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育生の決意、奈ずなの決意

「はあ……、朝から疲れた」


 自宅を出て、学校のすぐ傍まで着いた育生は大きく嘆息する。疲れたというのは朝食のときのことだ。自分一人がおかしいのならまだしも、イシスまでもがおかしいとなれば、これから一体どう彼女と接すればいいのか、わからなくなってしまう。


 こんな調子で、もし謎の男ひいては――が出現した日には、まともに相対することができるのかどうか、不安になる。そんなことを思っているときだった。


「……沖野くん」


 背後から不意に声をかけられ、育生の肩が情けなくもビクンと大きく震える。そして、声のした方を振り返ってみると、「彼女」の姿があった。


 振り返った先にいたのは春野奈ずなだ。彼女に会うのはこの前の土曜日以来だった。そして、彼女に告白されている最中イシスたちが現れ、奈ずなが姿を消してしまったことを思い出す。


「春野、この前はごめん。急にイシスたちが出てきたりしてさ……」


 そう切り出したのはいいが、一体どう弁解すればいいのか躊躇する。奈ずなにとってはきっと大事な告白をしてくれたというのに、あんな事態になってしまったのだから。彼女が姿を消したのは恐らくそのことが関係しているに違いないと、育生なりに考えていた。


 ――やっぱり怒ってる、よな……?


 育生は内心緊張してしまう。いくら大人しく穏和な奈ずなでも、あんなふうに告白を台無しにされてはさすがに腹を立てるのかもしれない。だが――。


「ううん。あたしなら、全然気にしてないよ」

「へ?」


 思いもよらない奈ずなの発言に、育生は呆気にとられた。付け加えれば、彼女は微笑すら浮かべている。


「だって沖野くん、イシスさんが危ないところを一目散に助けに行ったんだもの。あたし、そういうところが好きなの」


 育生は当惑する。なぜなら、奈ずなの言動、表情にどこか異質なものを感じたからだ。


「お、怒ってない……の?」

「え? 全然だよ! それより、お願いがあるんだけど……」


 不意に奈ずなが真顔になるのを目にし、育生も自然と居住まいを正した。


「この間は告白、途中だったでしょ? できたら放課後、続きを聞かせてほしいんだ」


 そうだ、奈ずなの告白にはっきりと返答していないことを育生は思い出す。


「ごめんね。しつこいと思われるかもしれないけど、これだけは聞いておきたくて……」


 奈ずながこれ以上ないほど済まなそうな顔を浮かべていた。その姿を目にしてしまい、育生の胸がチクリと痛み出す。彼女の真剣な告白には、こちらも真剣に返さなければならないだろう。たとえ、その返答がいかなる内容であろうとも。


「……わかった」


 育生は決心したように奈ずなをしっかりと見つめた。


「ちゃんと答えるよ。オレもあんな形で中断されて、ずっと気になってたんだ」

「……本当?」


 奈ずなの顔がパアッと明るくなる。


「じゃあ、今日の授業が終わったら、屋上に来てくれる? あそこなら人来ないと思うし」

「ああ、必ず行くよ」


 そうして、育生は今日の放課後、奈ずなの告白の返事をする約束をした。その内容が彼女にとって決して喜ばしいものではないことを心苦しく思いながら。


『え? 今日は遅くなりますの?』

「ああ。だから、夕飯には間に合わないかも」


 学校の休憩時間、育生は教室から抜け出し、校舎の端の階段でイシスと電話で会話していた。


『あなたの帰りが遅くなるなんて、珍しいですわね。お友達と何かお約束でも?』


 イシスに問われ、育生は何と返答したらいいか迷うことになる。だが、よくよく考えてみれば、奈ずなの告白の現場にイシスたちも居合わせていたのだ。今さら隠したところで何になるというのだろう。育生は正直に何の用事で遅くなるか、イシスに話すことにする。


「……この間、イシスたちも覗いてただろ、オレが春野に告白されるとこ。要はその仕切り直しって感じかな」


 あえて事も無げに言ってみると、不意に電話の向こうのイシスが沈黙した。そのことを不審に思った育生は思わず彼女の名を呼ぶ。


「イシス?」

『……あ、はい?』

「どうしたんだよ、急に黙り込んで」

『あ、あの……』


 イシスにしては歯切れの悪い返答を育生はますます訝しんだ。今朝のことといい、やはり彼女はどこかおかしい。今こそ、その理由を問い質すときではないのか。育生はそう思い、イシスを問い詰めようとする。だが、その機先を制するようにイシスが言った。


『奈ずなさん、でしたかしら。最初にお見かけしたときより、随分と可愛らしくなったじゃありませんか。きっと……あなたのために女を磨いたのですわ。紳士たるもの、ちゃんとそれに応えてさしあげないとなりませんよ』


 発言の内容は、普段のイシスなら至極当然といったものだ。だが、育生は察していた。その言葉の端々にどこか違和感があることを。


「……本当にそう思ってる?」

『え?』

「イシスは、もしオレが春野と付き合うことになっても構わないのかって」


 育生が思い切って尋ねてみると、一瞬電話の向こうが沈黙に包まれる。だが、イシスは以前言ったのと同じセリフを吐いた。


『もちろんですわ。前にも申しましたでしょ。あたくしにあなたの交友関係を詮索する権利など、ありませんと』


 イシスは今どんな表情を浮かべているのだろう。以前と同じく泰然としたものだろうか。それとも――。


『では、あたくし夕食の準備がありますので、これで失礼しますわ』


 そして、イシスは一方的に通話を切ってしまった。


 やはりおかしい。彼女と決して短くはない時間を共に過ごしてきた育生だからこそ、イシスの変化が嫌でもわかってしまう。今、彼女は意図して育生が誰かと交際することに関わらないようとしている。それはつまりどういうことなのか。


「あーっ、もうさっぱりわかんねえ!」


 育生はガシガシと頭を掻いた後、決意する。今日、帰宅したら徹底的にイシスを追及してやる。この際、彼女に夫がいることなど二の次だ。とにかく今はイシスの気持ちが知りたい。手前勝手だとは思ったが、育生は固く決意していた。

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