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奈ずなのお誘い(2)

 自宅へ戻ると、洗濯物でも取り込んでいたのか、両手いっぱいにバスタオルや衣服を抱えているイシスが育生を出迎えた。


「あら、おかえりなさい、イクオ」

「……ただいま」


 その光景は他者から見れば、日常の一コマにしか見えないだろう。だが、育生の胸の内は複雑なことこの上なかった。それはイシスに夫がいると知ってしまったからだ。


 以前は自然体でイシスと接することができたが、今は彼女への複雑な想いをひた隠しにすることに苦慮していた。もし、イシスに胸間を見抜かれてしまったら、一つ屋根の下で共に暮らすことなどできなくなるかもしれない。そう思うと、育生は無理にでも彼女と今までどおり接するしかなかった。しかし、今この家の中には育生の本当の気持ちに気づいている人物がいる。


「あ、おっかえりー、イクオちん!」


 イシスが抱えていた洗濯物を半分持ちながら彼女と廊下を歩いていると、明るい声が聞こえてきた。ネフティスは呑気にスナック菓子を頬張りながらこちらに近寄ってくる。


「どうだった、今日の学校は?」


 ネフティスが明るく問うてきた。彼女は育生のイシスへの気持ちを知っておきながらそれを姉に暴露する気は毛頭ないらしく、平然と毎日脳天気に過ごしている。育生はそのことをどこか居心地悪く感じていた。


 イシスに本当のことを話さないのは感謝していたが、ネフティスが一体何を考えているのか欠片ほども理解できず、育生は自然と彼女を警戒してしまうことになる。


「……どうって、いつもどおりだよ。何にもないけど」

「えーっ、ホント? なんかいつもと感じ違うけど」


 ネフティスの言葉を聞いたイシスがすぐ傍の育生に顔を向けてきた。


「本当ですの? イクオ。何か学舎で異変があったりはしませんの?」

「ああ、本当に……」


 そこまで言いかけて育生はあることを思い出す。そういえば、今度の土曜日に奈ずなと映画を見に行く約束をしてしまったのだ。土曜日は大抵、鍛錬に当てられている。ならば、イシスには用事ができたことを話さなければならないだろう。


「……あのさ、イシス。今度の土曜なんだけど」

「あら、どうしましたの? いきなり」

「ちょっと、友達と出かける予定入れちゃって……。悪いけど、鍛錬はできないんだ」


 育生とイシスの間に割り込むようにネフティスが強引に身体を滑り込ませた。そして、何か意味ありげなまなざしを育生に向けてくる。


「ねえねえ、そのお友達って、もしかして女の子だったりする?」


 神であるからか、女性であるからかなどわからないが、ネフティスが鋭い指摘をしてきた。それに若干怯むも、別段隠すことでもないので育生は正直に答えることにする。


「ああ、そうだけど」

「うっそーん! それって、デートじゃん!」


 ネフティスが瞳をキラキラさせながら興奮した面持ちになった。かたやイシスはというと、いつもと変わらぬ泰然とした表情を浮かべている。それから事も無げに言う。


「まあ、いいのではないですか? 何事も経験ですわ。いいですこと、イクオ。当日は相手の女性を丁寧にエスコートするのですよ」


 イシスはむしろ育生がデートすることを推奨するかのようだ。そのことを悟り、育生は内心もやもやした気持ちになるのを感じる。そして、思わず彼女に問いかけてしまった。


「……イシスは何とも思わないの?」

「何がですの?」

「オレがその……女の子とデートすること」


 イシスが少しの間思案する素振りを見せる。その後、きっぱりと言った。


「さすがに育ての親であるあたくしでも、あなたの交際関係をとやかく詮索する権利などありませんわ」


 ある程度想定していた返答だったとはいえ、育生はわずかに落胆してしまう。やはりイシスは自分のことをただの養い子としか見ていないのだ。そのことをはっきりと自覚する。


「……じゃあ、そういうことだから」


 それから育生は傍にいたネフティスに「これお願い」と言い、持っていた洗濯物を彼女に手渡した。


「えっ、ちょっとイクオちん!」


 ネフティスが慌てて声をかけてくるが、それには答えず育生は自室に向かうため階段を上っていった。その後ろ姿を目にし、ネフティスは姉に少し気遣わしげに問う。


「……ねえ、ホントにいいの? イシス姉様」

「何がですの?」


 妹の問いに、イシスが不思議そうに瞳を瞬かせた。


「その……イクオちんが女の子とデートすること」

「先程言ったではありませんか。あたくしにイクオの交際関係を詮索する権利は……」

「そうじゃなくて! 姉様自身がどう思ってるかだよ!」


 ネフティスが両手の拳を握って強い調子で言う。すると、イシスはわずかに戸惑った表情を浮かべた。


「あたくしが……?」

「そう。イクオちんがほかの女の子とデートしたり、手つないだり、それからそれ以上のことをしても、姉様はホントに何とも思わないの?」


 真顔で妹に問われ、イシスも真剣に思案する素振りを見せる。そして、小さく呟いた。


「イクオが、このあたくし以外の女性と……?」


 自室に戻った育生は制服を着替えるのも忘れベッドに突っ伏す。そして、これ以上ないほど落ち込むことになった。わかっていたこととはいえ、イシスは自分がほかの女性と一緒にいても何とも思わないようだ。そのことを再認識し、思わず苦笑する。


「そりゃあ、そうだよな。イシスには立派な旦那がいるんだから、オレなんて……」


 それから奈ずなと約束した土曜まで、育生は悶々とした日々を過ごすことになった。

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