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十二年前の出会い(2)

 日鷹山旅客機墜落事故のただ一人の生存者である育生は、親戚の間をたらい回しにされることになった。幸運にも事故からただ一人生還したことが逆に世間の注目を集めてしまい、マスコミから追い回されるはめになったのだ。マスコミや世間は育生を「奇跡の少年」などと持ち上げたが、とんでもない。実際は親戚の厄介者になっていた。


 本当に血のつながりがあるかどうかわからないほどの遠い親戚に引き取られた育生は、この家で酷い扱いを受けていた。その家には若い夫婦、一人の息子がいたが、皆が育生に冷たく当たった。そのくせ表では、マスコミなどの取材を受けては取材費を受け取って、金策の道具として育生を利用していたのだった。


 ある日の夜、居候先の家族は居間で仲良く団らんをとっていたが、育生は物置部屋で与えられた菓子パンを一人食べていた。ふと思う。どうして、こんなことになってしまったのだろう。少し前までは、実の両親、妹と仲良く幸せに暮らしていたというのに。


「……こんななら、あのときオレもみんなといっしょに死んでればよかった」


 ポツリと幼い育生の口から言葉が漏れた。そのときだった。薄暗いこの物置部屋が不意に明るい光に包まれる。その光はひどく柔らかく、あたたかかった。

 育生が目をパチクリとさせる。なぜなら、いつのまにか眼前に一人の女性が立っていたからだ。このときの育生はまだ五年ほどしか生きていなかったが、これほど美しい女性は見たことがなく思わず見とれてしまった。そして、当然のことを彼女に問いかける。


「おねえさん、だれ?」


 育生が尋ねると、女性はこちらに歩み寄り、育生の視線に合わせるように跪いた。それから彼の手をそっと取る。


「……あたくしの名はイシスと申します。イクオ」

「いしす? おねえさんは、どうしてオレのなまえしってるの?」


 当然の質問にイシスは柔和な笑みを見せた。


「あなたのことはよく知っていますわ。この数ヶ月の間、あなたの身に何が起こったかも。幾度も親戚の間を渡り歩き、ずっと辛い思いをしてきたのでしょう?」


 イシスの話を聞き、育生の頭上に何本も疑問符が立つ。


「どうしてオレのこと、しってるの? まるで見てたみたいだよ?」

「そうですわ。あたくし、あなたのことをずっと見ていましたの。あなたが巻き込まれた……あの事故が起きてからずっと」

「ずっと……?」


 育生が不思議そうに小首を傾げると、イシスはふと辛そうな表情を浮かべた。そのことを育生は怪訝に思う。


「どうしたの? どっか痛いの?」

「痛むのは、あなたの心でしょう。こうしてあなたに触れていると、あなたの哀しみ、辛さ……そのすべてがそのままあたくしに伝わってきますわ」


 真顔でイシスに言われ、育生は何度も目を瞬かせた。


「……すごい、オレの考えてることわかっちゃうなんて。おねえさん、何者なの?」

「あたくしは女神ですわ。もっとも、こちらではあまり名が知られていませんけれども」

「めがみ? おねえさん、かみさまなの?」


 育生の問いにイシスが小さく首肯してみせる。その姿を見て、育生は久しぶりに自身が興奮するのを感じた。


「かみさまだから、何でもできちゃうの? だって、いきなりオレの前にあらわれたし、オレのこと何でもしってるし」

「……いいえ、イクオ。神といえど、決して万能などではありませんわ。現にあたくしは、大勢の人々が亡くなっていくのを防ぐことすらできませんでした」


 イシスは不意に金の瞳から涙を一筋流した。その様子を目にした育生は慌てる。


「ど、どうしたの!?」


 女の人に泣かれどうしたらいいかわからず、育生はただおたおたとするしかなかった。


「ごめんなさい。あの事故で大勢の人々が……あなたのご家族が亡くなったのは、あたくしのせいですわ」


 イシスに思いもよらないことを言われ、育生は唖然とする。


「どういうこと? おねえさんのせいって……」

「すべては、このあたくしがセトの……弟との戦いの場に、事故が起きた山の上空を選んだせい。あの場所に飛行機が飛んでくるなど、神であるあたくしですら予見できませんでした。ですが、あたくしが元凶であることには何ら変わりありません。あたくしは戦いの途中でセトが飛行機を見つけ、それに向け無慈悲に攻撃するのを防げませんでした」


