごめんな春野、こんなことにさせちまって」
育生は深く頭を下げた。その様子を目にした奈ずなが不思議そうに小首を傾げる。
「どうして沖野くんが謝るの? あたしはこうしたくて、してるんだよ?」
「違うだろ。本当の春野はこんな……他人を傷つけるような真似はしたりしない。気はちょっと弱いけど、優しい女の子だ。そうだろ?」
育生の問いかけに奈ずなが若干狼狽する様子を見せた。
「あたし、沖野くんが思ってくれるようないい子じゃないよ。沖野くんが好きなイシスさんがいなくなればいいと思ったもの。消えちゃって、って思ったもの。でも、本当はこんなことしたくないの。でも、そうしないと、沖野くんはあたしの方を見てくれない。だから、もう仕方ないの!」
奈ずなの悲痛な叫びを聞き、育生は大きく息をつく。
「そうだよな。せっかく春野は勇気を出してオレなんかに告白してくれたのに、オレはそれに応えてやれないんだから。きっと惨めな思いをさせちまったよな。だけど……」
育生は手にしていた宝剣虎王の切っ先を奈ずなに、いや、正しくは彼女が従えているヘビの禍物に向けた。
「春野が想いを曲げられないのと同じに、オレもオレの想いを曲げることなんて、できない。春野がオレの大切な人を、イシスを傷つけようとするのなら、それを絶対に止める!」
その言葉に機敏に反応したのは奈ずな当人ではなく、傍にいたネフティスだった。
「ちょっとイクオちん! あの子を煽るようなこと言って、どうすんの!?」
「だって、春野は真剣な想いをオレに抱いてくれたから、ああいうことになったんだろ。だったら、オレも真剣で返さなくちゃ失礼だ」
「だーっ! その誠実さは尊敬に値するよ? でも、今言うべきではないんじゃないかなあ?」
ネフティスが呆れたように言うと、前方を指さした。その先を育生の視線が自然と追う。すると、奈ずなが小刻みに肩を震わせている様子が視界に入った。
「そう……そこまで沖野くんに言わせるほど、イシスさんが大切なんだね」
奈ずなは傍にいたヘビの禍物に手を添えた。
「心が自由にならないのなら、せめてその身体だけでもあたしにちょうい……」
その言葉を合図とするかのように、ヘビの禍物は何本もの首を蠢かせ始める。一連の様子を見ていたネフティスが育生に向き直った。
「イクオちん、来るよ!」
「ああ! あの禍物を倒せば、春野の心は元に戻るんだろ?」
「うん、多分」
「じゃあ、やるしかねえ!」
育生は宝剣虎王を構える。その動作とほぼ同時に、ヘビの禍物の首の一本がこちらに向かってきた。ヘビは大きくあぎとを開き、育生を捕らえようとしている。だが、おとなしく捕まってやるつもりなど毛頭ない。
『我が宝剣は、神が与えしもの。この世の何者も斬れぬものなどなし!』
普段は口にするのが気恥ずかしい呪文も、今だけは裂帛の気合いを込めて叫ぶ。育生の強い意志に応えるように宝剣虎王は眩い光を放つと、向かってくるヘビの首を切り落とした。
「く……っ」
自身の放った禍物の首が易々と切り落とされるのを目にし、奈ずなは少し臆したように歯噛みする。だが、それもわずかの間だった。
「あたし、絶対に沖野くんだけはあきらめない! さあ、彼を捕まえて!」
奈ずなが凄まじい気迫を込めヘビの禍物に命じる。すると、残ったヘビの何本もの首が猛スピードで一斉に育生に迫ってきた。その威容は奈ずなの内心を表しているかのようで、常人が目にしたら怯んでしまうほどのものだ。だが、育生はこれしきで臆したりしない。
今は前方のヘビの禍物から視線を外すことなどできないが、恐らく今頃イシスはセトと戦いを繰り広げているのだろう。そんな彼女の妨げになるものは排除しなければならない。たとえそれが自身に想いを寄せてくれるクラスメートだとしても。
先程、正しい願い方をすれば願いは叶うなどとセトは言っていたが、果たして今の自身はどうだろうか、と育生は思う。今、育生の胸の内は、イシスを助けたい一心で占められている。だが、それを成し遂げるためには、奈ずなを制さなければならないのだ。
彼女が歪んだ願いを抱くようになった原因は、ほかならぬ育生自身だ。ならば、この件に関しては自身で決着をつけなければならない。それは無慈悲で、間違った行いなのかもしれない。それでも育生は思う。たとえ間違っていても構わない。今は自分が正しいと思う道を切り開くしかないのだ。
「……悪い、春野」
育生は再び宝剣虎王を構えると、前方の奈ずなに声をかけた。
「オレは自分の気持ちを曲げてまで、君の気持ちには応えられない。だから、この身体もくれてやれない」
「沖野く……」
「オレなんかじゃなくても、君にならきっとふさわしい相手が現れる。だから、元の優しい君に戻ってくれ!」
育生が言い終えるのと同時に、何本ものヘビの首が一斉に飛びかかってくる。もう育生に迷いはなかった。深呼吸し気持ちを落ち着け、最大限の一撃を放つ準備をする。そして、再び敵を葬る呪文を叫んだ。
『我が宝剣は、神が与えしもの。この世の何者も斬れぬものなどなし!』
育生は宝剣虎王を水平に構える。そして気迫を込め、大きく横薙ぎに払った。宝剣の切っ先から衝撃波が生じ、向かってくる何本ものヘビの首を瞬時に切り落とす。今まで幾度となく禍物を退治してきたが、これほど切れのある一撃を放てたのは初めてだった。
「……ほああ、すごい! 人間業じゃないよ。さすが、イシス姉様に師事しただけのことはあるねえ!」
一連の様子を育生の背後で眺めていたネフティスが感心の声を上げる。女神の賛辞を受けたことは素直に嬉しかったが、育生にはそれより気になることがあった。
「春野!」
育生は思わず声を上げる。育生の宝剣に切られヘビの禍物が消滅したのと同時に、奈ずなが床に倒れ込んだからだ。育生は慌てて彼女の元に向かう。そして、膝を折り奈ずなの容態を確認してみるが、ただ気を失ってしまっただけのようだった。
「とりあえず、彼女は大丈夫。次に目が覚めたら、元の人格を取り戻すよ」
いつのまにか育生の傍に来ていたネフティスが言った言葉に、育生は安堵のため息を漏らす。そして、大切なことを思い出し、奈ずなからこの屋上の上空に視線を移した。
「イシス……!」
育生が見上げた先では壮絶な光景が繰り広げられている。上空は育生が今まで目たことのない、激しい戦場と化していた。




