初めてのデート(2)
「あー、今日は楽しかった!」
奈ずなが大きく伸びをして嬉しそうに言う。今日一日の「デート」を終え、帰宅すべく駅へ向かう育生と奈ずな。周囲は日が落ちて、街の中はすっかり暗くなっていた。
育生より少し前を歩いていた奈ずなが、くるりとこちらを振り返る。
「今日はありがとね、沖野くん」
そして、深く頭を下げてきた。
「……何だよ、改まって」
「だって、あたしの願いごと、一つ叶っちゃったんだもの」
「願いごと?」
育生が小首を傾げると、奈ずなが真面目な顔になった。そして、意を決したように言う。
「……こうして、好きな人とデートすること」
「え……?」
思いもよらない言葉を耳にし、一瞬何かの聞き間違いかと育生は思った。だが、これ以上ないほど真剣な表情の奈ずなを前にすると、その言葉が嘘ではないことがわかってしまう。困惑している育生に気づいたのか、奈ずなが慌てて両手を横に振った。
「ご、ごめんね。急にこんなこと言われても、困るよね」
「い、いや……」
驚きはしたが、女の子に生まれて初めて告白され、内心嬉しさがないわけではない。だが、育生にはそれ以上に胸の内を占める存在が既にあった。そんなことを思っているうちに、いつのまにか奈ずながすぐ傍に歩み寄っていた。
「……沖野くん。あたしのこと、どう思ってる?」
「ど、どうって……」
思わず言葉に詰まってしまう育生。その様子を目にした奈ずなの顔に陰が差した。
「やっぱりあたしのことなんて、好きじゃない?」
「い、いや、そんなことないけど……」
「じゃあ、好き?」
奈ずなが顔を育生の顔に寄せてくる。そして、祈るかのように両手を自身の胸に置いた。そんな彼女を前にし、育生は当惑することになる。
好きか嫌いか問われれば、奈ずなのことは嫌いではない。最初は少し暗い雰囲気の子だな、程度の認識だったが、少しずつ会話をするにつれ、人見知りなだけで決して悪い子ではないことがわかった。それに、今の奈ずなはとても魅力的な女の子に変貌している。
決して嫌いではない、だが――。
「あっ、イシス姉様っ!?」
不意に聞き覚えのある声が響き渡った。育生と奈ずなは反射的に声がした方に目を向ける。するとその先では、高い木の枝からずり落ちそうになっているイシスの姿があった。
「な、何やってんだよ、イシス!」
育生は思わず声を上げる。なぜなら、こんな状況など普段なら魔術で容易に切り抜けるイシスが、無様にも木の枝にぶら下がっていたからだ。同じ木の枝の端には、おろおろとしたネフティスの姿もあった。
「姉様! 早く魔術を使って……」
ネフティスの言葉にイシスは首を横に振った。
「先程からそうしようとしているのですが、なぜだか意識がうまく集中できませんの!」
イシスはなぜか今、魔術が扱えない状態にあるらしい。そのことを悟った育生はとっさにこの場から駆け出していた。その姿を目にした奈ずなが驚いたように声をかけてくる。
「沖野くん!?」
「ごめん、ちょっと待ってて!」
そう言いながら、育生はイシスがぶら下がっている木の下へと向かう。今にも彼女は地面に落下しそうだった。同じ木の枝に乗っているネフティスも何とかしようと姉に手を伸ばそうとするが、わずかに届かないようだ。
「あ……っ!」
イシスが悲鳴を上げる。手に力が入らなくなったのか、掴んでいた木の枝から両手が外れてしまったのだ。当然、彼女は物理的法則に従い、地面に向かい落下し始める。
「くそ……っ!」
育生は半ば自らの身を投げ出すように、落下するイシス目がけその場から飛び出した。すると、育生が伸ばした両手の上にイシスの身体が落ちてくる。イシスを抱きかかえたまま、育生は地面へスライディングする形になった。
「な、何とか間に合った……」
イシスを助け出すことができ、育生は安堵のため息を漏らす。育生に抱きかかえられたイシスがなぜか呆然としている。そんな彼女を育生は怒鳴りつけた。
「馬鹿! あんなとこで一体何やってんだよ!」
「あ、あたくし……」
イシスが珍しく狼狽した様子を見せている。そんな二人の元へ木の枝から下りたネフティスが駆け寄ってきた。
「イクオちん、イシス姉様を責めないで! ボクがイクオちんの初デートをびこ……ううん、見届けようってムリヤリ姉様を誘ったの!」
ネフティスは今にも泣き出しそうな顔で何度も頭を下げてくる。その様子を目にした育生は怒るよりも先に呆れた気持ちになってしまう。そして、泣きそうな彼女を逆に宥めようとした。
「……ああ、何となく何がしたかったか、わかった。とにかく泣かないでくれよ、ネフィ」
「ううう、ごめん……」
「だけど、好奇心でも興味本位でも、こういうふうに人の行動をおもしろがって観察するような真似はオレ、好きじゃない。冥界とやらではどうだか知らないけど、この世界ではよくない行為なんだ。それだけはわかってほしい」
ただの人間の育生に諭され、仮にも女神であるネフティスは子供のように何度もうなずいた。その一部始終を見た後、育生は今度はイシスに目を向ける。
「イシスも十数年はこの世界に住んでるんだから、多少の分別はついてると思ってたよ。でも、ネフィと一緒になって、おもしろ半分でこういうことするとは思わなかった」
「お、おもしろ半分なんかじゃありませんわ!」
今まで黙っていたイシスが強い口調で言う。
「あたくしは、あなたがきちんと女性をエスコートできるか確認したくて、それで……」
その言葉を聞いた育生はふうっと嘆息した。
「だから、そういうのをおもしろ半分で、興味本位だって言うんだよ」
これ以上ないほど失望したように育生が言うと、イシスの表情に陰が差す。
「……興味本位なんかじゃ、ありませんわ」
未だ腕の中に抱えたイシスの変化に気づき、育生は目を瞬かせる。
「あたくし、いつしか心からあなたのことが気になって……。よくないことだとわかっていながらも、己を律することができませんでしたの。ごめんなさい」
しおれたように謝ってくるイシス。こんなに自信なさげな彼女を目にするのは初めてで、育生は内心驚く。そして、イシスの言葉の真意が気になってしまう。
「イシス、心からオレのことがって……」
育生がすべてを言い終える前に、イシスが彼の腕の中からそっと身を離した。そして、育生に背を向け、いつものように泰然とした声音で告げる。
「あたくしなどに構っている場合ではないでしょう。彼女の元へ早くお戻りなさいな」
イシスに言われ、育生はようやく「彼女」の存在を思い出した。そういえば、奈ずなに告白されている最中だったのだ。もっとも、イシスやネフティスの登場で唐突に遮られてしまったが。育生は慌てて奈ずなの姿を捜そうとする。だが――。
「春野……?」
育生の奈ずなを呼ぶ声が、すうっと夜風の中へ吸い込まれていった。いつのまにか奈ずなの姿は雑踏の中に消え、彼女を見失ってしまったことに気づく。育生はなぜ奈ずなが急に姿を消したのかわからず、ただその場に呆然と立ち尽くすことになった。