 そこでイシスは一拍置いた。


「……神といえど、あたくしなど無力な存在ですわ。イクオ、あなたが望みさえすれば、あたくしをこの世界から消し去ることもできますのよ」

「消す? おねえさんを?」


 育生の言葉にイシスは目を瞑りうなずく。その姿を目にし、育生は考える素振りを見せる。その間、イシスは最後の審判の時を待っているように深刻な顔で俯いていた。


「できないよ、そんなこと」


 ようやく口を開いた育生の言葉を聞いたイシスが俯けていた顔を上げる。


「な、なぜですか!? あなたの大切なご家族が亡くなったのは、あたくしのせいですのよ?」


 当惑の声を上げるイシス。そんな彼女に育生はきっぱりと告げた。


「だって、おねえさん、ぜんぜん悪いひとにはみえないもん。なのに、消したりなんてできないよ」


 それは本心から出た言葉だ。不意に目の前に現れ、自身のことを知る女神だと名乗る女性。彼女はあの飛行機事故を自分のせいだと語ったが、育生には彼女のせいだとはとても思えなかった。


 なぜなら、イシスは事故の原因を正直に話してくれて、その上、涙まで流して育生に謝ったのだ。本当に彼女が悪しき存在なら、そのような行いは決してしないだろう。育生は幼いなりに、きっとイシスには深い事情があるのだろうと察していた。なのに、彼女のことを何も知りもせずに消してしまうなど、どうしてできようか。


「……あたくしが憎くないのですか? イクオ」


 恐る恐るといった様子でイシスが尋ねてくる。育生はゆっくりと首を横に振った。


「はじめて会ったばっかなのに、そんなのわかんないよ。それに、オレがひとりになってからオレのために泣いてくれたの、おねえさんが初めてだったもん。オレ、嬉しかった」


 育生が言ったことは本当だ。事故が起きてから、周囲の親戚や大人は自分のことばかりにかまけて、育生のことを心から心配する人間など一人としていなかったのだから。


 なのに、このイシスという女性は、神であるのに自分などのために泣いてくれたのだ。


「お母さんがいってた。おんなのひとは泣かしちゃダメだって。だから、もう泣いたりしないで」

「イクオ……」


 イシスは大きく目を見開くと、頬を伝っていた涙を拭う。そして、もう一度育生の手をしっかりと握った。


「……あたくし、決めましたわ。あなたの命が果てるまで、あなたのためにあたくしのすべてを捧げると。だから、どうぞあなたの望みをおっしゃって」


 唐突に言われ、育生は思わず呆気にとられる。


「のぞみって、お願いってことだよね?」

「そうですわ。あなたが望むなら、あたくし何でもいたしますわ」

「なんでも……?」


 育生がおうむ返しに言うと、イシスは真剣な顔で首肯した。その様子を見て、イシスは本当に自身のためになら何でもしてくれるのだろうと育生は察する。そして、しばしの間、思案することになった。


「……じゃあ、オレのお願いきいてくれる?」

「はい、何でもどうぞ」


 ようやく口を開いた育生の言葉を受け、イシスが再びうなずく。


「おねえさん、イシスっていったっけ? イシス、オレのかぞくになってくれる?」


 想定外の願いごとだったのか、イシスが驚いたように金の瞳を瞬かせた。


「家族……ですか?」

「うん。オレ、もういろんなとこ行くのイヤなんだ。きっと、この家だって、そのうちおいだされる。だったら、イシスといっしょに元いた家でくらしたい」

「あたくしと暮らす……本当にそう願っているのですか?」


 再確認するようイシスが問うてきた言葉に、育生は大きく首を縦に振った。


「オレ、もうほんとうの家族いないんだ。だったら、またいっしょにくらす家族がほしい。オレのことを本当にかんがえてくれる、そう、イシスみたいなひとがいい」


 当惑しているのか、イシスが少しの間何か考える様子になる。それを見た育生は少し不安げに小首を傾げた。


「ダメ? むずかしいお願いかなあ?」

「……いいえ」


 イシスはまっすぐに眼前の育生を見つめると、育生の手をさらに強く握る。


「思いもよらない願いごとでしたから、驚いてしまいましたわ。あたくしはてっきり巨万の富や権力を手にしたいと言われるかと思いましたから」

「きょまんのとみ? けんりょく? それって、すごいことなの?」

「人によっては価値のあるものでしょう。ですが、あなたの願いごとはそれらよりよほど価値のある、きらめくような素敵な願いごとです。あたくし、こんなに心が震えたのは何百年ぶりですわ」


 そう言った後、イシスが柔和な笑みを浮かべた。


「イクオ、あなたは幼いながら、この世界で尊ぶべきものを知っています。それはとてもすばらしいこと。これからのあなたの人生をきっと明るく照らしてくれるでしょう」


 イシスの言ったことは、まだ幼い育生にとって複雑で難解だった。そのことを察したのか、イシスが握っていた育生の手を離し彼の頭を優しく撫でる。


「今はわからなくてもよいのですよ。あなたがこれから大きくなれば、あたくしの言ったことの意味がわかる日が必ず訪れますわ」


 そう告げた後、イシスは育生の小さい額に自身の唇で触れた。


「イクオ、聡く優しい子。あたくしはあなたの家族となり、あなたの人生をともす灯りとなることを誓いますわ」

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